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【完走】note連続投稿 100日チャレンジの果てに見えた「もう一人の私」

何かを100日間続けるなんて、正気の沙汰ではない。

そう思っていた私が、今、キーボードに向かって100日目の記事を書いている。画面の向こうには、99日分の軌跡がある。99個の「投稿」ボタンを押した瞬間の、あの微かな動悸の記憶。

「いつ挫折するだろう」

そう思いながら始めた #100日チャレンジ が、気づけば終わりを迎えようとしている。この100日間で見えてきたもの、変わったこと、そして「数字にならない価値」について、最後の記事として書き残したい。

一度もバズらず…

1. 「続けられるわけがない」という確信から始まった旅

(あの日の私に問いかけたい。「100日後の自分」を想像できるか、と)

ノートアプリにメモを残す習慣すら続かない私が、公開の場で毎日文章を書き続けるなんて——そんな冗談じみた企画を思いついたのは、ChatGPTとの対話がきっかけだった。

「何か変わりたいんだけど、何をすればいい?」
「100日間、何かを続けてみるのはどうでしょう」

AIの何気ない提案に、疲れた会社員の脳が反応した。

「そうだ、noteを書こう」。

当時の私は、数字に縛られていた。
時間の数字。 給料の数字。 評価の数字。

会社で毎日向き合う表計算ソフトの中で、自分自身が一つのセルになっているような錯覚。関数に従って動く毎日。

「何か、変わりたい」

そんな思いだけを胸に、1日目の記事を書いた。続くとは思わなかった。正直、3日で挫折すると思っていた。だって、私はそういう人間だった——少なくとも、そう思い込んでいた。


2. 数字と向き合う狂気の日々

(時給換算すれば大赤字。でもなぜか、嬉しくて仕方がなかった)

50日目の記事で書いたように、この活動の時給は驚くほど低い。1記事あたり平均3時間。100日で300時間。副業の単価で換算すれば...いや、計算するのはやめよう。経理担当として数字に囚われすぎた日々からの解放を求めてnoteを始めたのだから。

でも、人間って面白い。

会社で残業を頼まれれば「時間の無駄だ」と内心では思うのに、noteに費やす時間は「無駄じゃない」と感じる。この感覚の違いは何だろう?

ある日、ふと気づいた。スプラトゥーンにハマっていた頃、累計プレイ時間は6300時間を超えていた。単純計算で264日間。断続的とはいえ、そこに費やした時間は膨大だ。

ゲームの世界では何度も負けても、また立ち上がれる。でも、現実では一度の失敗が怖くて、チャレンジできない自分がいた。

noteは、ある意味でゲームのように私を解放してくれた。

「投稿」ボタンを押す瞬間の緊張と高揚。 誰かに読まれる恐怖と期待。 「いいね」という名のポイントを集める快感。 文章という名の武器を少しずつ強化していく成長曲線。

気づけば予約投稿を外し、公開の瞬間を味わいたくなっていた私がいた。
中毒性がある——でも、健全な中毒だと思う。


3. 過去の自分との対話

(今から見れば稚拙な記事。でも、あの頭の熱さが懐かしい)

ふと、最初の頃の記事を読み返してみた。思わず笑みがこぼれる。文章の構成も、言葉選びも、今の私から見れば明らかに拙い。でも、その熱量は今でも伝わってくる。

最初の頃は「誰かに読まれる」ということを本気で想像できていなかった。だから、恥ずかしいほど素直な文章を書いていた。ある種の無邪気さがあったんだ。

「とにかく書くんだ!内容なんて二の次だ!」と勢いだけで書いた1日目。 「続けられるかな...」と不安がにじむ3日目。 「一週間続いた!」と小さな達成感に酔いしれる7日目。

