🦌 平賀源内えもん~!鹿肉が売れないんだ!
「平賀源内えもん~!」
「なんだい、また困ったのかい?」
「鹿が増えすぎて困ってるんだよ~!」
「ほう」
「農作物を食べちゃったり、森林を荒らしたりしてるんだって。でもね……」
「でも?」
「鹿肉が、あんまり売れないんだよ~!」
「…………」
「平賀源内えもん、なんとかしてよ~!」
「うーん……」
「うなぎを売ったみたいにさ!」
「…………」
「なんか考えてよ~!」
🐟 そもそも、土用の丑の日って何だったっけ?
日本人なら誰でも知っている。
土用の丑の日。
この日になると、スーパーにうなぎが並ぶ。
うな重、うな丼、ひつまぶし。
「今日は土用の丑の日だから、うなぎにしようか」
そんな会話が普通に成立する。
でも、そもそも「土用」って何だろう?
土用は、季節の変わり目にある約18日間。
そして「丑の日」は、十二支で数えた日。
つまり、
土用という期間の中に、丑の日がやってくる。
それだけの話だ。
なのに、なぜか日本人はうなぎを食べる。
ここには、あの男が関係している。
平賀源内。
江戸時代の発明家、学者、文人。
うなぎ屋に相談されて、
「本日土用丑の日」
と店先に掲げた。
それが評判になり、うなぎが売れた。
……という有名な逸話がある。
本当に源内が考案したのかは諸説ある。
でも、もし本当だとしたら。
源内がすごかったのは、
うなぎを発明したことではない。
「うなぎを食べる理由」を発明したことだ。
🦌 じゃあ、令和の平賀源内えもんは?
「鹿肉が売れないんだよ~!」
「だったら、鹿を食べる日を作ればいいじゃないか」
「そんな簡単に……」
「夏には土用の丑の日があるだろう?」
「うん。うなぎの日だね」
「では、秋にも土用の丑の日があることを知っているかい?」
「えっ?」
そう。
土用は年4回ある。
夏だけではない。
春にも。
秋にも。
冬にも。
そのうち、秋の土用にも「丑の日」がやってくる。
「じゃあ、秋の土用の丑の日には……」
「鹿を食べよう」
「なんで!?」
「夏の土用の丑の日は、『う』のつくものを食べる。」
「うなぎ!」
「そう。ならば秋は……」
「……『し』?」
「そうだ」
「『し』のつくものを食べる?」
「そうだ」
「鹿(しか)?」
「そうだ」
「……それだけ!?」
「それでいいんだよ」
🍂 秋の土用の丑の日は「し」の日
夏の土用の丑の日。
「う」のつくものを食べる。
うなぎ。
うどん。
瓜。
梅干し。
そして秋。
「し」のつくものを食べる。
しいたけ。
しめじ。
ししゃも。
新米。
そして――
鹿(しか)。
なんだか、秋の食卓が見えてくる。
きのこを焼く。
新米を炊く。
ししゃもを焼く。
そして鹿肉を食べる。
「今日は秋の土用の丑の日だからね」
「え? うなぎじゃないの?」
「それは夏」
「秋は?」
「『し』だよ」
「……鹿?」
「そう」
なんだか、ちょっと楽しくないだろうか。
🦌 鹿肉を「害獣」から「山の恵み」へ
鹿が増えている。
農作物への被害もある。
森林への影響もある。
だから捕獲する。
でも、捕獲した鹿をどうするか。
そこで「鹿肉をもっと食べよう」と言っても、
「鹿肉って、どこで食べられるの?」
「どう料理するの?」
「そもそも、おいしいの?」
となる。
だから必要なのは、
「鹿肉を売ること」ではなく、
「鹿肉を食べる理由を作ること」
なのかもしれない。
平賀源内がやったとされることも、まさにそれだった。
「うなぎを買ってください」
ではない。
「今日はうなぎを食べる日ですよ」
だった。
だったら鹿も、
「鹿肉を買ってください」
ではなく、
「今日は鹿を食べる日ですよ」
から始めてもいい。
🐟 夏は「う」。秋は「し」。
夏の土用の丑の日。
「う」のつくもの。
うなぎを食べる。
秋の土用の丑の日。
「し」のつくもの。
鹿を食べる。
もちろん、これは今のところ私の妄想だ。
秋の土用の丑の日に鹿を食べるという決まりがあるわけではない。
でも、もし誰かが始めたら。
最初は、
「何それ?」
だったものが、
「今年の秋の土用の丑の日、鹿食べてみる?」
になって。
そのうち、
「秋の土用は鹿だよね」
になって。
何十年後かには、
「昔は鹿肉なんて、そんなに食べなかったんだって」
なんて言われる日が来るかもしれない。
食文化って、案外そういうものなのかもしれない。
誰かが、
「今年は、これを食べよう」
と言ったところから始まる。
だからもし、令和に平賀源内がいたら。
ジビエを扱う人にこう言うかもしれない。
「困ったねぇ、
でも、鹿が売れないんじゃない。
鹿を食べる理由が、まだないだけだよ」
そして、店先に一枚の紙を貼る。
🍂 本日、秋の土用丑の日「し」のつくものを食べよう。今年は、鹿(しか)にしませんか?
……さて。
今年の秋の土用の丑の日。
あなたは、何を食べますか?
