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【コラム Vol.18】高額チケットは、愛の証明なのか

ライブにおける高額チケットは、
最初から高額チケットとして現れるわけではない。

最初は、限定とか、
特別とか、応援とか、
そういう少し優しい顔をしている。

前方で見られます。
優先入場できます。
特別なグッズが付きます。
リハーサルが見られます。
メンバーと写真が撮れます。

今日だけです。このチケットだけです。
そう言われると、オタクは少し弱い。

推しのためなら。
今日だけなら。
記念なら。

そうやって、財布の紐が少しずつ緩む。
気づいた時には、
3,000円で入れたはずのライブの横に、
1万円のチケットが並び、
そのさらに上に3万円のチケットが置かれている。

そして誰かが買う。
買われた値段は、次の基準になる。

高額チケットの怖さは、
買う人がいることだけではない。

買う人がいることで、
次の価格が作られることだ。



推し活には、すでに大きなお金が流れている


推し活に使われるお金は、
もはや小さな趣味の範囲ではない。

ある推し活調査では、
推し活人口は約1940万人。
市場規模は約4.1兆円とされている。

年間の推し活出費は、
平均で約21万円。
中央値は約4万円。

平均と中央値に大きな差があるということは、
多くの人はそこまで大きく使っていない一方で、
一部の人が大きく使っているということでもある。

チケット代に関しても、
支払える金額として、
5,001円から10,000円が36%。
10,001円から15,000円が34%。

つまり、1万円台のチケットは、
推し活の中ではすでに
現実的な価格帯になっている。

一方で、
「推しのためなら無限」と答えた層も27%いる。
この数字は、かなり嫌なリアリティがある。

本当に無限に払える人など、
ほとんどいない。
それでも、推しのためなら上限を決めたくない。
多少無理をしてもいい。高くても行く。
そういう心理はある。

推し活は、
好きなものを好きと言いやすくした。
それ自体は良いことだと思う。
ただ同時に、好きという感情に
値札を貼る技術も、かなり洗練されてしまった。

推しに会いたい。
推しに近づきたい。
推しに認知されたい。
他のオタクより少しだけ特別でいたい。

そういう感情は、
市場にとってかなり扱いやすい燃料である。

これは単なる値上げではない。
ファン心理のマネタイズである。

運営側も、そこを見ている。
好きだから払う。
しかし、その好きにつけられる値札が、
少しずつ上がっていく。

問題は、そこにある。


高額チケットにも、説明できるものはある


高額チケットといっても、
全部が同じではない。

前方エリアに入れるチケット。
優先入場できるチケット。
ライブ以外の特典が付くチケット。

この三つは、
似ているようでかなり違う。

前方エリア型は、まだ説明がつく。
近くで見たい人は前方を買う。
安く見たい人は後方で見る。
場合によっては、後方エリアが安かったり、
無料だったりする。

前方を高めにすることで、
後方の安さを支えている面もある。
ニーズの分け方としては、一定の合理性がある。

優先入場型も、
すべて否定するつもりはない。
いわゆる万チケである。
通常チケットが3,000円前後だとして、
優先入場チケットが1万円前後になる。
自分はWACK系列でよく見た形式だ。

高い。
普通に高い。
ただ、ライブハウスでは入場順が位置取りに直結する。
撮影可能な現場なら、前方の価値はさらに上がる。
最前付近で撮れるか。
障害物なく撮れるか。
表情を抜けるか。
動画を残せるか。
撮る側からすれば、そこには明確な差がある。

