浜別所は、なぜ食のまちになれなかったのか。 ――ある架空のまちの、実在する10年
FOODSCAPE Magazine 連載 (この記事は約3分で読めます)
日本地方シリーズ ― 番外編 九州・浜別所市(はまべっしょし)
※浜別所市は架空のまちです。登場する人物・団体・料理はすべてフィクションです。ただし、このまちで起きる失敗は、いずれも日本の各地で実際に起きてきたことをもとにしています。
1 終了報告書を、自分で綴じる
倉田美咲が企画政策課に戻ってきたのは、2024年の春だった。42歳。10年ぶりの古巣で最初に命じられた仕事は、書庫の整理だった。
地下の資料庫には、段ボールが42箱あった。「食のまちづくり推進室」と背表紙に書かれたファイルの束。2014年、32歳だった彼女が、立ち上げメンバーとして自分で作ったファイルだった。事業計画書。会議録。イベントの精算書。そして一番新しい箱には、薄い冊子が1冊だけ入っていた。「食のまちづくり関連事業 終了報告書」。
自分が始めた事業の終了報告書を、自分で綴じる。そういう仕事が、役所にはある。
倉田は椅子を引き寄せ、一番古い箱を開けた。10年前の会議録の1枚目に、若い自分の字でこう書いてあった。「浜別所には、何もないわけではない。ないのは、まとめ方だけだと思う」。
――違ったのだ。まとめ方の問題ではなかった。それが分かるまでに、10年と、たくさんの税金がかかった。
2 会議室で生まれた丼
浜別所市は、2005年の平成の大合併で生まれたまちである。九州の東海岸、山がそのまま海に落ちるリアス式の入り江に、小藩2万石の城下町だった旧別所市の市街地がある。北の旧浜浦町は沖合漁業の漁師町。山あいの旧杉谷町は乾椎茸と柚子のまち。最奥の旧奥畑村には焼畑由来の在来野菜が残っていた。
それぞれのまちには、それぞれの食があった。別所の城下には、瀬付きの魚を胡麻醤油で和えて飯にのせる「ぶえん茶漬け」。浜浦の番屋には、売り物にならない魚を甘辛く炊く「あら炊き」。杉谷の食卓には柚子胡椒と団子汁。ただし「浜別所市の郷土料理」と呼べるものは、存在しなかった。当然だ。浜別所市は、まだ生まれて10年しか経っていなかったのだから。
2014年、特急の通過が決まった年、市は「食のまちづくり推進室」を作った。翌年、ご当地グルメの選定会議が開かれた。倉田はその事務局にいた。
会議は、紛糾した。「魚なら浜浦に決まっている」「城下町の格式は別所にある」「また海の話か。山は関係ないのか」。旧市町の代表たちは譲らず、結論はいつも会議の外で、まちの有力者たちの間で決まっていった。数か月後、コンサルタントが出してきた折衷案が、そのまま採用された。
「浜別所 海山どんぶり」。湾の魚と、杉谷の椎茸と、柚子を全部のせる丼。誰の家の食卓にもなかった料理。誰の記憶にもない味。全員の顔を立てた結果、誰のものでもなくなった一品だった。
会議室を出たとき、倉田は少しだけ違和感を覚えたことを、いまでも覚えている。でもその違和感を、言葉にはしなかった。プロが作った料理はたしかに美味しかったし、写真は映えたし、何より、やっと決まったのだ。
3 熱狂は、日常に降りてこなかった
2016年、海山どんぶりはB級グルメの祭典に出場し、一時はテレビにも取り上げられた。行列ができ、市長が笑顔で丼を掲げた。倉田たち推進室は、確かな手応えを感じていた。
だが、まちに戻ると、丼を出す店は旧別所市街の3軒しかなかった。浜浦の食堂も、杉谷の店も、参加しなかった。「あれはうちの料理じゃなかけん」。それだけだった。悪意ではない。事実を言っただけだった。
イベントの熱狂は、日常の食卓に降りてこなかった。祭りが終わるたび、まちには何も残らなかった。県に補助金を相談すると、魚は水産の課、椎茸は農林の課、観光は観光の課で、海山どんぶりはどの課のメニューにも乗らないと言われた。推進室は市の単費で続けた。
4 建物は建った。それから
2018年、杉谷の道の駅が補助金で大きくリニューアルされ、地産地消レストランが併設された。立地が杉谷に決まった経緯を、倉田は詳しく知らない。ただ「山への配慮」という言葉が、庁内で何度も使われたことは覚えている。
同じ年の市長選で、市政が交代した。新しい市長は「ハコモノより暮らし」を掲げていた。食のまちづくりは「前の市長の政策」になり、推進室の看板は静かに外された。ただし着工済みの施設は止められなかった。翌2019年、港に開業した「浜別所おさかな館」の開館式に、市長は来なかった。
推進の熱は消え、支出だけが残った。2020年、コロナ。おさかな館の入館者は想定の2割で、指定管理者は撤退した。2021年、立ち上げから全部を回してきた佐野課長が異動した。後任は2年ごとに替わり、引き継ぎ書だけが分厚くなった。「前例はあるのか」という問いに、もう誰も答えられなくなっていた。
2022年のある日、海山どんぶりを出す最後の1軒が、静かにメニューから丼を下ろした。気づいた者は、市役所には一人もいなかった。
5 行政の外で、混ざり始めたもの
2023年の秋、旧別所の市街地の空き店舗に、小さな食堂が開いた。
