食の多様性を失った文明は脆い ― じゃがいもが変えた世界史
Text: Foodscape Magazine (この記事は約3分で読めます)
■「ヨーロッパの食べ物」ではなかったじゃがいも
じゃがいもと聞いて、多くの人はヨーロッパを思い浮かべるかもしれない。
ドイツのじゃがいも料理、フランスのグラタン、イギリスのフィッシュ&チップス。寒冷な土地で育つ作物というイメージもあり、どこか「欧州の食文化」を象徴する存在に思える。
しかし、その起源はヨーロッパではない。
原産地は、南米アンデス山脈――現在のペルーやボリビア周辺の高地だ。
しかも、そこで育てられていたじゃがいもは、私たちがスーパーで見かける数種類とはまったく異なる世界を持っていた。アンデスには、標高や気候、土壌条件に応じて、数百から数千ともいわれる在来品種が存在する。
低地向け、高地向け、乾燥に強いもの、寒さに強いもの、色も形も味も異なるじゃがいもたち。
つまり、アンデスのじゃがいも文化とは、「単一の作物」ではなく、多様性そのものだった。
だが、その多様性を失ったとき、ヨーロッパは未曾有の飢饉を経験することになる。
そして、その出来事は、人口構造を変え、国家を揺るがし、現代アメリカ社会にまで影響を与える。
じゃがいもは、単なる野菜ではない。
世界史を変えた作物だった。
■アンデスが育んだ「標高のテロワール」
じゃがいもの故郷であるアンデスは、極めて特殊な地形環境を持つ。
数百メートル標高が変わるだけで、気温、湿度、降水量が大きく異なる。現在のペルーやボリビアの山岳地帯では、同じ地域の中でも複数の気候帯が共存している。
そのため、地域の人々は標高ごとに異なるじゃがいもを育ててきた。
ある品種は標高4,000メートル近い寒冷地で育ち、別の品種は少し低い土地で収穫される。干ばつに強い品種もあれば、病害に強い品種もある。
これはワインのテロワールにも似ている。
土地の条件に応じて、育つ品種が異なる。
つまりアンデスでは、じゃがいもは単なる農作物ではなく、「地形と共に生きる知恵」だった。
重要なのは、その多様性がリスク管理にもなっていたことだ。
仮にある品種が病害で被害を受けても、他の品種が収穫できる。
一つが失われても、全体は失われない。
アンデスの農業は、自然環境の厳しさの中で、多様性を前提に進化していた。

■スペイン人が持ち帰った"本当の宝"
16世紀、スペイン帝国はアンデス地域を征服する。
歴史はしばしば金銀財宝に焦点を当てるが、実は世界を変えたのは鉱物ではなく「食」だった。
じゃがいも、トマト、とうもろこし、カカオ。
新大陸の作物が旧世界へ移動した「コロンブス交換」は、人類史最大級の食の転換点だった。
その中でも、じゃがいもは特異な存在だった。
なぜなら、それは単なる嗜好品ではなく、「人を生かす主食」になったからである。
■なぜヨーロッパはじゃがいもに依存したのか
ヨーロッパでじゃがいもが急速に広がった理由は明確だった。
第一に、痩せた土地でも育つ。
第二に、寒冷地に強い。
第三に、単位面積当たりのカロリー生産量が高い。
小麦が十分に育たない地域でも、じゃがいもなら収穫できた。
しかも、地下で育つため、戦争時に略奪されにくい。
18〜19世紀、ヨーロッパ各地では人口が急増するが、その背景にはじゃがいもの普及があったとも言われる。
ある意味で、産業革命期の労働者たちは、じゃがいもによって支えられていた。
パンだけでは都市は維持できなかった。
じゃがいもは、ヨーロッパの人口増加を下支えする「地下の穀物」だったのである。
■ヨーロッパが持ち帰れなかったもの
しかし、ここに大きな問題があった。
ヨーロッパは、アンデスからじゃがいもを持ち帰った。
だが、持ち帰れなかったものがある。
それが「多様性」だった。
ヨーロッパで普及したじゃがいもは、アンデスの膨大な遺伝的多様性のごく一部に過ぎなかった。
さらに、生産効率を重視する農業の中で、限られた系統のじゃがいもが広大な土地に単一栽培されるようになる。
短期的には効率が良かった。
しかし、それは極めて脆弱な仕組みでもあった。
もし病害が広がれば、全体が一気に崩れる。
アンデスでは「分散」がリスクを減らしていたのに対し、ヨーロッパでは「効率」がリスクを増幅していたのである。
■アイルランド飢饉 ― 一つの作物が国を空にした
1845年、ヨーロッパを襲ったのが「じゃがいも疫病」だった。
特に壊滅的な被害を受けたのがアイルランドである。
当時、多くのアイルランド農民はほぼじゃがいもだけを頼りに生きていた。疫病が収穫を奪うと、食卓から食べ物が消えた。鍋を火にかけても、入れるものがなかった。飢えと疫病で約100万人が命を落とし、さらに100万人以上が船に乗って故郷を捨てた。7年間で人口は800万人から650万人へと激減した。
【注記】数字はWikipedia・日本植物病理学会資料・y-history.netの複数ソースで確認。
多くの人々が渡ったのは新大陸アメリカだった。
今日のアメリカ社会に強い影響力を持つアイルランド系コミュニティの形成にも、この歴史が深く関わっている。
一つの病害が、一つの国の人口構造を変えた。
そして、世界の移民史を変えた。
それほどまでに、じゃがいもへの依存は大きかったのである。
■じゃがいもの歴史は、現代への警告でもある
この話は、単なる歴史の教養ではない。
むしろ、現代社会への警告として読むべきかもしれない。
私たちの食は、かつてないほど効率化されている。
大量生産、大規模流通、均質な品種。
スーパーには美しく整った農産物が並ぶ一方で、実際に栽培される品種は急速に画一化している。
たとえば、ペルー・アンデスには現在も約3,000種の在来じゃがいもが存在する(国際ポテトセンター/CIP調べ)。
一方、世界の食卓に届くじゃがいもは、ほんのわずかな商業品種に集中しているのが現実だ。効率性は豊かさをもたらした。
しかし、気候変動や新たな病害が広がる時代において、その画一化は本当に安全なのだろうか。アイルランドの悲劇から180年が経った今も、問いはそのままそこにある。
じゃがいも飢饉は、過去の悲劇ではない。
それは、単一化したフードシステムの脆さを示す、未来への警鐘でもある。
■そして、アンデスはいま
食の多様性を守る知恵は、今もアンデスで生きている。
いや、むしろ今、その知恵は世界から改めて注目されている。
ペルーは2023年、セビーチェをユネスコ無形文化遺産に登録し、食文化そのものを国家の誇りとして世界へ発信した。
リマのレストランは「世界のベストレストラン50」で頂点に立ち、シェフたちはアンデスの生態系そのものを皿の上で表現しようとしている。
じゃがいもを「多様性の束」として育て続けてきた文明が、いま「美食の国」として世界を動かしている。
偶然ではない、と思う。
食の未来を考えるとき、私たちはもう一度、アンデスの山岳地帯の知恵に学ぶ必要があるのかもしれない。
FOODSCAPE Magazine — 食がまちを変える
調査協力:一般社団法人 美食都市研究会
参考出典
Salaman, Redcliffe N. The History and Social Influence of the Potato
William H. McNeill, Plagues and Peoples
Jared Diamond, Guns, Germs, and Steel
Food and Agriculture Organization (FAO)
International Potato Center (CIP, Peru) ― Potato Facts and Figures
Encyclopedia Britannica(Irish Potato Famine, Potato history)