自分自身も、カメコ的な感覚で言えば、
レベルの高いライブをするアイドルを、
最前付近で撮影できるなら、
1万円はありかもしれないと思って
買っていた時期がある。

だから、前方エリア型や優先入場型を、
まとめて悪だと言いたいわけではない。

問題は、それが常態化した時である。
フロアの前方が、
熱量の場所ではなくなる。
早く来た人の場所でもなくなる。
支払額の場所になる。

ライト層。
通常層。
高額層。

同じライブに来ているはずなのに、
入口の時点でファンが分けられる。
これは、ファンのセグメント化である。

仕組みとしてはよくできている。

ただ、
現場としてはかなり嫌な設計である。


一番危ういのは、付加価値型である


一番判断が難しいのは、付加価値型である。
ライブを見ること以外に、特典を付けて高く売る。

全員チェキ。
オフ会。
手紙。
限定グッズ。
リハーサル見学。
メンバーとの写真。

前回のコラムで書いた、
限定Tシャツ付きチケットも、
この付加価値型に入るだろう。

これが難しいのは、
値段の根拠がかなり見えにくいからである。

前方エリアなら、近くで見られる。
優先入場なら、先に入れる。
そこにはまだわかりやすい差がある。

でも、付加価値型は違う。
何にいくらの価値があるのかが、
かなり曖昧になる。

全員チェキにいくらなのか。
リハ見学にいくらなのか。
オフ会にいくらなのか。

その価格は、基本的に運営が決める。
ファンは、限定という言葉と、
推しに近づけるかもしれない期待に対して、
お金を払う。

一見すると、Win-Winに見える。
欲しい人が買う。
いらない人は買わない。

それでいいようにも思える。
ただ、ここで売られているのは、
単なる特典ではない。

あなたはどこまで払えますか、
という確認でもある。

サービスへの課金というより、
ロイヤリティ課金に近い。
忠誠心の課金化である。

どれだけ好きかを、
どれだけ払えるかに置き換えていく。
その変換が始まった時、
高額チケットはただの選択肢ではなくなる。

財布の踏み絵になる。



特別な日の高額と、日常の高額は違う


高額チケットにも、
まだ理解できる場面はある。

たとえば、本当に特別なライブ。
解散ライブ。
東京ドーム。
結成何周年。
グループの節目。
もう二度と見られない公演。

そういう場面で、
10万円クラスのチケットが出ることがある。

有名なところで言えば、
BiSHは東京ドームでの解散ライブにおいて、
最前列で観覧できる権利などを含む、
かなり特殊な高額チケットを出していた。

その最後の特別な日なら、高額でも
購入に踏み切る人がいることは想像できる。

一般的な感覚では高い。
かなり高い。
それでも、文脈としてはまだ理解できる。

一生に一度かもしれない。
最後かもしれない。
特別な日かもしれない。

そういう理由がある。

問題は、それほど大きな文脈がない場所でも、
同じようなチケットが売られていることである。

500人規模のライブハウスで
節目のライブをするレベルのグループが、
10万円や12万円のチケットを出す。

通常のワンマンで1万円。
全国ツアーで3万円。
周年や節目で10万円や12万円。

そういう現場が、もう存在している。
これは未来の話ではない。
すでにある。


世界的なアーティストの来日公演で、
VIPチケットが高いなどとSNSで
批判されることがある。

その一方で、地下アイドルの現場では、
それに近い金額、あるいはそれ以上のチケットが、
普通に売られている。

しかも、一定数が売れている。

外から見れば、
あそこに集まっている人たちの金銭感覚は、
かなり異様に見えるはずである。
でも、中にいると少しずつ慣れてしまう。

ここが怖い。


価格アンカリングとしてはよくできている


高額チケットの怖さは、
一回高いチケットが出ることだけではない。
その価格が、次の現場の床になることだ。

1万円が売れる。
すると、1万円は特別ではなくなる。

次に3万円が出る。
それも売れる。
すると、3万円も選択肢になる。

10万円や12万円が売れる。
すると、それすら異常ではなく、
上位チケットの一つとして扱われ始める。

これはチケット・インフレーションである。
価格が上がるだけではない。
感覚も一緒に上がる。

さらに厄介なのは、高い価格が置かれることで、
その下の価格が相対的に安く見えてしまうことだ。

3万円があると、1万円がまだ常識的に見える。
10万円があると、3万円が中間に見える。

12万円があると、
10万円すら既存の上位チケットに見えてくる。

価格アンカリングとしては、よくできている。
ただし、現場としてはかなり嫌な設計である。

自分が買わなければいい、という問題ではない。
誰かが買えば、運営は学習する。
この価格でも売れる。
この特典でも売れる。
このくらいならファンは払う。
そう判断される。

