【コラム Vol.19】自由と階層と運営設計 -対立のトライアングル-
選択肢であり、階層でもある
高額チケットについて前回書いたあと、
別の意見を聞いた。
価格はどうでもいい。
見合ったものがあるなら買うだけ。
欲しい人が買えばいい。
選択肢が増えることは、
悪いことではない。
そういう意見である。
これは、かなり正しいと思う。
少なくとも、感情だけで否定できる話ではない。
何かに価値を感じる人がいる。
その人が、自分の財布からお金を出す。
誰かに強制されたわけではない。
公式が売っているものを、
公式のルールで買っている。
それなら、外野がとやかく言いすぎるのも違う。
ラーメンに全部乗せがある。
飛行機にビジネスクラスがある。
ライブにVIP席がある。
そう考えれば、上位体験が用意されていること
自体は、別に不自然ではない。
買いたい人が買えばいい。
いらない人は買わなければいい。
一般論としては、かなり強い正論である。
ただ、地下アイドル現場では、
その正論がそのまま綺麗には着地しない。
ここがややこしい。
高額チケットは、買った人だけの買い物に見える。
でも実際には、
買わなかった人の現場にも影響する。
誰が前にいるのか。
誰が特別な体験をしているのか。
誰が毎回その場所にいるのか。
誰がメンバーとの距離を持っているのか。
小さな現場では、それが見えてしまう。
だから、この話は、
買う自由だけでは終わらない。
買う側の正論はある。
買わない側の違和感もある。
運営の売上もある。
メンバーの負担もある。
どれか一つだけを正義にすると、
たぶん現場を見誤る。
高額チケットは、選択肢である。
同時に、階層でもある。
その両方を見ないと、
この問題は整理できないと思っている。
買う側の正論は、かなり強い
まず、買う側の言い分はかなり強い。
価格に見合うと思ったから買う。
欲しい特典があるから買う。
前で見たいから買う。
推しに少しでもお金を落としたいから買う。
これは普通に筋が通っている。
高額チケットは、基本的には任意購入である。
生活必需品ではない。
税金でもない。
参加強制でもない。
公式が売っている。
その価格に納得した人が買う。
それだけの話だと言われれば、かなり反論しづらい。
買っている人は不正をしているわけではない。
割り込みをしているわけでもない。
勝手に特典を増やしているわけでもない。
ルールの中で買っている。
公式に用意されたものを、公式の方法で買っている。
公式が売っているものを買っただけ。
これは買う側の強い正論である。
だからこそ厄介なのだ。
売っているものを買っただけで、
なぜ現場破壊者みたいに言われるのか。
この感覚は、かなり正当である。
さらに言えば、高額購入者がいるから、
現場が支えられている面もある。
小さなアイドル現場では、
チケット代も、特典会も、グッズも、
運営資金の一部である。
高く払う人がいることで、活動が続く。
衣装が作れる。
楽曲が作れる。
遠征ができる。
通常チケットの価格を抑えられる。
そういう可能性もある。
だから、高額購入者をただの承認欲求
として片づけるのは、少し雑だと思う。
そこには、
支援の感覚もある。
応援の熱量もある。
自分の金を使って、
現場を支えているという実感もある。
太客という言葉は下品だが、
地下アイドルの現実は、
たまにその下品さで支えられている。
これは認めた方がいい。
買わない側の違和感も、ただの嫉妬ではない
一方で、買わない側の感情も無視できない。
高額チケットは、買った人だけのものに見える。
でも実際には、買わなかった人の現場にも影響する。
誰が前にいるか。
誰が特別な体験をしているか。
誰が毎回高いチケットを買っているか。
誰がメンバーとの距離を持っているか。
小さな現場では、それが見える。
SNSにも流れてくる。
特典の報告も流れてくる。
前方の顔ぶれも見える。
自分には届かない体験を、
同じ現場にいる誰かが毎回手に入れている。
それを見て、何も感じない方が難しい。
萎える。
嫉妬する。
置いていかれている気がする。
それは綺麗な感情ではない。
でも、かなり自然な感情である。
もちろん、嫉妬はある。
そこは否定しなくていい。
ただ、その奥には、自分の現場の中に、
入れない場所ができていく感覚がある。
