59歳。「老後」が楽しみになったら「今日」が一番楽しくなってきた。
■ 老後が楽しみなんて、昔の私なら笑っていたと思います。
「老後が楽しみです。」
59歳になった今、そんな言葉を自然に口にできるようになりました。
でも、本当に驚いているのは、そのことではありません。
老後が楽しみになったら、60代を待ち遠しく思うようになったのではなく、「今日」という一日が、以前よりずっと愛おしくなったことです。
若い頃の私は、「老後」という言葉に、どこか暗く重たい響きを感じていました。
収入はどうなるのだろう。身体は元気でいられるだろうか。仕事を辞めたあと、自分には何が残るのだろう。家族は健康でいてくれるだろうか。
そんな漠然とした不安を抱えながら、「今を頑張り、今を少し我慢すれば、いつか安心できる日が来る。」そう信じて生きていました。
未来の安心を手に入れるために、今日という時間を少しずつ削っていたのです。
でも、55歳で独立し、59歳になった今。私の中で、その考え方が静かに変わりました。
もちろん、不安が消えたわけではありません。
病気になるかもしれない。思いがけない出来事も起こるでしょう。人生に「絶対」はありません。
それでも今は、不思議なくらい穏やかな気持ちで、「きっと大丈夫。」
そう思える自分がいます。
■ 不安の正体は「金額」ではなく「視界の悪さ」だったのかも
なぜ、あれほど怖かった未来が楽しみになってきたのか。
きっかけは、お金、仕事、暮らし、そして身体の「手綱」を、自分の手でひとつずつ握り直したことでした。
iDeCoやNISA、事業の方向性、不動産、そしてあえて売上を半分にするという決断。 これらを一度テーブルの上に並べ、「60歳、65歳、70歳」と人生の計画を本気で書き直していきました。
時には、ネットで調べ尽くし、時には、関連本を読み漁り。
そこで気づいたのは、私を脅かしていた不安の正体は「お金の少なさ」ではなく、「これからどう生きるかが見えていない視界の悪さ」だったということです。
数字や規模を追う焦りを手放し、周りの人と比べることをやめ、自分自身の腹落ちする「人生の設計図」が見えた瞬間、胸を塞いでいた漠然としたモヤモヤ感が、すーっと無くなっていきました。
そして、身体との付き合い方も変えました。若い頃のように闇雲に鍛え上げるのではなく、「70代になっても夫婦で自分の足で旅を楽しめる身体」へ目的を変えました。パーソナルトレーナーの先生と対話し、日々の食事を管理し、時には現場で汗を流す仕事を選び、身体全体を整えていく。
行きたい場所、歩きたい街、味わいたい食べ物、カレンダーに「次の旅」の予定が増えていくたび、老後は「衰退の下降線」ではなく、「楽しみに満ちた上昇気流」へと上書きされた感じです。
■ 最高の気づき:「今」を犠牲にする生き方の罠
しかし、未来の設計図が整ったことで起きた一番大きな変化は、老後のことではありませんでした。
最初は、早く60代が来ないかな、とも思っていました。
その後よくよく考えていくと、それよりも、と意外な心の変化が出てきました。
一番変わったのは未来への期待ではありませんでした。「今日」という一日が、かけがえのないものになったことです。
昔の私を含め、多くの人が陥ってしまう罠。それは、「将来の安心のために、今日という大事な時間を気持ち的にも時間的にも犠牲にしてしまうこと」です。
老後を恐れるあまり、目の前の暮らしや楽しみを犠牲にし、ストレスを抱え、漠然としたお金や数字のためだけに今を削る。 ですが、不安のために「今」をすり減らして生きている人が、ある日突然、60歳や70歳になったからといって幸せになれるでしょうか。
今という一日を大切にできなければ、未来だけが突然幸せになることは、おそらくないのだと思います。
人生設計とは、未来の自分を縛りつけることではないと思います。 「もう未来を恐れなくていい。だから安心して、今日を100%味わおう」と、自分自身に言い聞かせる。このことに気づいてきました。
■ 今日という日の延長線上にしか、良い未来はない
収入をあえて減らしてでも売上を思い切って半分にし、未来の道筋を整えてきました。私はようやく、「先」の事ばかり考える自分から、「今」を大事にする自分へ変わってきました。
未来の心配から解放されつつあることで、 今朝の、大好きな珈琲も、妻との何気ない会話も、 身体を動かした後の心地よい疲労感も、孫と汗をかいて遊ぶ時間も、 すべてを自然体で、本気で、味わえるようになりました。
59歳。いろいろ遠回りをしてきましたが、ようやくシンプルで深い真理にたどり着いたと確信しています。
だから今日も私は、 身体を整え、本当にやりたい仕事に心を込め、次の旅行にワクワクしながら、 夫婦で笑って、家族で笑って、「今日」を最高の1日にしていきます。
老後は、どこか遠くにあるゴールではありません。
今日という一日を、大切に積み重ねた先にあるもの。
59歳になった今、私はそう信じています。
