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公金が関係する活動と収益化はどこでズレるのか|さとうさおり都議のYouTube収益問題から考える契約構造と実務運用

最近、さとうさおり都議のYouTube収益をめぐる問題が話題になっています。

ただ、この記事では、個別事件について「違法だ」「適法だ」「誰が悪い」と断定するつもりはありません。

私が気になったのは、そこではありません。

むしろ、この問題は、契約書や実務運用でよく起きる「お金の流れ」「活動の目的」「成果物の帰属」「説明可能性」のズレに近いものがあると感じました。

法律を勉強していると、どうしても「これは違法なのか」「返還義務があるのか」という話になりがちです。

もちろん、それも重要です。

しかし、実務ではそれだけでは足りません。

違法かどうかだけでなく、後で説明できる構造になっているか、誤解を与えないか、弱い立場に過度な負担がかかっていないか、お金の流れが不自然ではないか、揉めないか、行政や裁判所に耐えられるか。

こういう視点で見ることが大事だと思っています。

問題の本質は「収益を得たこと」だけではない

今回の話を契約構造のように見ると、単に「YouTubeで収益が出た」という話ではありません。

問題になりやすいのは、次のような構造です。

公的な活動として行われた報告会があり、その費用の一部または全部に公金性のあるお金が使われる。

その活動の様子が動画として記録され、個人または関係者のチャンネルで公開される。

その動画が収益化され、広告収益などが発生する。

ここで、「活動そのもの」と「動画コンテンツ」と「収益」が、どこまで一体なのか、どこから切り離せるのかが問題になります。

これは、契約書でいうと、業務委託契約に近い構造だと思います。

たとえば、ある会社が費用を負担してイベントを開催したとします。

そのイベントを撮影した動画を、別の人が自分のチャンネルに投稿して収益化した場合、その収益は誰のものなのか。

イベントの主催者なのか。

撮影・編集した人なのか。

出演した人なのか。

費用を出した人なのか。

プラットフォームを運用している人なのか。

ここを事前に整理していないと、後で揉めます。

今回の件も、個別の結論は別として、「活動費用」「発信媒体」「収益」「説明責任」の関係が十分に整理されていないと、こういう問題が起きるという点で、かなり実務的な題材だと感じます。