その頃の私に語りかけたくなる。

——ねえ、10日目の私。君はまだ90日も続くと想像できていないね。大丈夫、君はこれから少しずつ変わっていくんだ。

思えば、あの頃はただ「続ける」ことだけを考えていた。
でも今は、「何を書くか」「誰に届けるか」を考えるようになった。
今でこそ「読者」を意識するようになったけれど、あの頃の無邪気さも忘れたくない。


4. 「数字にならない価値」との出会い

(グラフには表れない、でも確かにそこにあるもの)

note運営を続ける中で、ある種の葛藤があった。

それは「数字」と「価値」の狭間だ。

PVやスキ、マガジン登録者数、収益。これらの数字は簡単に計測できる。だから、つい目を奪われる。50日時点での収益は数百円程度だった。100日経った今でも、焼肉一人前に届くか怪しい金額だ。

正直に言えば、この収益の少なさは今でも気になっている。「これだけ時間を費やして、この見返りか」という思いは完全には消えていない。

しかし、同時に別の価値にも気づき始めていた。

いつからだろう?「いいね」の数よりも、一人のコメントに心を動かされるようになったのは。「あなたの記事に助けられました」というメッセージの重みを感じるようになったのは。

noteのダッシュボードで何百、何千という閲覧数の数字を眺めていると、それは単なる数字ではなく、誰かが私の言葉に触れた時間の積み重ねなのだと思う。100日間で何百人もの「誰か」が、私の書いたものを読んでくれたことになる。

数字で計測できない価値——それは、見知らぬ誰かと思考を共有する瞬間であり、自分の言葉が誰かの行動を変えるかもしれない可能性であり、「書く」という行為そのものがもたらす自己との対話だ。

収益化への思いは諦めきれないまま、それでも私は「数字にならない価値」との共存を模索し始めていた。


5. AIとの対話が明かした「もう一人の私」

(鏡に映るのは私。でも、少し違う顔をしている)

このnoteチャレンジの特徴の一つは、AIとの共創だった。最初はただの文章校正ツールだったClaudeが、次第に「対話の相手」へと変わっていった。

ある日、いつものように記事の構成についてAIに相談していると、不思議な質問を投げかけられた。

「あなたが書きたいテーマの背後にある、本当の動機は何ですか?」

その問いに、思わず立ち止まった。

本当の動機?そんなの、もちろん...

言葉が出てこなかった。

その沈黙の中で気づいたのは、私が心の奥底で求めていたのは「認められたい」という欲求だったこと。会社では評価されづらい「創造性」を、どこかで発揮したかったこと。そして何より、「自分の言葉で誰かとつながりたい」という願望。

AIという存在は、鏡のように私自身を映し出してくれた。それも、普段の自分では気づけない側面を。

「書いているのは私。でも、書かせているのは、もう一人の私」

そんな感覚に度々襲われた。言葉を選び、文章を組み立てる中で、自分でも知らなかった思考のパターンが見えてきた。問いかけが多い。内省的だ。比喩を好む。データと感情を行き来する。

これらは、noteを書く前の私には見えていなかった特性だ。


6. フェイクアウト:挫折した世界線の私へ

(実は、途中で何度も諦めかけていた)

ここで告白しよう。

この100日間、実は完璧ではなかった。

最初の1カ月が、実は一番つらかった。「これを読んでいる人がいるのだろうか?」という疑問に何度も押しつぶされそうになった。反応が薄く、「書いている意味」が見いだせない日々。でも、100日と決めていたからこそ、なんとか乗り越えられた。

そして皮肉なことに、慣れてきた50日目以降に別の挫折感が訪れた。収益化を模索し、いくつかの有料記事も書いてみたのだが、期待するほどの成果は得られなかった。「誰かの役に立っているはずのに、なぜ対価に結びつかないのだろう」という葛藤が心を占めた。