そして次回、また同じような価格が出る。
場合によっては、少し上がる。

ファンの可処分所得には限界がある。
でも、高額チケットの価格には、
運営が付けようと思えば上限がない。

それを繰り返していくと、
高額チケットはイベントではなくなる。

現場の習慣になる。

負の慣習になる。


特典のシュリンクフレーション


高額チケットの問題は、
値段が上がることだけではない。

同じ金額で得られるものが、
少しずつ薄くなることもある。

いわば、特典のシュリンクフレーションである。

以前は1万円のチケットでも、
全員チェキに加えて、
個別チェキ券が付いていた。

さらに、
その時々のライブにちなんだ特別な体験もあった。
楽屋を訪問できる。
メンバーと一緒に、
そのライブならではの出来事に参加できる。

良いか悪いかは別として、
少なくとも当時の1万円には、
通常チケットとは明確に違う時間があった。

ところが、
いつの間にかその体験は1万円の棚から消えた。
今や残ったのは、優先入場と全員集合チェキ。
もちろん、それにも価値はある。

ただ、以前を知っている人間からすると、
かなり痩せたように見える。

そして時間を置いた今、
その消えた体験に近いものが、
3万円の特典として戻ってきている。

これはかなり引っかかる。
単に特典がなくなったのではない。
一度消えた体験が、
別の値札を貼られて帰ってきたように見える。

昔なら1万円で触れられた特別が、
今では3万円の側に置かれている。
これは、体験のプレミアム化である。

もっと嫌な言い方をすれば、
思い出の値札の貼り直しである。
価格を上げました、とは言わない。
ただ、体験の置き場所を変える。
下のチケットから特別を抜き、
上のチケットに移す。

