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3.倫理という重力

倫理という重力

人はなぜ、

ある行為を「正しい」と感じ、

別の行為を「間違っている」と感じるのだろうか。

それは本能だろうか。

教育の結果だろうか。

あるいは、理性による判断だろうか。

ここで扱いたいのは、

善悪そのものではない。

判断が、どのような構造の中で立ち上がるのか、

その一点だ。

仮に、地球上に一人しか人間が存在しなかったとしよう。

その世界で「してはいけないこと」は存在するだろうか。

答えは、おそらく否だ。

誰も傷つかず、

誰にも迷惑をかけず、

比較される他者も存在しない世界では、

行為はただの行為でしかない。

そこに「正しさ」や「間違い」が立ち上がる余地はない。

それらが現れるのは、

常に他者が存在するときだけだ。

人が複数集まり、

関係が生まれ、

衝突や不利益が生じる。

そのとき初めて、

どの行為を許容し、

どの行為を制限するか、

という基準が必要になる。

この基準こそが、

ここで言う倫理だ。

それは感情ではない。

命令でもない。

行為の結果を説明するための後付けでもない。

倫理は、

社会が存続するために必要となった

一つの指標にすぎない。

だが、その影響は軽くない。

倫理は、

人が判断を下すとき、

思考の途中で無意識に参照される

枠組みとして存在する。

多くの場合、人は

「これは正しいだろうか」と自問しているつもりで、

実際には

「この行為は、社会の中で許容されるだろうか」

を瞬時に計算している。

その計算は、

ほとんど意識されない。

だが確実に、

思考の進路を限定し、

判断の方向を歪める。

倫理とは、

社会が長い時間をかけて形成した

判断の重力のようなものだ。

それは行為を直接生み出すわけではない。

だが、行為へ至る思考に

常に影響を与え続ける。

そして人は、

その重力の中で下した判断を、

自分自身の意志だと感じる。

だが、

その判断は、本当にあなたのものだろうか。

それとも、

状況が先に思考を決めていたのだろうか。

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