通常チケットでも楽しいはずだった。
後ろでも楽しいはずだった。
特典を買わなくても、
現場にいる意味はあるはずだった。
でも、上位チケットの体験が濃くなればなるほど、
買わなかった側には欠落感が残る。
自分は浅いのか。
自分は足りないのか。
自分はこの現場の中心ではないのか。
そんなことを考えなくていいはずなのに、
価格表がそれを考えさせる。
これを単なる嫉妬で片づけるのは、
たぶん乱暴である。
買いたい人が買えばいい。
それは正しい。
ただ、その正しさはフロアで無傷ではいられない。
優先入場が、前方の意味を変えた
前方の話は、
単純な前方チケットの話ではない。
高額チケットの特典として、
体験系の特典に加えて、
優先入場の権利が付いている。
高額チケットを買った人から、先に入場する。
だから主催ライブでは、
前方にいる人たちは、
基本的に高額チケット購入者である。
これは印象ではない。
仕組みとして、そうなっている。
基本的に、
主催ライブのたびにチケット代の格差がある。
安いチケットで入る人がいる。
高いチケットで入る人がいる。
そして、高いチケットを買った人が、先に入る。
その結果、
前方=高額チケット購入者という図式ができあがる。
もちろん、
この仕組み自体が急に出てきたわけではない。
昔から、高額チケットに優先入場の権利はあった。
ただ、グループの規模感がまだ小さかった頃は、
そこまで最前に固執する空気も強くなかった。
現場自体が沸き現場だったこともあり、
前方の重要度は今ほど高くなかった。
前にいることより、
フロア全体がどう沸くか。
どこで声を出すか。
どこで跳ねるか。
どこで一体感が生まれるか。
そちらの方が大きかった。
だから、優先入場の権利があっても、
それがすぐに前方の階層化として
強く見えていたわけではない。
昔から優先入場はあった。
変わったのは仕組みではなく、
そこに集まる欲望の濃度である。
カメコが増えた。
撮影する人が増えた。
それと同時に、前方でじっくり見たい人も増えた。
アイドルを近くで見たい。
好きな人をずっと見ていたい。
表情を見逃したくない。
視線の届く場所にいたい。
そういう欲望が、前方に集まるようになった。
さらに、現場の客層も少しずつ変わってきた。
比較的年齢層が高く、
可処分所得の多い独身男性が増えた。
生活の中で、アイドル現場に使える金額が
大きい人たちである。
その人たちが、毎回のように高額チケットを買う。
そして、毎回のように前方で見る。
これは、その人たちが悪いという話ではない。
自分の金を、
自分の好きなものに使っているだけである。
公式が売っているチケットを、
公式のルールで買っているだけである。
ただ、結果として、
前方の顔ぶれは固定されていく。
撮りたい人。
近くで見たい人。
好きな人を見ていたい人。
ガチ恋性の高い人。
可処分所得があり、
毎回高額チケットを買える人。
理由はそれぞれ違う。
でも、向かう先は同じである。
前方である。
そうなると、優先入場の意味も変わる。
前で沸くための権利だけではなくなる。
前で撮るための権利になる。
前でじっくり見るための権利になる。
推しの表情を逃さないための権利になる。
自分が一番近い場所にいるための権利になる。
沸きの場所だった前方に、
撮影と視線と執着が流れ込んだ。
そしてそこに、可処分所得の差が乗ると、
フロアは急に経済の顔をする。
その結果、主催ライブの前方は、
一部の人にとっての定位置になっていく。
言い方は悪いが、前方のサブスク化である。
毎回払える人が、
毎回前にいる。
毎回同じ場所で見る。
毎回同じ角度から撮る。
誰も違法なことはしていない。
誰もルールを破っていない。
それでも現場の空気は少し硬くなる。
正しい購入が積み重なって、
少し嫌な階層ができる。
高額チケットがない日の化学反応
一方で、高額チケットが存在しないライブもある。
対バンイベント。
サーキットイベント。
他の主催に呼ばれた時のライブ。
そういう場では、普段の単独ライブのような、
高額チケットによる優先入場の図式が薄くなる。
もちろん、そこにも整理番号はある。
完全な平等ではない。
でも、少なくともいつもの主催ライブほど、
前方=高額チケット購入者という空気にはなりにくい。