そうすれば、見た目上は自然な特典整理に見える。
でも、継続して通っているオタクにはわかる。

前はこの値段でここまでできた。
前はこの体験がここにあった。
前は1万円に、もう少し特別の重みがあった。
その記憶がある。

最近来たオタクは違う。
最初からそういうものとして受け取る。
1万円ならこのくらい。
3万円ならこのくらい。
10万円ならもっと上。

そういう価格表を、
現場の自然なルールとして見てしまう。

値上げは、数字だけで起きるわけではない。
同じ金額の中身が薄くなることでも起きる。
一度消した体験に、
あとから別の値札を貼ることでも起きる。

そして、
その薄さに慣れた時、
現場の価格感覚はまた一段変わる。


小遣いは無限ではない


ある妻帯者のオタクが言っていた。

小遣いは無限ではない。

当たり前である。

しかし、この当たり前が、
高額チケットの話になると急に忘れられる。
普通は、そんなに自由に使えるお金はない。

誰しも生活がある。
家賃がある。
食費がある。
家族がいる。
将来がある。

趣味に使える金額には、普通は上限がある。

若いファンならなおさらである。
学生や若い社会人が、
毎週のように1万円や3万円を払えるはずがない。

もし3万円を使うなら、
他にも選択肢はいくらでもある。

別のグループを何本も見られる。
遠征もできる。
服も買える。
友人と飲みにも行ける。
生活を少し楽にすることもできる。
夢を追うこともできる。

それでも、ある一つの特典付き
チケットに3万円を使う。
これは、かなり特殊な選択である。

だから、
若いファンが少なくなるのは当然だと思う。

入口は安いと言うかもしれない。
通常チケットは安いと言うかもしれない。
でも、現場の中心に高額チケットが
置かれていると、若い人は空気でわかる。

ここは金がかかる現場だ。
深追いすると危ない現場だ。
そう感じる。

若者が来ないのではない。
若者が入り続けにくい構造を作っている。



そして、これから話す部分は
特定の誰かの人生を笑う話ではない。

消費者の孤独や承認欲求が、
かなり正確に商品設計へ組み込まれている
という話である。

ではこれらの高額の商品を購入するのは
どのような層であろうか。

若者ではない。
妻帯者でもない。
これからの生活に金を使う若者でも、
家庭や子供に情熱を向ける人でもない。

収入があり、自由に使える金があり、
それでいて、その金の行き先が
推しに集中しやすい男性オタクである。

かなり嫌な言い方をすれば、
孤独と可処分所得を抱えた独身男性オタク。

そこに、限定を置く。
優先を置く。
特別扱いを置く。
他のオタクに見える特典を置く。

そうすれば、金は出る。
これは偶然ではない。

的確なオタクマーケティングである。

商売としては、かなり正しい。
狙うべき相手に、
狙うべき言葉を置き、
狙うべき特典を並べている。

ただ、的確であることと、
健全であることはまったく別の話である。

彼らにそれを突きつけるのは、
少し酷かもしれない。
ただ、ここでは書く。

これは愛へのご褒美ではない。

孤独と承認欲求に対する、
かなりよくできた課金導線である。


3万円が定期公演に降りてくる


あるグループの話をする。
名前は出さない。

ただ、見る人が見ればわかるかもしれない。
別にわかって良いと思って書いている。

そのグループは、
ある事務所の流れを汲んで生まれた経緯もあり、
初期から高額チケットの文化を持っていた。

これは、当初から悪しき習慣を
受け継いでいる部分があると思っていた。

このグループはかなり特殊な存在でもある。
地下アイドルやライブアイドルの多くは、
基本的には対バンイベントを中心に活動している。

ワンマンライブは、
何か月かに一回できれば良い方。
そんな現場がほとんどだ。

しかしそのグループは、
毎週のように単独ライブを行っている。
定期公演もこれにあたるだろう。

これは、そのグループを見たい人にとっては、
かなり良い環境でもある。

毎週見られる。
対バンではなく、そのグループだけを見られる。
曲数もある。
空気も濃い。

一方で、他グループとの接点は少なくなる。
外の現場と混ざりにくい。
独自のファン層が育つ。
独自の価格感覚も育つ。

そこで万チケの価値が定められ、
少しずつ育てられてきた。

そして今、四半期に一度の全国ツアーや
特別な場で見ていたような3万円のチケットが、
毎週の定期公演にも導入されるという話を聞いた。
ここで、かなり引っかかった。

3万円である。

その特典は、
リハーサル鑑賞。
特別な写真。
ライブ前の掛け声を言う権利。

そういったものらしい。

もちろん、
価値を感じる人はいるだろう。

リハーサルとはいえ、
ライブ前の特別な時間を見られる。
メンバー全員と写真を撮れる。
自分がライブ前の掛け声を言える。

そういう体験に、
特別感を覚える人はいる。
そこは否定しない。
ただ、それが3万円の価値なのか。
自分には、かなり疑問である。

しかも、その定期公演は、
通常チケットでも快適に見られる。
ソールドするわけでもない。
集客は毎回およそ50人前後。

通常チケットはかなり安い。
整理番号によっては、通常チケットでも
最前で見られる可能性があるくらいだ。

つまり、ライブを見ること自体において、
3万円を払わないと成立しない状況ではない。
それでも、3万円のチケットが出る。

これは、ライブを見るための価格ではない。
特別扱いに対する価格である。
そして、
その特別扱いが定期公演に持ち込まれた。

少し前まで、その定期公演の最高ランクの
チケットは、5,000円だった。
そこから1万円になった。
そして3万円になる。

数年の出来事ではではない。
数か月間の出来事である。

今の世の中では、
数円、数十円、数百円の値上げでも批判が出る。
物価が上がった。
生活が苦しい。
趣味に使えるお金も限られている。
そういう空気がある。

その中で、
ライブアイドルの定期公演チケットが、
5,000円から1万円、そして3万円へ上がる。
しかも、毎週のように行われる定期公演である。

もちろん、
全部の人が3万円を払うわけではない。
通常チケットで見ればいい。
そう言われるかもしれない。

でも、
最高ランクの価格が上がることには意味がある。
現場の天井が上がる。
天井が上がると、
