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【自己紹介】哲学に興味がなかった私が、ソクラテスに共感した理由


正直に言うと、
昔の自分は哲学にほとんど興味がなかった。

ソクラテスとか、プラトンとか、
名前くらいは知っている。
教科書にも出てくるし、「偉い人なんやろな」くらいの認識。

でも、
その人たちが「何を考えていたのか」「なぜ今でも語られているのか」
そんなことは、考えたこともなかった。

無知の知」という言葉も、
どこかで聞いたことはあった気がする。
でも、その意味や本質を自分の生活に引き寄せて考えたことはない。

哲学なんて、
頭のいい人がやる抽象的な話で、
日常とは関係ないものだと思っていた。


それが変わったのは、
心理学や社会の仕組みに興味を持つようになってからだ。

人はなぜ同調するのか。
なぜ空気を読んでしまうのか。
なぜ「正しいこと」を言うのが、こんなにも怖いのか。

そういうことを調べていくうちに、
避けて通れない名前として、
ソクラテスが何度も出てくるようになった。

改めて彼の話に触れて、正直、驚いた。

これ、
2,400年前の話とは思えない。

社会の目を気にしてしまう感覚。
本音を言うと叩かれそうで黙ってしまう空気。
SNSの炎上を見て、
「余計なことは言わんとこ」と自分にブレーキをかける感じ。

それ、
全部、今の自分が感じていることやん、と思った。

哲学者ソクラテスが、弟子たちや聴衆を前に話している場面の絵画
哲学者ソクラテスが、弟子たちや聴衆を前に話している場面

哲学に興味を持つ前の自分は、
無知の知」を
ただの賢そうな言葉だと思っていた。

でも今は、
これは「生き方の話」やなと感じている。

分かったふりをしてしまう自分。
周囲の評価を気にして、
言いたいことを飲み込んでしまう自分。

そういう自分に、
ソクラテスはずっと問いかけてくる。

「それ、本当に分かってる?」
「それ、誰のために黙ってる?」
「それでも、自分は善く生きてると言える?」


この問いが、
今の現代社会に生きる自分には、
やけに刺さった。

なぜなら、
これは特別な哲学の話じゃなく、
日々の生活の中で何度も感じていた違和感そのものだったからだ。

会議では、本音を言う前に
「これ言って大丈夫かな?」が先に立つ。
SNSでは、少し突飛で尖った投稿の方が伸びやすい。
それは分かっていても、
炎上が怖くて、無難な言葉しか選べなくなっている。

言いたいことがないわけじゃない。
考えていないわけでもない。
ただ、「余計な波風を立てたくない」という気持ちが、
いつの間にか自分の口を塞いでいる。

それは、賢さなのか。
それとも、臆病さなのか。


2,400年前、空気を読まなかった男

そんなことを考えているときに出会ったのが、
ソクラテスの弁明」だった。

彼は、
神を信じない
若者を堕落させた
という理由で告発され、
アテネの法廷に立たされる。

ここで彼は、
今の感覚で言えば詰んでいる

うまく言い逃れをすれば助かる可能性はあったし、
世間が求める態度を取れば、
少なくとも死刑は免れたかもしれない。

それでもソクラテスは、
迎合しなかった。

むしろ、こう言う。

「私は、自分が何も知らないことを知っている。
だから、分かったつもりでいる人たちより、少しだけマシなのだ」

今なら、
「感じ悪い」「上から目線」「空気読め」
と総叩きに遭うだろう。

だが、彼は引かなかった。

ソクラテスが死刑判決を受け、毒ニンジンの杯を飲んで死を迎える場面を描いた歴史画
ソクラテスが死刑判決を受け、毒ニンジンの杯を飲んで死を迎える場面を描いた歴史画

「無知の知」は、最強の自己防衛だった

ソクラテスの有名な考え方に、
無知の知」がある。

これは、
知識がないことを恥じる話ではない。

分からないことを、分からないと言える態度のことだ。

現代社会では、
この態度がとにかく取りづらい。

会議で「それ、分かりません」と言うと、
冷笑され、評価が下がりそうな気がする。
SNSで「よく分からない」と書くと、
無知だと思われそうで怖い。

だから、つい分かったふりをする。

でもソクラテスは、
分かったふりをする人間こそ危ういと言った。

分かったつもりの人は、
自分が間違っている可能性を疑わない。
そして、一番騙されやすい。

「無知の知」は、
賢く見せるための技術ではなく、
自分を守るための姿勢だった。


評価より「善く生きる」を選んだ理由

ソクラテスが本当にすごいのは、
知識ではなく、選択だ。

彼は、
「ここで謝れば助かる」
「黙っていれば生き延びられる」
と分かっていた。

それでも、
自分が正しいと思わないことは言わなかった。

なぜか。

彼にとって大事なのは、
「どう評価されるか」ではなく、
善く生きているか」だったからだ。

今の私たちは、
気づかないうちに
他人の点数で自分を採点している。

フォロワー数、いいね、会社の評価、世間の目。

それらに合わせて生きるうちに、
自分の基準がどこにあったのか、
分からなくなっていく。

ソクラテスは、
そこにこう問いを投げてくる。

「それは、本当にあなたの人生か?」


19世紀の版画家ヴィルヘルム・マイヤー(Wilhelm Meyer)が制作した、哲学者ソクラテスの胸像イラストをベースにしたベクター画像
19世紀の版画家ヴィルヘルム・マイヤーが制作した、ソクラテスのベクター画像

問い続けることが、人生を整える

ソクラテスは、答えを押し付けない。
代わりに、問い続ける。

「それは本当に正しいのか」
「なぜ、そう思ったのか」
「それは誰の利益になるのか」

この問いは、
他人を論破するためのものじゃない。

自分が思考停止しないための道具だ。

現代風に言えば、
認知バイアスから自分を守るための
セルフチェックに近い。

問いを持ち続けることで、
生き方のズレに気づける。

ソクラテスは、
人生を微調整するための
チューナーのような存在だったのかもしれない。


空気を読みすぎて、しんどくなったら

ソクラテスの生き方を、
そのまま正解として真似したいわけではない。

現代社会で生きていく以上、
空気を読むことも必要だし、
評価を完全に無視することもできない。

それでも最近、
何かを選ぶ前、何かを書く前に、
あの問いを自分に投げるようにしている。

「それは、本当に自分が正しいと思っていることか」
「誰かにどう見られるかを優先して、本音を削っていないか」
「それでも、自分は善く生きていると言えるか」

はっきり答えられることは少ない。
むしろ、迷うことの方が圧倒的に多い。

でも、この問いを自分に課し続けている限り、
少なくとも「分かったふり」だけはしなくて済む。

だから私は、
この問いを携えたまま、
こうしてnoteを書き続けている。

正解を教えるためでも、
誰かを論破するためでもない。

社会の空気に飲み込まれすぎず、
自分の感覚を見失わないために。
そして、同じように息苦しさを感じている誰かと、
思考の途中を共有するために。

2,400年前、
空気を読まなかった一人の哲学者が投げた問いは、
今も私の中で、静かに鳴り続けている。

このnote記事 は、
その問いを忘れないための、私自身の備忘録であり、
小さな抵抗でもあるのです。

おわりに


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本記事は、ソクラテスの思想に立ち返り、自身に問いを投げかけた結果を プロフィールとしてまとめさせていただきました。

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