すると、フロアの景色が少し変わる。
いつも前にいる人だけではない。
普段は後ろにいる人が前にいる。
新規に近い人が前で見ている。
対バンで初めて見た人が、
そのまま熱に巻き込まれている。
そういうことが起きる。
そして最近は、むしろそのような場面で、
普段の単独ライブでは見えにくい
ケミストリーが起きることも多い。
高額チケットで整えられた主催ライブより、
対バンやサーキットの方が、
フロアの熱が生々しいことがある。
これは皮肉である。
本来、主催ライブはホームである。
一番熱量が集まり、一番そのグループらしい
空気が出る場所であってほしい。
でも、高額チケットによって前方が固定されると、
ホームの景色は安定する一方で、少し硬くなる。
いつもの人が、いつもの場所にいる。
いつもの人が、いつもの距離で見ている。
いつもの人が、いつものように撮っている。
それは安心でもある。
ただ、偶然は少ない。
対バンやサーキットでは、その固定が少し崩れる。
前方の顔ぶれが変わる。
熱の流れが変わる。
知らない人が巻き込まれる。
普段とは違うところから声が出る。
そこで、フロアが
急に生き物みたいになることがある。
高額チケットがない日のフロアには、
たまに野生が戻る。
主催ライブは整っている。
ただ、整いすぎた熱は少し死ぬ。
対バンやサーキットで起きる化学反応は、
偶然がまだ残っている証拠でもある。
だから問題は、
高額チケットがあるかないかだけではない。
高額チケットがあることで、
主催ライブのフロアが安定しすぎていないか。
前方が権利の場所になりすぎて、
熱の流れが固定されていないか。
そこだと思う。
特別体験は、商品であり資源でもある
高額特典になると、
話はさらにややこしくなる。
リハーサルを見られる。
特別な写真を撮れる。
メンバーから手紙がもらえる。
似顔絵を描いてもらえる。
通常チケットでは触れられない時間に入れる。
こういう特典は、たしかに魅力がある。
買いたい人が買う。
欲しい人が申し込む。
価格に見合うと思えば支払う。
これも正しい。
ただ、特別体験は無限ではない。
そこには、メンバーの時間がある。
体力がある。
言葉がある。
記憶がある。
絵を描く手がある。
つまり、高額特典は商品であると同時に、
メンバー側の資源でもある。
以前、高額チケットの特典として、
メンバーから手紙がもらえるものがあった。
全国ツアーが4か所あれば、
4か所それぞれで高額チケットが販売される。
当然、全部買うこともできる。
そして実際に、全公演分を買う人もいる。
さらに、全て同じ推しメンを選ぶ人もいる。
そうなると、メンバー側には、
公演数分の手紙を書く負担が発生する。
一回の特典で2枚。
4公演分なら8枚。
それが四半期ごとに続く。
しかも、同じ相手に向けて書き続けることになる。
これはかなり重い。
何を書けばいいのか。
どこまで個別に書くのか。
前と同じ内容にならないようにするのか。
相手が喜ぶ言葉を探すのか。
それを何枚も続ける。
正直、しんどいと思う。
似顔絵特典も同じである。
一度なら楽しい。
二度目もまだ書ける。
でも、毎回同じ人の顔を描くとなれば、
それは特別な体験というより、
継続的な作業に近づいていく。
そして結果として、
そういう特典は縮小されたり、なくなったりする。
ここで迷惑を受けるのは、
毎回買っていた人だけではない。
いつか自分も買おうと思っていた人。
お金を貯めていた人。
今回は無理でも、
次の機会では買いたいと思っていた人。
そういう人たちまで、
その特典を失うことになる。
これを買う側だけの責任にするのは、少し違う。
本来、設計するのは運営である。
同一メンバーへの集中を避ける。
購入回数に上限を設ける。
手紙の枚数を制限する。
重複購入者には別内容の特典を用意する。
メンバー負担が大きい特典は、
最初から数量を絞る。
それは運営が考えるべきことである。
資源管理を客の自制に丸投げするのは、
運営設計としてかなり危うい。
アイドル現場において、
オタクの欲望は基本的に止まらない。
買えるなら買う。
選べるなら選ぶ。
近づけるなら近づく。
撮れるなら撮る。
受け取れるなら受け取る。
それはある意味、かなり自然な動きである。
だからこそ、その欲望をどこで止めるのかは、
