美しきチェンバー・ミュージック!ブラッド・メルドーがエリオット・スミスに捧げたオマージュのようなアルバム『Ride into the sun』
今のところ、ブラッド・メルドーの最新作です。とは言っても去年の8月発売なので、もう1年近くも経っています。今回のアルバムは、シンガーソングライター、エリオット・スミスのカバー集というかオマージュのような作品。
実は、ブラッド・メルドーは、パンデミックが収束した2021年から22年にかけて、鬱に襲われたといいます。パンデミックの最中の孤独な時期てはなく、それが収束しツアーが始まろうという、まさにその時期、鬱に見舞われたというのです。その時、心の慰めになったのが亡くなったアメリカのシンガー・ソングライター、エリオット・スミスの作品だったそうです。スミス自身、深刻な精神的トラウマを抱え、アルコールやドラッグの問題もあった人で、謎の死を遂げています。驚いたのは、エリオット・スミスとはかつてロスアンジェルスのライブハウス『ラルゴ』で共演したこともあるらしいのです。今回、調べて分かったのですが、当時この『ラルゴ』を中心に活動をしていたシンガーソングライターたちの動きを「カリフォルニア・ルネサンス」と呼ぶのだそうです。
ルーファス・ウェインライトやフィオナ・アップル、エイミー・マンなどのシンガーソングライターたち。
これは、あまりにも巨大になり過ぎたカリフォルニアの音楽産業に対するアンチテーゼ的な動き、そして同時にアコースティックな温もりのある手触りの音楽を目指したムーブメントでした。さらに、この動きは、チェンバー・ポップと呼ばれるジャンルの流れも引き継いでいました。チェンバー・ポップとは、室内楽的構成を持った音楽ということだそうで、ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』とか、ビートルズの後期の一連の音楽などが源流にあたるのだと思います。
そう言えば、ルーファス・ウェインライトなんかは、もろにクラシカルな響きを聴かせるアーティストですね。
さて、この『Ride into the sun』というアルバムですが、エリオット・スミスの繊細で美しい楽曲が、違和感なくブラッド・メルドー独自の音として再現されています。メルドー自身が、過去にも『ラルゴ』や『ハイウェイ・ライダー』などの作品で試みたチェンバー・ミュージック(室内楽)的な手法がここでも見事に活かされています。弦楽器や管楽器など様々な楽器が複雑なハーモニーを奏でると同時に、曲によってはピアノ・ソロ、あるいはピアノトリオによるシンプルで味わい深い演奏も聴かせてくれます。
アルバムには、エリオット・スミス作品が全部で10曲、それにメルドー自身のオリジナルが4曲、さらには、エリオット・スミスが影響を受けたというビッグ・スターの「Thirteen」、ニック・ドレイクの「Sunday」が加えられ全部で16曲の構成となっています。
エリオット・スミスの作品は、彼特有の、繊細でか細い囁くような高音が何より印象的で、美しいメロディと相まって、どこか儚げで痛々しい感情を抱かせます。ところが、メルドーというピアニストは、あまり高音を多用しない、重心の低いピアニストのようで、声質でいうとテノール、弦楽器でいうとチェロのような落ち着いた響きを奏でます。スミスとは対照的です。スミスの繊細で美しい音楽を、おおらかに優しくダークな色調で包み込んでくれる、そんなアルバムです。
また、同じく心のトラブルと格闘した二人が、音楽を通じて会話を重ねているようなアルバムでもあります。そのことを象徴的に表現しているのが、『Everybody cares,Everybody understands』という曲、それに続く『Somebody cares,somebody understands』と連続する二曲。これが、まるで相聞歌のようになっています。前者の曲名をそのまま訳すと「みんなが気にかけ、みんな理解していてくれている」となって、一見、自分を取り囲む周囲の人たちの心遣いに感謝しているようなタイトルに聞こえます。ところが、この曲の内容は「みんなが気にかけ、理解してくれる」とは裏腹に「みんな僕のことを心配してわかったような顔をしてるけど、本当の僕の苦しみなど誰も理解していない」というスミスの心の底の暗闇や苛立ちを歌ったものです。それに対してブラッド・メルドーは「きっと誰かが君のことを気にかけ、理解している」と応答します。「少なくとも僕は理解しているよ」と囁いているようにも聴こえます。
悲惨な死を遂げたスミスでしたが、このアルバムは、ブラッド・メルドーが、彼の音楽によって救われたことへの感謝と安らぎに満ちた音楽です。天国のエリオット・スミスに届くことを願ってやみません。
