【読書】自分の生を、どこまで主張できるか
「こんな夜更けにバナナかよ」
筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち
著:渡辺一史
とても読み応えのある一冊だった。
数年前に映画化もされた作品だが、本書はその原作である。
進行性筋ジストロフィーを患い、24時間の介助を必要とする鹿野靖明氏と、彼を支えるボランティアたちへの丹念な取材で構成されたノンフィクションだ。
筆者の渡辺氏自身も、ボランティアとして現場に入り込みながら取材を重ねている点が、本書をより立体的にしている。
時系列は章ごとに前後するが、これは単なる闘病記ではない。
鹿野靖明という一人の人間の評伝であり、同時に彼を取り巻く人々の群像劇でもある。
では、鹿野氏とは何者なのか。
一言で説明するなら、重度の身体障害を抱えた人だ。
しかし、その言葉だけではまったく足りない。
彼は、病を受け入れた上でなお、
「どうやって快適に生きるか」
を徹底的に主張し続けた人だった。
人工呼吸器なしでは呼吸ができない。
寝返り一つ、自分では打てない。
生活のほぼすべてを他者に委ねなければならない。
それでも彼は、「家で暮らしたい」「外出したい」「快適に生きたい」と言い続ける。
特に心に焼きついたのは、この一言。
「どんなことをしてでも生きたい。生きるんだ」
私は、この姿勢に心を打たれた。
同時に、少し怖くもなった。
鹿野氏と自分を重ねた瞬間、今まで当たり前にできていたことが、ある日できなくなる可能性を想像したからだ。
私は、自分の身体をどれほど当然のものとして生きているのか。
もしそれを失ったとき、それでも「快適に生きたい」と遠慮なく言えるだろうか。
鹿野氏は、時にボランティアに厳しい言葉を投げる。
要求も多い。わがままに見える場面もある。
しかしそれは、「生きる質」を妥協しない姿勢の裏返しだったのではないか。
彼は、ただ生き延びようとしたのではない。
自分らしく、生きようとしただけだ。
この本は、障害のある人とない人の物語ではない。
「自分はどこまで、自分の生を主張できているか」
その問いを、静かに差し出してくる一冊だったと思う。