その下の価格も上がりやすくなる。

かつて高かったものが、普通に見え始める。
1万円が高額ではなく、中間になる。
3万円が最上位として置かれる。

そして、10万円や12万円はすでにある。
次に15万円が出ても、もう驚けない。

そういう道筋が見える。

だから怖い。


高額特典は、階層を可視化する


高額チケットには、もう一つの問題がある。
特典が他社に見えることだ。

高額チケットでもらったグッズを身にまとって、
毎回ライブに来る人がいる。

特典で得た体験を、
嬉しそうにSNSに上げる人がいる。

本人に悪気があるかはわからない。
おそらく、純粋に嬉しいのだと思う。
記録として残したい。
推しに見てほしい。
自分の体験を共有したい。

その気持ちはわかる。

ただ、未購入者から見ると、
高額特典の報告は、特別扱いの可視化になる。
楽しかった体験の共有が、
見る側には階層の通知として届くことがある。

上位チケットを買った人だけが、
通常チケットでは入れない場所にいて、
通常チケットでは得られない体験をしている。

その事実が、写真や投稿によって、
かなりはっきり見えてしまう。
本人がマウントを取るつもりでなくても、
構造としてそう見えてしまう。

これは、承認欲求のマネタイズでもある。

特典は体験であると同時に、
SNSで見せられる証拠にもなる。
高額チケットは、
チケットサイトの中だけで完結しない。

SNSに上がる。
周りが見る。
次は自分も欲しくなる。
また売れる。

特別扱いを受けたオタクは、
その特別扱いを記録として投稿する。
本人にとっては、
楽しかった日の記録なのだろう。

ただ、構造として見れば、
それは運営が作った欲望の循環に、
自分の承認欲求を燃料として
差し出している状態でもある。

運営からすれば、かなり都合がいい。
売上が立つ。
体験がSNSで拡散される。
次の購入欲まで育つ。

一方で、投稿したオタクも満たされる。
自分だけの体験を得た。
それを見せることもできた。
承認欲求も満たされる。

ある意味では、
見事なWin-Winである。

ただし、そのWin-Winの外側で、
買わなかった人間の疎外感と、
現場の階層だけが濃くなっていく。


新規が最初に見るもの


今回、さらに気になることがある。

そのグループは、今回、
新メンバー加入後のタイミングを迎える。

新メンバーの前世から来るオタクもいるだろう。
新体制をきっかけに、
一度見に行ってみようと思う新規もいるだろう。

その人たちが、
チケットサイトを開く。
そこには、3万円のチケットがある。
1万円のチケットがある。
その下に通常チケットがある。
さらに、それぞれの特典が並んでいる。

まだライブを見ていない。
まだ現場の温度も知らない。
まだメンバーの魅力も、
自分の目では確かめていない。

その段階で、いきなり価格表の階層を見せられる。
これは、かなり重い。

新規が最初に見るものが、ライブの熱ではなく、
価格表の階層だったとしたら、
その現場はかなり入り口を間違えている。

通常、1万円、3万円、10万円。

チケットページに並んでいるのは、
価格ではなく階層である。

これはかなり露骨な、
階層化マーケティングに近い。

自分が新規の立場だったら、こう思う。
この現場に深く入ると、
大変なことになりそうだな。
これは危ない世界かもしれないな。
ライブを見る前に、そう感じてしまう。

世界的なアーティストのライブでも
買おうとしているのかと、
チケットサイトを二度見するかもしれない。

それくらい、3万円という数字は重い。
通常チケットは安い。
それは入口として機能している。

ただ、入口の横にいきなり3万円の階段がある。
しかも、その階段を上がる人たちが、
現場の中心に見える。

それは新規にとって、かなり圧がある。


商売としては的確で、ライブアイドルとしては危うい


ここまで書いてきたことは、
商売として見ればかなり的確である。

高く払える人に、
高く払う理由を用意する。

特別扱いを欲しがる人に、
特別扱いを売る。

承認欲求を持つ人に、
SNSで見せられる体験を渡す。

前方で見たい人に、前方を売る。

近づきたい人に、
近づけるように見える特典を置く。

これはマーケティングとしては、かなり正しい。
客単価を上げる。
上位層を逃さない。
高額層に追加支出させる。
SNSで次の需要を作る。

よくできている。
本当に、よくできている。

ただ、マーケティングとして“できる”ことと、
消費者であるオタクの心理や金銭感覚を
本当に掴めていることは、まったく別の話である。

高額チケットを出せば、
短期的には売上を作れるかもしれない。
買う人もいるだろう。
SNSで特別な体験が拡散されれば、
次に欲しがる人も出るだろう。

しかし、それで現場の不満が消えるわけではない。
むしろ、見えないところで少しずつ溜まっていく。

前はこの値段でここまでできた。
最近、特典が薄くなった。
通常チケットだと置いていかれる感じがする。
新規には入りづらい。
若い人が続きにくい。
ライブよりチケット表の方が目立っている。

そういう小さな違和感が、現場の中に残っていく。
高額チケットは、
買った人には一瞬の満足を与える。

しかし、買わなかった人には、
小さな疎外感を残す。

そして、その疎外感は毎回少しずつ積み上がる。

そうして、一人また一人と、
現場を去っていくのだと思う。

急に怒って去る人ばかりではない。
ある日ふと、行かなくてもいいかと思う。
次のライブを見送る。
チケットページを開かなくなる。
SNSも見なくなる。

そして少し時間が経ってから、
思うのかもしれない。

なぜ自分は、
あんなことに大金を使っていたのだろう、と。

その時、運営はたぶん気づかない。
売れたチケットの数字は見える。
でも、静かに冷めていった人の温度は見えない。

ここが怖い。

商売としては的確である。

だが、その的確さによって、
ライブアイドルとしての価値すらも
少しずつ下がっていく。

なぜなら、ライブで勝負するはずのグループが、
ライブの外側で差を作り始めるからである。

そのグループは、
ライブアイドルであることを強く打ち出している。
ライブで生き様を見せる。
ライブで勝負する。
そういう言葉が似合うグループだと思う。
だからこそ、余計に引っかかる。