店主は2人。浜浦の若い漁師の妻と、杉谷の柚子農家の息子。品書きは、あら炊きの定食と、柚子胡椒を効かせた団子汁。浜浦の番屋の味と、杉谷の山の味が、一枚の膳の上で初めて出会っていた。補助金は使っていない。市への相談もなかった。まちの誰かに仁義を切ることもなく、2人はただ、自分たちの家の味を出した。
倉田がその店を知ったのは、資料庫の整理を始めた後だった。昼どきに行くと、店は地元の客で埋まっていた。あら炊きを口に運びながら、彼女は10年前の自分の字を思い出していた。「浜別所には、何もないわけではない」――あの認識は、正しかったのだ。間違っていたのは、その後の一手だった。
私たちは、探す前に、創ってしまった。
論考 浜別所の10年から、何を持ち帰るか
浜別所市は架空のまちである。だが、この10年間に起きたことは、どれも実在する。会議室で創られたご当地グルメの多く、全国で約3割が赤字とされる道の駅、初年度だけ賑わう食のテーマ施設、大会の後に日常へ着地しなかったB級グルメ、そしてキーパーソンの異動とともに止まる事業。日本の食のまちづくりの失敗には、はっきりとした型がある。
浜別所の失敗の根は、複雑に見えて、実はただ一つに集約される。「自分たちのまちの食を、探さずに、創ってしまった」ことだ。
『B級ご当地グルメでまちおこし』の著者・俵慎一が示した法則のとおり、料理は創るものではなく、まず探すものである。浜別所には、ぶえん茶漬けがあり、あら炊きがあり、柚子胡椒があった。合併でまちの名前が変わっても、旧町それぞれの台所には根があった。その根から始めていれば、施設もイベントも、違う結果になっていたはずだ。
首長の交代、旧家のしがらみ、役所の前例主義、県の縦割り。浜別所にはたしかに逆風が吹いた。だが、これらは失敗の根本原因ではない。根のある事業は、多少の逆風では倒れない。全州のビビンバも、焼津の鰹節も、政変や不況を越えて残ってきた。倒れたのは、根がなかったからである。
持ち帰るべき糸口を、3つに絞って整理したい。
第一に、料理は創るのではなく、探す。まちの食は会議室ではなく、台所と番屋と畑にある。合併でできたまちなら、無理に一つに束ねず、旧町ごとの根をそれぞれ認めることから始める。「まちの食が複数あること」は弱みではなく、資源である。
第二に、施設とイベントは「根」の後。順番を逆にした事業は、市長交代や人事異動といった、どこのまちにも必ず吹く風で倒れる。建物を建てる前に、その料理が誰の日常に根ざしているかを問うこと。イベントに出る前に、まちに帰ってきた客が食べられる店があるかを数えること。
第三に、行政の外で混ざり始めた小さな芽を、邪魔せず、消さないこと。浜別所の再生の兆しは、市の計画からではなく、若い2人の食堂から生まれた。行政にできる最良のことは、それを「市の事業」に取り込むことではない。続けられる環境を静かに整え、物語として外へ伝えることである。行政はプレイヤーではなく、編集者であればいい。
浜別所市は、どこにもない。しかし、あなたのまちのどこかに、少しずつある。10年後、自分の作った事業の終了報告書を自分で綴じる職員を生まないために――問うべきことは、最初の会議の前にある。「私たちのまちの食は、もう、どこかの台所にあるのではないか」。
あなたのまちの「根」は、どこにあるか
美食都市研究会では、まちの食の資源・歴史・担い手の関係性から、まちの強みの型を可視化する〈美食都市診断〉をご用意しています。海山どんぶりを創ってしまう前に、まず探すことから。自治体・DMO・事業者の皆さま、お気軽にご相談ください。
▶ 美食都市診断のお申し込み・お問い合わせは、美食都市研究会まで。
https://www.gastronomy-city.org/
出典・参考(失敗パターンの実在の根拠)
・俵慎一『B級ご当地グルメでまちおこし 成功と失敗の法則』学芸出版社 https://book.gakugei-pub.co.jp/gakugei-book/9784761512941/
・牛田泰正「『B級ご当地グルメ』その現状と今後の課題」城西国際大学紀要 https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/833-47.pdf
・テレ東プラス(ガイアの夜明け)「約3割が赤字運営…進化した『道の駅』はいま」 https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/business/entry/2022/026210.html
・木下斉「なぜ道の駅は施設を行政が整備し、指定管理料をもらっても経営難に陥るのか」 https://note.com/shoutengai/n/n4c90ae39e3ee
・東洋経済オンライン「『儲かる道の駅』と『赤字の道の駅』にある差」 https://toyokeizai.net/articles/-/202726
・道の駅の廃業事例(北海道伊達市・道の駅登録廃止 2022年ほか)各種報道
・本誌既報:南小国編(思想の継承)、七尾編(泊食分離)、村上編(民間の孤軍)、帯広編(市政交代後の継承)
FOODSCAPE Magazine ── 食がまちを変える|gastronomy-city.org
美食都市研究会 https://www.gastronomy-city.org/
