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【コラム Vol.1 】距離を置いた方がいいオタクを見分ける個人的メモ:SNS編

これは誰かを晒すための記事ではない。

ただ、アイドル現場やSNSを見ていると、
「あ、この人とは少し距離を置いた方がいいかも」
と思う瞬間がある。

今回はその個人的なメモである。

推し活に熱量があること自体は、
悪いことではない。

好きだから感想を書きたい。
好きだから広めたい。
好きだから反応したい。
好きだから少しでも覚えてほしい。

その気持ちはわかる。

ただ、
熱量は免罪符ではない。

好きという気持ちが大きくなりすぎると、
たまに他人の玄関先まで来てしまう。

本人は綺麗な花束を持っているつもりでも、
受け取る側からすると、
急にインターホンを鳴らされている感じがある。

SNSは特にそれが見えやすい。

リプ。
アイコン。
プロフィール。
宣伝の仕方。
お気持ち表明。

そこには、
その人の距離感がけっこう出る。


おはように人生を乗せすぎない


まず気になるのは、
推しの投稿に対するリプが長すぎる人だ。

たとえば推しが、
「おはよう」
と投稿する。

それに対して、

「おはよう!今日も朝から寒いね。自分は昨日仕事で嫌なことがあって、でも〇〇ちゃんの投稿を見たら元気出ました。今日も〇〇ちゃんが笑顔で過ごせますように。ちなみに昨日のライブのあの表情が忘れられなくて……」

みたいなリプをしている人。

長い。

おはように対して、
人生を乗せすぎている。

推しに気持ちを伝えたいのはわかる。
好きだから言葉が多くなる。
毎回何か返したくなる。
自分の存在を少しでも覚えてほしい。

その感情も、
まあ、わからなくはない。

でも、
朝の挨拶に対して、
自分語りを3行も4行も積み上げているのを見ると、
「この人、推しを窓口にして自分の感情を処理していないか?」
と思ってしまう。

推しはカウンセラーではない。

もちろん、アイドル側もファンの言葉に
救われることはあると思う。

でも毎回、
自分の生活、
自分の寂しさ、
自分の傷、
自分の承認欲求を、
推しの投稿欄に置いていくのは少し重い。

それはリプというより、
感情の置き配である。

しかも着払い。

受け取り拒否もしづらい。


その朝の挨拶、誰に向けているのか


これは本当に個人の感覚なのだが、
一般人なのに毎日おはようツイートしている人。

あれは何なのだろう。

いや、別に自由だ。
SNSは自由だし、
朝の挨拶をすること自体は何も悪くない。

ただ、毎朝きっちり、
「おはようございます!
昨日は................
.................今日も一日頑張りましょう!」
みたいな投稿をしているオタクを見ると、
一瞬だけ脳がバグる。

お前がアイドルなのか?

