包丁で有名な街、堺は、なぜ「食の都」と呼ばれなかったのか。プロの和包丁の9割を作る街が、大阪と京都の影で語られなかった600年
FOODSCAPE Magazine 連載「隠れた美食のまち」第4回・大阪府堺市
(この記事は約4分でお読み頂けます)
本連載の酒田編で、こう書いた。かつて酒田は「西の堺、東の酒田」と並び称された、と(注1)。
では、その「西の堺」は、いま、どうなっているのか。
大阪府堺市。中世には、日本一の自由貿易都市として、ヨーロッパにまでその名を知られた港町である。
千利休を生み、茶の湯を完成させ、世界中の料理人が使う包丁を、いまも作り続けている。それほどの街でありながら——堺が「食の都」として語られることは、ほとんどない。なぜか。
一、自由都市・堺 ── 商人が治めた、富の港
中世の堺は、濠に囲まれた環濠都市であり、有力商人(会合衆)による自治が行われた、日本でも稀な「自由都市」だった(注2)。
南蛮貿易の拠点として、堺には世界中の富と文物が集まった。鉄砲が伝来し、量産されたのも堺である。宣教師は、堺を「東洋のベニス」と評したと伝えられる。
港町に、世界の富と文化が集まる——これは、酒田編、佐渡編でも見た構造である。海の道は、いつも、食と文化を運んでくる。堺は、その日本における最大の結節点の一つだった。
二、千利休と茶の湯 ── 食を「もてなし」に高めた街
堺は、千利休を生んだ(注3)。
利休は、堺の町衆の中から現れ、侘び茶を完成させた。茶の湯は、単なる喫茶ではない。一碗の茶を中心に、空間、道具、季節、そして料理(懐石)を統合した、総合的なもてなしの芸術である。
日本の「食を、もてなしの芸術に高める」という思想の源流の一つが、堺にある。
懐石料理という、日本料理の到達点の一つは、茶の湯から生まれた。旬を尊び、器を選び、客の心を思う。その精神は、いまの日本のガストロノミーの根幹に、脈々と流れている。その源に、堺の町衆の美意識があった。

三、堺打刃物 ── 世界の料理人の包丁、9割は堺から
そして、堺を語るのに、決して外せないものがある。包丁である(注4)。
堺打刃物は、600年の歴史を持つ、日本三大刃物産地の一つ。地金(軟らかい鉄)と刃金(鋼)を鍛接し、職人が一本一本鍛え上げる。
プロの料理人が使う和包丁の、約9割は、堺で作られている。
世界中の和食店、ミシュランの厨房で、料理人が握る包丁。その多くが、堺の職人の手から生まれている。
日本には、「食の道具」を作る街が、いくつもある。そして、そのどれもが、自らを「食の都」とは呼んでこなかった。
包丁を作る街は、その包丁で何を切るかを、誰よりも知っている。堺の職人たちは、世界の料理人が何を求めるかを、刃を通じて、知り尽くしてきた。

四、昆布と、和菓子 ── 茶の湯が育てた食文化
堺の食文化は、刃物と茶の湯から、さらに広がる(注5)。
北前船がもたらした昆布を加工する技術も、堺に根づいた。昆布を薄く削る「おぼろ昆布」は、堺の刃物の繊細な技術があってこそ、生まれた。道具と食材が、ここでも結びついている。
そして、茶の湯は、菓子を育てた。茶席のもてなしに欠かせない和菓子。堺には、400年以上続く和菓子の老舗が、いまも営業している。けし餅をはじめ、堺の銘菓は、茶の湯文化の生きた遺産である。
刃物、昆布、茶の湯、懐石、和菓子。堺は、日本の食文化の、いくつもの源流を、同時に抱えている。
五、なぜ「食の都」と呼ばれないのか
これだけのものを持ちながら、堺が「食の都」として語られない理由を、考えてみたい。
第一に、巨大な隣人の影である。すぐ隣に、大阪という「天下の台所」、そして京都という「日本の食文化の象徴」がある。この二つの巨大な存在の影で、堺の食は、かすんでしまう。酒田が鶴岡の影に隠れたのと、同じ構造が、桁違いの規模で起きている。
第二に、近世以降の地盤沈下である。中世に頂点を極めた自由都市・堺は、江戸時代に幕府の直轄地となり、港も大阪に主役を譲った。栄華の記憶が、かえって現在とのギャップを際立たせる。
第三に、近代以降の「工業都市」イメージである。臨海工業地帯としての堺のイメージが強く、刃物や茶の湯といった食文化の厚みが、見えにくくなっている。
堺は、あまりにも多くを持ちすぎ、そして、あまりにも大きな隣人を持ちすぎた。そのために、自らの食文化を、語る機会を、失ってきた。
六、包丁の街に、食文化がないわけがない
しかし、本連載が繰り返し説いてきたように——食の道具を作る街に、食文化がないわけがない。
世界中の料理人が、堺の包丁を求めて、この街を訪れる。近年、堺の刃物は海外のシェフからも熱い視線を集め、包丁を買い求める外国人観光客の姿も見られるようになった。
「世界の料理人の包丁を作る街」は、それ自体が、唯一無二の食の物語である。
千利休の茶の湯、懐石の精神、おぼろ昆布、400年の和菓子、そして世界の料理人を支える包丁。これらを「堺の食文化」として束ねたとき、この街は、大阪でも京都でもない、独自の食の都として、立ち上がる。
「西の堺、東の酒田」。かつて並び称された二つの港町は、いま、同じ問いの前に立っている。豊かさを持ちながら、それを語る言葉を、まだ持っていない、という問いである。
結び ── 自由都市の、誇りをもう一度
かつて堺は、誰にも支配されない自由都市として、世界に向かって開かれていた。
その開放性が、茶の湯を生み、包丁を磨き、世界の富を集めた。堺の食文化の厚みは、この「世界に開かれた港町」という誇りから、生まれている。
大阪の影でも、京都の影でもない。堺は、堺である。世界の料理人の手の中に、いまも堺の刃が光っている。それは、この街が、いまも世界の食と繋がっている、何よりの証である。
堺が「食の都」と呼ばれる日は、堺が、自らの物語を、もう一度、世界に向かって語り始めたときに、来る。
連載・次回予告
次回は、富山県高岡市。「高岡は、なぜ金沢の影になったのか」。加賀百万石を支えた、銅器と昆布の城下町を辿る。
出典・参考
本稿は、堺市の公的資料・観光情報・報道に基づく。考察・解釈は筆者(美食都市研究会)による。
(注1) 「西の堺、東の酒田」:北前船・海運で栄えた両港を並称した言葉。本連載第2回・酒田編参照。
(注2) 自由都市・堺:中世、濠に囲まれた環濠都市として有力商人(会合衆)による自治が行われた。南蛮貿易・鉄砲生産の拠点。出典:堺市公式、堺観光ガイド、各種歴史資料。
(注3) 千利休:堺の町衆出身。侘び茶を大成し、茶の湯・懐石の文化を確立。出典:堺市文化観光情報、大阪観光局「堺の食文化」。
(注4) 堺打刃物:国指定伝統的工芸品。600年の歴史を持つ日本三大刃物産地の一つ。プロの料理人が使う和包丁の約9割を生産するとされる。出典:堺市公式「堺打刃物」、堺観光コンベンション協会、大阪観光局。
(注5) 堺の昆布・和菓子:おぼろ昆布等の昆布加工、茶の湯文化が育てた和菓子(400年以上の老舗が現存)。出典:大阪観光局「堺の食文化」、各店公開情報。
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(文:美食都市研究会/FOODSCAPE Magazine 編集部)
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