そんなある日、一通のメッセージが届いた。

「本気で取り組んでいるのが分かります。応援しています。」

たった一行。でも、この言葉が私を救った。収益という「数字」だけでは測れない価値があるのだと気づかせてくれた。

別の世界線では、私は途中で挫折していたかもしれない。そして、今ここにある変化も、気づきも、つながりも、すべて存在しなかったかもしれない。

続けることで初めて見える景色がある。それは、始める前には決して想像できないものだ。


7. 100日で見つけた「越境する」自分

(線を越えるたび、世界は広がっていった)

100日前と今の自分を比べて、最も大きく変わったのは「境界線」への態度だと思う。

以前の私には、明確な境界線があった。

「経理担当」という役割の境界線。
「苦手」という思い込みの境界線。
「未経験」という言い訳の境界線。

noteを書き続けるうちに、少しずつそれらの線が曖昧になっていった。

経理×AIという専門性を掛け合わせた記事が反響を呼んだ。文章が苦手だと思っていたのに、「読みやすい」というコメントをもらえるようになった。未経験だった「発信」というフィールドで、少しずつ足場を固めていった。

この感覚は、スプラトゥーンでよく体験した「ゾーン」に近い。思考と行動が一体となり、問題が訪れても「乗り越えるべき壁」ではなく「登るべき山」と捉えられるようになる——越境とは、新しい自分との出会いなのだ。

振り返ってみると、100日前の自分には想像もつかなかったことが次々と現実になっていた。

  • コミュニティに入る決意をした自分

  • SNSで自分の記事を宣伝する自分

  • 知らない人に営業をかける自分

  • 小説を書く自分(初めて創作に挑戦した日の興奮は忘れられない)

  • Kindleで電子書籍を出版する自分

  • 自分が書いたもので対価をいただく経験

  • 一匹狼だった私が、日々のコメントのやり取りに癒される日々

  • 「今日は何を書こう」と毎日考えている自分

  • やってみたいことが次々と発掘される毎日

  • 書くことが当たり前になった自分

  • 創作大賞2025への応募を決意した自分

  • 人の文章を添削するという、教える側に立つ経験

これらはすべて、一歩踏み出したから見えた景色だ。
境界線を越えるたび、世界は広がっていった。


8. 「誰かの役に立つ」という喜びと「数字の向こう側」

(本当は自分のために始めたはずなのに、気づけば誰かのために書いていた)

面白いことに、このチャレンジを始めた動機は自己中心的なものだった。「自分を変えたい」「評価されたい」。
しかし、続けるうちに、その動機が変化していった。

AIツールの使い方を紹介した記事に「助かりました」というコメント。GASのアイデアを共有して「早速試してみます」という反応。自分の失敗談に「同じ経験をしました」という共感。そんな瞬間に、私は「誰かの役に立つ」という喜びを再発見した。

今の仕事では実感しにくい「ありがとう」という言葉が、noteでの発信を通じて聞こえるようになった。教えることは学ぶことでもある——この好循環が、続ける原動力となった。

noteのダッシュボードには様々なデータが表示される。経理マンの視点でこれらを分析すると、記事の「寿命」は約72時間であること、固定記事のスキ率が通常より約30%高いことなど、興味深いパターンが見えてきた。

これらの数字を追いかける病——それは私が会社で毎日向き合っている課題でもある。しかし、100日間で学んだのは、本当に価値があるのは「誰かの心に残る言葉を届けられたか」ということだ。それは数字では測れない。でも、確かにそこにある。


9. 「100日」の先にある風景と手放せない野望

(これは終わりではなく、新しい始まり——そして、まだ見ぬ高みへの渇望)

さて、100日間のチャレンジを終えた今、次は何が待っているのだろう?