契約・法務上は「誰の活動で、誰の成果物か」が問題になる

契約構造として見る場合、まず整理すべきなのは、誰の活動なのかという点です。

公的な活動なのか。

政治活動なのか。

個人の発信活動なのか。

事業活動なのか。

これらは現実には重なります。

特に、今の時代はSNSやYouTubeがあります。

政治家、士業、経営者、フリーランスなどは、自分の活動を発信することで認知を広げています。

その意味では、活動と発信を完全に切り離すことは難しいです。

ただ、切り離せないからこそ、事前に整理しておかないといけません。

たとえば、イベントの会場費は誰が負担したのか。

撮影費用は誰が負担したのか。

編集費用は誰が負担したのか。

動画チャンネルは誰のものなのか。

収益は誰に入るのか。

その収益は活動費の控除対象になるのか。

それとも、別個の発信活動による収益と見るのか。

ここが曖昧なままだと、「公的な活動を個人収益に利用したのではないか」という見方も出ます。

一方で、「動画の撮影・編集・チャンネル運営は個人の労力であり、収益は個人の発信活動によるものではないか」という見方も出ます。

つまり、どちらか一方が当然に正しいというより、構造をどう整理するかの問題です。

ここを飛ばして、「収益が出たから返せ」「いや、個人の収益だから関係ない」と言い合うと、話がかみ合わなくなります。

実務運用上のズレは「目的」と「副次的利益」に出る

今回のような話で一番ズレが起きやすいのは、活動の目的と、そこから生じた副次的利益の関係です。

たとえば、報告会の目的が都政報告であるなら、その開催自体は公的・政治的な目的を持つ活動といえます。

しかし、その報告会を動画化して収益化した場合、その収益は何の対価なのか。

ここで見方が分かれます。

報告会がなければ動画も存在しなかったのだから、収益も報告会に由来する。

こう考える人もいるはずです。

一方で、動画として撮影し、編集し、チャンネルで公開し、視聴者を集めたのは別の発信活動であり、収益は動画運用に対する対価だ。

こう考える人もいるはずです。

実務で揉めるのは、まさにこの部分です。

最初から「この活動から発生した収益はどう扱うのか」と決めていれば、問題はかなり小さくなります。

ところが、多くの場合、活動を始める時点ではそこまで考えていません。

収益が出てから、「これは誰のものなのか」「費用負担者に戻すべきなのか」「説明が必要なのか」という話になります。

これが実務運用のズレです。

私は、法律や行政はどうしても事後対応型になりやすいと感じています。

問題が起きた後に、これは違法か、返還すべきか、規則違反か、という話になる。

しかし、本来はその前に、後で説明できる形になっているかを見ておくべきです。

これは契約書でも同じです。

契約書を作る目的は、揉めた後に勝つためだけではありません。

揉めないように、事前にお金の流れと役割を整理するためでもあります。

中小企業・フリーランスに置き換えるとよくある話になる

この話は、政治家や政務活動費だけの特殊な問題に見えるかもしれません。

しかし、中小企業やフリーランスに置き換えると、かなり身近な話になります。

たとえば、会社が費用を出してセミナーを開催したとします。

講師は外部のフリーランスです。

その講師が、セミナーの様子を自分のYouTubeに投稿し、収益化した。

この場合、収益は誰のものなのか。

また、会社が費用を出して制作した動画を、制作会社が実績紹介として使った。

その動画から問い合わせが来て、制作会社の売上につながった。

これは問題ないのか。

あるいは、共同事業で作ったコンテンツを、一方の当事者だけが自社メディアで収益化した。

もう一方は「こちらも費用や労力を出しているのに」と感じた。

こういう話は普通に起きます。

契約書上は、成果物の著作権や利用権の問題として出てくることもあります。

しかし、実務上はそれだけではありません。

誰が費用を出したのか。

誰の信用で人が集まったのか。

誰の媒体で収益が発生したのか。

誰が編集・運用したのか。

収益化を事前に説明していたのか。

このあたりが整理されていないと、感情的な対立になります。

「法律上は自分のものです」と言っても、相手から見ると納得できない。

逆に、「こっちがお金を出したのだから全部こちらのものだ」と言っても、実際に発信・編集・集客した側からすると納得できない。

つまり、問題は権利の有無だけではなく、構造と説明可能性にあります。

レベニューシェアは納得できる構造でなければ揉める

今回の件から考えると、レベニューシェアの問題にもつながります。

私は、レベニューシェアは「その人の価値が売上に直結している」と納得できる構造でなければ、かなり危ないと思っています。

単に「売上が出たら分けましょう」というだけでは足りません。

誰の貢献で売上が発生したのか。

売上の対象はどこまでか。

費用控除前なのか、控除後なのか。

プラットフォーム手数料や広告費はどうするのか。

収益が発生した期間はいつまでか。

一度公開した動画やコンテンツが、後から収益を生み続ける場合はどうするのか。

ここを決めていないと、最初は仲が良くても後で揉めます。

特に、SNSやYouTubeのような発信活動は、収益の発生原因が見えにくいです。

出演者の影響なのか。

企画の力なのか。

編集の力なのか。

チャンネルの登録者数なのか。

拡散したタイミングなのか。

プラットフォームのアルゴリズムなのか。

複数の要素が絡みます。

だからこそ、「何となく収益を分ける」「何となく相手に返す」「何となく個人のものにする」という運用は危険です。

これは契約書の世界でも同じです。

契約書に書いていないから自由、というだけでは実務上は足りません。

逆に、契約書に明確な根拠がないのに、一方的に返還や譲渡を求めるのも危険です。

大事なのは、最初から収益の発生可能性を想定し、関係者が説明できる形にしておくことです。

この問題から学べるのは「後で説明できる設計」の重要性

今回の話から中小企業やフリーランスが学べることは、かなりシンプルです。

お金の流れがあるところでは、後で説明できる設計にしておくべきだということです。

特に、次のような場面では注意が必要です。

共同でイベントを開催する場合。

外部委託でコンテンツを制作する場合。

会社費用で作った資料や動画を個人が使う場合。

公的資金、補助金、助成金、業務委託費などが関係する場合。

SNSやYouTubeなどで収益化する場合。

これらは、最初は問題になりません。

むしろ、活動が小さいうちは誰も気にしません。

しかし、収益が出たり、注目されたり、関係が悪化したりすると、急に問題になります。

だから契約書では、単に「著作権は誰に帰属するか」だけではなく、利用範囲、収益化、二次利用、実績公開、広告利用、費用負担、収益配分まで見ておく必要があります。

私は、契約書を読むときに、条文単体で見るのではなく、契約構造で見るべきだと考えています。

誰が何を提供し、誰が費用を負担し、誰が成果を使い、誰に収益が入るのか。

この流れが不自然でないか。

後で第三者に説明できるか。

ここを見ることが、契約書を実務で使うということだと思います。

断定ではなく、構造として考える必要がある

今回の件について、私は個別の法的責任を断定する立場ではありません。

また、特定の人物や団体を批判する目的でもありません。

むしろ、制度の透明性を重視し、問題があるなら改善方向へ進めるべきだと思っています。

問題が起きた時点で整理し、同じような慣習がズルズル続かないようにする。

これが大事ではないでしょうか。

SNSやYouTubeでの発信は、今後ますます増えるはずです。

政治家だけでなく、士業、経営者、フリーランス、企業担当者も、自分たちの活動を発信していく時代です。

そのときに、活動費用と発信収益が交差する場面は必ず出てきます。

だからこそ、「収益が出たらどうするのか」「公的・会社的な活動と個人の発信をどう分けるのか」「費用を出した側と発信した側の関係をどう整理するのか」を、事前に考えておく必要があります。

法律を守ることは当然です。

しかし、それだけでは足りません。

法律を運用まで落とし込んでこそ、法律が使えているといえるのだと思います。

今回の話は、単なる政治ニュースとして見るだけでなく、契約構造・実務運用・事業リスクを考える題材として見ると、かなり学べる部分があります。

違法かどうかを断定する前に、なぜ揉める構造になったのか。

どこで説明が足りなかったのか。

自分の事業だったら、どのように事前に整理するか。

その視点で見ると、中小企業やフリーランスにとっても、かなり現実的な学びになると思います。

まとめ

今回の問題は、個別事件として見ると政治的な対立や感情論に流れやすい話です。

しかし、契約実務の視点で見ると、かなり普遍的な問題です。

費用を出した人。

活動を行った人。

発信した人。

収益を得た人。

説明を求める人。

この関係が整理されていないと、どの業界でも同じような問題は起きます。

特に、SNSやYouTubeのように、活動と収益化が簡単につながる時代では、従来の感覚だけでは対応しきれません。

「今まで問題にならなかったから大丈夫」ではなく、「後で説明できる構造になっているか」を考える必要があります。

契約書も同じです。

契約書は、揉めた後に読むものではなく、揉める前に構造を整えるためのものです。

今回の件を見て、改めてその重要性を感じました。

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