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憧れた大人を疑えなかった俺へ。人はなぜ、危ない相手と関係を切れないのか

▼音声で聞きたい方は・・・↓ ↓ standFMにて放送中・・・

これは、誰かを晒すために書く話ではない。

俺自身の人生ログであり、
同じように「この人、本当に大丈夫なのかな」と心のどこかで思いながらも、関係を切れずに苦しんでいる人に向けて書く話だ。
※かなりオブラートに包んで書き綴る。

人は、最初から怪しい人に近づくわけじゃない。

最初は憧れる。
尊敬する。
すごい人だと思う。
この人についていけば、自分も変われるかもしれないと思う。

だからこそ、危ない。

本当に怖いのは、最初から悪人に見える人ではない。
自分が一度でも「この人みたいになりたい」と思ってしまった相手だ。

俺にも、そういう人がいた。

23歳の俺は、その人をかっこいいと思った

その人と出会ったのは、俺が23歳の頃だった。

2013年1月。
SNSで知り合った男に誘われて、俺はとあるMLMのセミナーに行った。

その時、前で話していたのがその人だった。

当時の俺には、その人が本当にかっこよく見えた。

堂々と話している。
人前で空気を作っている。
周りから信頼されているように見える。
ビジネスを知っている大人に見える。

「俺も、こんなおじさんになりたい」

本気でそう思った。

そこから俺は、MLMを本気で走った。
中途半端ではなかった。
やるならやる。
結果を出すなら本気でやる。

すると、その人から「センスがある」と言われるようになった。
そこから個人的にも仲良くなっていった。

当時の俺にとって、その言葉は大きかった。

若くて、まだ何者でもなくて、
自分の力を試したくて、
でもどこか自信もなくて、
そんな時に「お前はセンスがある」と言われる。

それは、ただの褒め言葉ではなかった。

俺にとっては、
「自分はこの世界でやっていけるかもしれない」
と思わせてくれる言葉だった。

だから俺は、その人を簡単には疑えなかった。

でも、俺はMLMの限界を見た

そこから2年、3年と活動していく中で、俺の中に違和感が生まれていった。

自分は稼げる。
自分は動ける。
自分は人に話せる。
自分はある程度、結果を出せる。

でも、仲間が同じように稼げない。

これが苦しかった。

自分だけが上に行って、
仲間が下で苦しんでいるような感覚。

もちろん、努力不足の人もいたと思う。
覚悟が足りない人もいたと思う。
本気じゃない人もいたと思う。

でも、それだけで片づけられないものがあった。

「これは、本当にみんなが幸せになる仕組みなのか?」

俺の中に、その疑問が出てきた。

俺はMLMそのものを否定したいわけじゃない。
そこで学んだこともたくさんある。
営業、人間関係、伝え方、覚悟、行動量。
今の自分の土台になっている部分もある。

でも、当時の俺は限界を感じた。

自分は稼げても、仲間が稼げない。
その現実がつらかった。

そして俺は、違うMLMに移ることにした。

その時も、俺なりに筋は通した。

お世話になったその人に辞める話もした。
元のMLMの人には声をかけないという約束もした。
その約束も守った。

今思えば、俺はかなり律儀だったと思う。

でも、その律儀さが、後々自分を縛ることにもなった。

数年後、また連絡が来た

そこから数年、ほとんど連絡はなかった。

でも、俺が27歳か28歳くらいの時だったと思う。
その人から連絡が来た。

「あの時、お前が言っていた“MLMだけではダメだ”って意味が、俺も分かった」

そんなようなことを言われた。

その人は、チームへのMLMのみの縛りをなくしたと言っていた。
ビジネスの幅を広げたようなことを言っていた。

俺はその時、少し嬉しかった。

自分が若い時に感じていた違和感。
あの時はうまく言葉にできなかったもの。
それを、当時憧れていた大人が後から分かってくれたような気がしたからだ。

そこからまた、ビジネスパートナーというか、相談役のような関係が始まった。

案件の話。
人の話。
お金の話。
投資っぽい話。
ビジネスの相談。

そんなやり取りが増えていった。

表面上は、普通の関係だったと思う。

でも、俺の中にはずっと消えないものがあった。

俺の中に残っていた、消えない怒り

その頃、妻からある話を聞いた。

詳しい内容をここで全部書くつもりはない。