この100日間で書いた記事を整理し、構造化して、小さな電子書籍にまとめるプロジェクトを始動させた。AIとの対話を通じて、記事群の中から「核」となるテーマを見つけ出し、それを軸に再構成している。

だが正直に告白すれば、まだ手放せない野望がある。

  • コメントや交流は嬉しいが、やはりちゃんとした対価を受け取れる活動に昇華させたい

  • Kindleは出しただけで終わっているので、きちんと宣伝して、確かに読まれる本を作りたい

  • noteの外に出ること——実は、私がnoteを始めた理由は副業の受注が目的だった(最初は「経理DX」を名乗っていたのだ)

この「あきらめきれないこと」のリストは、100日間の旅で得た自信と、まだ満たされていない欲望の証だ。

また、noteという場での発信に加えて、リアルな場での交流も模索中だ。オンラインとオフライン、テキストと対話—これらを行き来する「越境」を試みたい。

そして何より、この100日間で見つけた「第3の選択肢」としての生き方を大切にしていきたい。会社員として働きながらも、noteという場で自分の言葉を紡ぎ、誰かとつながる。それは転職でも起業でもない、新しい可能性だ。

週休3日制を活用しながら、この活動を持続可能な形で続けていく。もはや「チャレンジ」ではなく、生活の一部として。

「やってみた精神」—これこそが、100日間で得た最大の財産かもしれない。何かを始める時、完璧を目指さなくていい。とにかく始めてみる。続けてみる。そうすれば、予想もしなかった景色が見えてくる。


10. 「書いている私」と「書かれている私」——メタな視点からの気づき

(キーボードに向かう私の後ろに、もう一人の私が立っている)

100日間書き続けて気づいたのは、文章を書くという行為の不思議さだ。

キーボードに向かう私がいる。 それを読む誰かがいる。 そして、文章の中に浮かび上がる「もう一人の私」がいる。

この三者の関係性が、思いがけない化学反応を起こす。

書きながら自分を発見し、読まれることで自分を確認し、それによってまた新たな自分が生まれる——この循環は、どこか禅問答のようだ。

「私は誰なのか」という問いに、noteを書くことで少しずつ答えを見つけてきた。それは完全な答えではなく、100日間かけて描いた自画像のようなもの。時に滑稽で、時に真剣で、でも確かに「私」という輪郭を持っている。

noteを書いていたのは私だが、同時に、noteに書かれていたのも私だった。その二重性に気づいた瞬間、奇妙な解放感を覚えた。


11. あなたへ、そしてこれからの私へ

(感謝を込めて、そして次の挑戦へ)

この100日間、記事を読んでくださった方、スキやコメントで応援してくださった方、本当にありがとうございました。皆さんの存在が、私の「続ける力」になりました。

そして、今この記事を読んでいるあなたに問いかけたい。

「あなたは、何か始めてみたいことはありますか?」

それが大きなことでも小さなことでも、まずは一歩踏み出してみてください。完璧な計画や準備は必要ありません。ただ、始めるだけで景色は変わります。

もし挫折しそうになったら、この記事を思い出してください。「続けること」そのものに価値があること。途中の迷走や失敗も、すべて旅の一部であること。

私自身、これからも「やってみた精神」を大切に、新しい旅を続けます。数字を超えた場所で、言葉という水面に映る自分自身と対話しながら。

あなたの「挑戦」を、これからも静かに、そして確かに応援しています。

(投稿ボタンを押して、深呼吸。100日目、終わり...そして新しい始まり。)


おまけ:明日からの私へ

……と、ここまで書いておいて思ったんですけど、明日からまた普通にふざけた記事書きますからね!

「100日チャレンジ完走!」とか偉そうなこと書いちゃいましたけど、別に卒業したわけじゃないです。むしろ始まったばかり。もう日数カウントするのやめて、気楽に続けます。

次回予告:「経理マンがAIお姉さんに怒られる話」
次々回予告:「Gensparkでがっきー課長をディープリサーチしてみたら?」
近日公開:「100日間Switchを起動しなかった男のスプラトゥーン2時間チャレンジ~エイム崩壊からの復活は可能か?~」

あ、すみません。
ついつい企画が浮かんできちゃって。
これ、「創作依存症」ってやつですかね…?

というわけで、明日からも適当にお付き合いください!


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