2026-08-08 句会への憧れ

この世の全てのものに正解があると思つてゐる。
普段意識してゐないけれど、気がつくとさう信じてゐる自分がゐる。
多分、世の中のほとんどのことには正解はない。
あるものもあるけれど、あると信じてゐると突然裏切られることがある。
以前、TVのヴァラエティ番組で街ゆく人に鎌倉幕府の成立年を尋ねる企画があつた。ある一定の年齢以上の人は「1192年」と答へる。もちろん、番組では「それは間違ひである」と指摘する。すると街ゆく人の中のひとりが「そんな、変へないでほしい」といふ旨のことを云つた。
そこにはおそらく、「鎌倉幕府の成立年には正解がある」といふ考へがある。学校教育的にはあるのだらうけれど、実際のところ、文治の勅許と頼朝の征夷大将軍任命と、どちらが幕府としての成立にふさはしいかは研究によつても変はるだらう。

句会に行くと、正解はないんだなといふことをしみじみ感じる。
去年今年と六月にNHK短歌・NHK俳句それぞれでその年の三月に行われた大会のやうすを紹介するプログラムを組んでゐた。歌人三人、俳人三人が特選作品や大賞作品について語る番組だ。
おもしろいのは、歌人はなんとなくオブラートに包んだやうな評を述べることのある一方、俳人は真つ向から「この句、どうなんでせうね」とか「この句にはかくかくしかじかな部分があるから自分だつたら取れない」といふやうなことを口にする。
おそらく、歌人も本当は「この歌、どうなのかなあ」とか「自分だつたら取らないなあ、これこれかういふ理由で」といふことがあるはずなのだ。自分の聞き知つた範囲だと、短歌は自身のこと・自身の心境を詠んだいはば自分の分身のやうなものだつたりするので、批判すると作者攻撃になる可能性があるからしない、といふことなのらしい。

句会では、それぞれ自作の句を持ち寄り、誰の句だかわからないやうにして気に入つた句を選ぶ(逆選のある場合もあるが、そこはそれ)。で、「この句のこの措辞がいい」とか「この句は季語が動かない」とか選んだ理由を語り、ほかの参加者から「その通り」とか「さうかなあ」とか「え、違ふんぢやないの」的な反応を得る(多分)。
実を云ふと、自分は俳句を作るやうになつてまだ三年で、その前は「東京マッハ」を見て「句会、いいなあ」「作らない句会、やつてみたいなあ」と思つてゐたクチなのだつた。ところが友人を誘つてみても乗り気ぢやない。
その後小津夜景の句集を読んで衝撃を受けて句作をはじめ、一度だけ句会らしい句会に出たことがある。ほかの参加者はもう常連さんといつた人ばかりで、自分だけ新入りでぽつりとゐる感じで、思つたやうなやりとりはできなかつた。
句会つて、人づきあひの好きな人・得意な人でないとできないんだな。
そのときつくづくさう感じて、以来句会からは少し遠ざかつてゐる。俳句教室のやうなところで句作の結果としての句会のやうなものに参加してはゐるが、人数が多く時間が限られてゐるのでやりとりにはならない。
それが、昨日は自分の選んだ句やさうでないけれど好きな句(選べる句数の関係で選べなかつた句)について思ふことをちよつと述べることができ、参加者からの反応もあつた。
さうさう、この感じだよ、句会に求めてゐるのは。
といふわけで、なにか句会を探してみやうかなあと思つたりしてゐる。

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