運営側の設計であるべきだと思う。
同じメンバーに負担が集中しすぎないようにする。
同じ人が同じ特典を取り続けないようにする。
メンバーの手作業に依存する特典には、
明確な上限を作る。
そこを客の良識だけに任せるのは、かなり危ない。
オタクの欲望を制御するのは、
オタク自身の美徳ではなく、
本来は運営の仕事である。
ただし、それは買う側に何も考えなくていい、
という意味ではない。
売っているから買う。
選べるから選ぶ。
受け取れるから受け取る。
それはルール上は正しい。
でも、その“だけ”が積み重なった結果、
特典そのものが短命になることはある。
買う自由はある。
でも、燃やし尽くす自由まで美しいとは、
個人的には思わない。
特別体験は、自分だけの満足では終わらない。
使い方によっては、次の誰かの体験まで削っていく。
ここが難しい。
問いの途中にある現場
たぶん今の現場は、
いろいろな歪みが積み重なった上にある。
高額チケットがある。
優先入場がある。
前方の顔ぶれが固定される。
撮影する人が増える。
前でじっくり見たい人も増える。
可処分所得の差が、
そのまま前方の景色に乗る。
特別体験は濃くなる。
そのぶん、メンバーの負担も増える。
買う人は買う。
買わない人は萎える。
運営は売る。
メンバーは受け止める。
その繰り返しの上に、現在の現場がある。
だから、今の形をただ悪いとは言えない。
それによって売上が立った部分もある。
活動が続いた部分もある。
買った人が満たされた部分もある。
特別な体験として、
本当に価値があった部分もある。
ただ同時に、それによって硬くなったフロアもある。
固定化した前方もある。
買わなかった人の疎外感もある。
メンバーが背負った負担もある。
消えていった特典もある。
全部ある。
そして全部あるから、面倒くさい。
ただ、そこで終わりではないと思う。
運営も、何も考えていないわけではない。
特典が縮小されたり、
形式が変わったり、
負担が調整されたりしているなら、
それは改善しようとしている途中でもある。
もちろん、その改善が十分かどうかは別である。
方向が合っているかどうかも別である。
でも少なくとも、
現場は固定された完成形ではない。
まだ問いの途中にある。
だからこそ、こちら側も黙っている必要はない。
高額チケットを全部なくせ、
という話ではない。
買う人を排除したいわけでもない。
運営の商売を否定したいわけでもない。
ただ、その選択肢が現場に何を残しているのかは、
言った方がいい。
前方の固定化がしんどい。
通常チケットでも居場所がほしい。
メンバーの手作業に依存する特典は、
集中しすぎると壊れる。
高額チケットがない日のフロアの化学反応を、
主催ライブにも戻してほしい。
そういう主張は、ぶつけていいと思う。
ある程度聞いてくれる運営なら、なおさらである。
黙って萎えるだけでは、たぶん何も変わらない。
陰で文句を言うだけでも、たぶん設計には届かない。
ただし、それは買う人を悪者にするためではない。
運営を殴るためでもない。
どこがしんどいのか。
どこまでなら納得できるのか。
どの特典がメンバーに負担をかけすぎているのか。
通常チケットの人に、
何が残っていてほしいのか。
そこを具体的にぶつけるべきだと思う。
文句を言うな、ではない。
文句の形を、設計に届く言葉に変えた方がいい。
好きだから買う人がいる。
好きだから言う人もいる。
その二つがぶつかること自体は、悪いことではない。
むしろ、何も言われなくなった現場の方が怖い。
高額チケットは、選択肢である。
同時に、階層でもある。
支援である。
同時に、分断でもある。
自由である。
同時に、圧でもある。
その矛盾をなくすことは、たぶんできない。
でも、矛盾の置き方は変えられる。
どこまで売るのか。
誰に集中させるのか。
どこまで見せるのか。
どこから先はメンバーの負担なのか。
通常チケットの人に何を残すのか。
高額チケットがない日の熱を、
どう主催ライブにも戻すのか。
たぶん、今見たいのはそこだ。
正しい選択肢が積み重なって、
少し嫌な階層ができた。
でも、その階層をどう組み直すかは、
まだ終わっていない。
現場は、完成した答えではない。
まだ揉めている途中の設計図である。