いや、
もしかしたら自分の感覚がおかしいのかもしれない。

毎朝誰かに向けて挨拶をすることは、
健全な生活習慣なのかもしれない。

でも、
アイコンが推しとのチェキで、
プロフィールに現場歴が並んでいて、
毎日おはようツイートをしているアカウントを見ると、
どうしても思ってしまう。

これは、
誰に向けたモーニングコールなのか。

そして、
誰からの「おはよう待ち」なのか。

別にいい。
別にいいのだが、少しだけ怖い。

誰にも頼まれていない朝礼が、
毎朝タイムラインの片隅で開かれている。

出席する義務はないのに、
それが毎日、目に入る。


推しの顔を借りて話すということ


推しをアイコンにしている人も、
正直かなり気になる。

もちろん、
推しの顔が好きなのはわかる。

ビジュアルが良い。
写真が良い。
その一枚を見ているだけで元気が出る。
そういう気持ちはわかる。

ただ、
SNSのアイコンに推し本人の写真を使うのは、
普通に考えるとかなり危うい。

まず、その写真は誰のものなのか。

公式写真なのか。
ライブ写真なのか。
雑誌やWeb媒体の写真なのか。
誰かが撮った写真なのか。
スクショなのか。

写真には撮影者や権利者がいる。
推し本人にも、
当然ながら本人の顔としての権利や尊厳がある。

つまり、
「好きだから使ってます」
だけで全部許されるわけではない。

法的にどこまでアウトかはケースによるとしても、
少なくとも、何の権利でそれを
自分の顔みたいに掲げているのか、
という話ではある。

しかも、
本人や公式と誤解されるような見え方をしているなら、
なおさら危うい。

ファンアカウントとして運用するなら、
せめて本人ではないこと、
公式ではないことがわかる形にする必要はあると思う。


ただ、
もっと大事なのはここからである。

推しをアイコンにしているなら、
そのアカウントで変なことを言うな。

悪口を言うな。
お気持ちで暴れるな。
他人を攻撃するな。
気持ち悪い発言をするな。
現場の愚痴を撒き散らすな。

なぜなら、
その発言の横には推しの顔があるからだ。

あなたの言葉なのに、
画面上では推しの顔がしゃべっているように見える。

これはかなり重い。

本人は、

「自分のアカウントだから自由」

と思っているのかもしれない。

でも、
アイコンに推しを使った瞬間、
その自由には推しの顔がくっついてくる。

推しの顔でお気持ち表明。
推しの顔で悪口。
推しの顔で他人を攻撃。
推しの顔で気持ち悪いリプ。
推しの顔で現場批判。

それはもう、
自分の評判だけを下げているのではない。

最悪の場合、
推し本人の印象まで巻き込む。

「この人のファン、なんか怖いな」
「この界隈、面倒くさそうだな」
「このアイドルのオタク、攻撃的だな」

そう思われる可能性がある。

推しを広めたいはずなのに、
推しの入口で自分が事故物件になっている。

これは本当に考えた方がいい。

推しの写真をアイコンにするなら、
それはもう、
小さな看板を背負っているのと同じだと思う。

その看板で何を言うのか。
誰に絡むのか。
どんな空気を撒くのか。

そこに責任を持てないなら、
推しの顔を使わない方がいい。

自分の顔でも、
風景でも、
飯でも、
猫でも、
謎の初期アイコンでもいい。

少なくとも、自分の発言の責任は自分のアイコンで
受け止めた方がいい。

推しの顔を借りて暴れるな。

それは応援ではなく、
推しの信用を担保にした自分語りである。

そしてその担保、
あなたのものではない。


広めたい気持ちが圧になるとき


最後に、
謎にSNSで宣伝に命をかけている人。

これも判断が難しい。

自分のアカウントで宣伝をつぶやいている分にはいい。
それは好きにやればいい。

「このライブ良かった」
「この曲を聴いてほしい」
「この子たち、本当に今見ておいた方がいい」

そうやって自分の場所で熱を出している分には、
むしろ健全だと思う。

好きなものを好きだと言うことは、
推し活の一番まっとうな形でもある。

ただ、
その熱が自分のタイムラインを飛び出して、
他人の通知欄まで出張し始めると、
少し話が変わってくる。

好きなグループを広めたい。
ライブに来てほしい。
新規を増やしたい。

その気持ちは美しい。

実際、
ファンの投稿をきっかけに興味を持つ人もいる。

ただ、たまにいる。
自分がアイドルか、
運営か、
広報担当か、
プロデューサーか何かだと思っている人。

エゴサして、
グループ名を出している人に片っ端から絡みに行く。

「ぜひ現場来てください!」
「この子たち本当にすごいので!」
「初めてなら〇〇がおすすめです!」
「ちなみに次のライブは……」

熱心だ。

熱心なのはわかる。

でも、
FF外から急に知らないオタクが飛んでくるのは、
普通に怖い。

それがアイドル本人や公式アカウントならわかる。

でも、
知らない一般人が、
突然営業マンのように現れる。

しかも、
善意の顔をしている分、断りづらい。
これはかなり圧がある。

リプ返した方がいいのかな?
いいねくらいはつけとくか。
気持ち悪いから無視しておこう。
……反応は様々だが、
面倒なことには巻き込まれたくないものだ。


これらはつまり、玄関を開けたら、
推し活の訪問販売が笑顔で立っているようなものだ。
しかもパンフレットが厚い。

宣伝したい気持ちはわかる。
でも、推しを広めたいという気持ちが強すぎて、
相手の距離感を無視してしまうと、
その熱意は宣伝ではなく圧になる。

そして最悪の場合、
グループの印象まで少し重くなる。

推しのためにやっているつもりが、
推しの入口に自分の看板を立ててしまっている。

それは少し考えた方がいい。


結局、全部「距離感」の話


こうして並べてみると、
SNSで距離を置いた方がいいオタクの特徴は、
結局ひとつに集約される気がする。

距離感である。

推しとの距離。
他のオタクとの距離。
SNSでの距離。
自分の熱量と、他人の生活との距離。

熱いことは悪くない。
むしろ、熱量があるから現場は面白い。

でも、熱量は免罪符ではない。

「好きだから」
「応援してるから」
「広めたいから」
「正しいことを言っているから」

その言葉で、
他人との境界線を越えていいわけではない。

SNSのやばさは、
見た目ではなく、言葉の置き方に出る。

リプの長さ。
アイコンの選び方。
知らない人への絡み方。
推しの名前を使った自己主張。

そういう小さなところに、
「あれ、この人、自分と他人の境界線が薄いな」
という気配が出る。

その感覚は、
たぶんだいたい合っている。

もちろん、
自分も誰かから見たら、
十分やばいオタクなのかもしれない。

現場に通って、
写真を撮って、
SNSに感想を書いて、
こんな文章まで書いている時点で、
一般社会から見たらまあまあ怪しい。

だからこそ、
せめて自覚だけは持っていたい。

自分の好きが、
誰かの邪魔になっていないか。

自分の熱量が、
誰かの逃げ場をふさいでいないか。

自分の正義が、
ただの承認欲求になっていないか。

距離を置いた方がいいオタクを見分ける個人的メモ。

それは結局、
他人を見るためだけのセンサーではなく、
自分がそっち側に行かないためのセンサーでもある。

近すぎる愛は、
応援ではなく、
たまに騒音になる。

しかも本人だけが、
それを拍手だと思っている。



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