ライブで勝負すると言いながら、
一番高い値札が付いているのは、
ライブそのものではない。

リハ鑑賞。
特別写真。
掛け声の権利。
どれも、ライブの周辺にある体験である。

開演前の数十分。
ステージ外の一枚。
本編が始まる前の特別扱い。
そこに3万円の値札が付く。

もちろん、
特典を付けること自体が悪いとは言わない。
ただ、ライブアイドルを名乗るなら、
一番濃い価値はライブ本編に置いてほしい。

3万円払った人だけが見られる熱ではなく、
通常チケットで入った人にも届く
熱で勝負してほしい。

本来、ライブアイドルの看板は、
特典表に書くものではない。

ステージで証明するものである。

それなのに、高額チケットが前に出すぎると、
見え方が変わる。

ライブで勝負しているグループなのか。
特典で客単価を上げているグループなのか。
その境界が、少しずつ曖昧になる。

かなり嫌な言い方をすれば、
ライブアイドルという看板を掲げながら、
ライブの外側で財布を開かせている。

これは本末転倒だと思う。
客単価で熱量を測るな。
フロアに向けるべき熱を、
チケットの階層に逃がすな。

そう思ってしまう。


最後に


高額チケットを買う人を、
ただ責めたいわけではない。

買いたい気持ちはわかる。
近くで見たい。
撮りたい。
特別な体験をしたい。
推しに覚えてほしい。
ほかの人より少しだけ近い場所にいたい。

その感情は、オタクならわかる。
自分にもあった。
だからこそ、余計に怖い。

高額チケットは、
その気持ちをかなり正確に突いてくる。

あなたはどれだけ好きですか。
どれだけ払えますか。
どこまでなら出せますか。
推しのためなら、ここまで来られますか。
そう聞いてくる。

そして、買った人は特別な体験を得る。
買わなかった人は、それをSNSで見る。
その繰り返しで、現場には階層ができる。

好きな気持ちは同じでも、
見える景色が支払額で変わる。
これが、高額チケットの一番残酷なところである。

愛は自由である。
でも、愛を価格で並べ始めると、
現場はかなり歪む。

愛を証明するために3万円が必要なら、
その現場はもう、
ライブを見る場所ではなく、
支払い能力を確認する場所に近づいている。

高額チケットがすべて悪いとは思わない。
前方エリアを買う人がいていい。
優先入場を買う人がいていい。
特典に価値を感じて買う人がいてもいい。

ただ、高額チケットが常態化することには、
はっきりと危うさがある。

1万円が普通になり、3万円が定期公演に入り、
10万円や12万円が節目のライブに置かれる。
それはもう起きている。

そして次に、15万円が置かれても
不思議ではない場所まで来ている。
この流れを、
ただの需要と供給で片づけていいのだろうか。

自分が買わなければいい。
それだけで済むのだろうか。

済まないと思う。
高額チケットは、個人の買い物であると同時に、
現場全体の価格感覚を変えていく。
買う人がいることで、次の価格が作られる。
その価格が、次の現場の空気を作る。

だから、買う側にも少しだけ自覚は必要だと思う。

自分が買った一枚が、
次の高額チケットを呼ぶかもしれない。
自分が喜んで載せた特典が、
次の誰かの焦りを煽るかもしれない。
自分の満足が、
現場の階層を少し強くするかもしれない。

それでも買うなら、それは自由である。

ただ、それを愛の証明みたいな顔で
並べることには、かなり抵抗がある。


高額チケットは、愛の証明なのか。

私は、そうは思わない。
少なくとも、愛の証明であってほしくはない。

好きな気持ちに値札を貼り、
その値札を少しずつ上げていくことを、
現場の文化にしてはいけない。
それは応援ではなく、いつか現場を狭くする。

ライブアイドルなら、ライブで勝負してほしい。
特典の濃さではなく、
チケットの階層でもなく、
支払額で分けられた景色でもなく、
ステージそのもので勝負してほしい。

高額チケットを買える人だけが、
そのグループを深く楽しめるような
現場にはなってほしくない。

通常チケットで来た人にも、
新規で来た人にも、
若いファンにも、
たまたま後ろで見た人にも、
ちゃんと届くライブであってほしい。

ファンの財布でライブアイドルを名乗るな。

ステージで全てを見せてほしい。


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