これは俺だけの話ではなく、妻の人生にも関わる話だからだ。

ただ、妻はその人物との関係の中で、性的な被害を受けたと俺に話してくれた。

その話を聞いた時、俺の中で何かが切れた。

怒りという言葉では足りなかった。
憎しみでも足りなかった。
自分の人生を投げ出してでも、どうにかしてやりたいと思うくらいの感情だった。

でも、その時に知り合いの社長から言われた言葉があった。

「やるなら今すぐやれ。できないなら、自分の人生を考えろ」

乱暴な言葉だけど、俺には刺さった。

結局、俺は自分の人生を壊すことはできなかった。
家族がいた。
守りたいものがあった。
怒りだけで動いたら、自分も妻も子どもも巻き込んでしまう。

だから俺は、忘れようとした。

でも、忘れられなかった。

表面上は普通に接した。
馬鹿なふりもした。
分かっていないふりもした。
尊敬しているような態度も取ったかもしれない。

でも、心の奥ではずっと引っかかっていた。

「この人は、本当に信用していい人間なのか?」

答えはとっくに出ていたのかもしれない。

でも俺は、関係を切れなかった。

なぜ危ない相手と関係を切れないのか

今なら分かる。

人は、嫌いだからといってすぐに関係を切れるわけじゃない。

そこに過去の憧れがある。
恩がある。
一緒に走った時間がある。
ビジネス上のつながりがある。
共通の知人がいる。
過去の自分が信じた相手だという事実がある。

そして何より、
「自分が間違っていた」と認めるのが怖いのかもしれない。

あの時、憧れた自分。
あの時、信じた自分。
あの時、この人についていこうと思った自分。

その全部を否定するようで、なかなか切れない。

しかも、こういう相手は最初からずっと悪い顔をしているわけではない。

たまに優しい。
たまに面倒を見る。
たまに褒める。
たまに助けてくれる。

だから余計に厄介だ。

「悪い人ではないのかもしれない」
「俺にも悪いところがあるのかもしれない」
「昔は世話になったしな」
「ここで切ったら自分が恩知らずなのかもしれない」

そうやって、関係が続いてしまう。

支配というのは、恐怖だけでできているわけじゃない。

憧れ。
恩。
罪悪感。
期待。
過去の成功体験。
そして、自分の判断を間違いだったと認めたくない気持ち。

そういうものが混ざると、人は危ない相手から離れられなくなる。

持ち込まれる話は、いつもどこか危なかった

再び関係が始まってから、その人はいろいろな話を持ってきた。

でも、まともに長く稼げる案件というより、
制度の穴を突くような話や、かなり危なっかしい話が多かった。

保険絡みの危ない話。
補助金の趣旨から外れているように見える話。
半信半疑で付き合い程度に乗った案件。
良さそうに見えて、結局ボツになった案件。

俺は何度も思った。

「本当に大丈夫か?」

でも、完全には切らなかった。

どこかで、まだ期待していたのかもしれない。

昔憧れた人だから。
昔、自分を認めてくれた人だから。
もしかしたら今度こそ、まともな形で一緒に稼げるかもしれない。

そんな気持ちもあった。

それと同時に、俺の中には別の感情もあった。

この人が本当に俺を稼がせるつもりがあるなら、
過去のことも水に流せるのかもしれない。

今思えば、それも歪んだ考え方だった。

傷ついた事実は、お金で消えるものではない。
でも当時の俺は、そうやって自分を納得させようとしていたのかもしれない。

物販の話

そんな中で、ある物販の話が出てきた。

俺はもともと友達と物販をやっていた。
その中で、ある卸会社と出会った。

俺自身も、その会社を卸会社として利用していた。
そこで会社側から、半年で利益回収が見込めるような説明を受けた。

俺はその話を、その人にもした。

ただし、俺が積極的に「これで絶対稼げます」と売り込んだわけではない。

進捗を聞かれた時に、
「こんな卸会社と出会った」
という話をした。

知ってから、まだ1か月ほどの頃だったと思う。

するとその人は、かなり前のめりになった。

「それ、こういう風に稼げないか?」
そんな感じで話が進み始めた。

俺は言った。

「しっかりおれらが利益になってから動いた方がよくないですか?」

でも、その人は聞かなかった。

すぐ動こう。
すぐやろう。
という感じで、どんどん段取りをつけていった。

説明も、俺からではなく会社の人間からあった。
その人自身も、その説明を聞いていた。

契約書はなかった。

その会社と正式な契約書を交わしたわけでもない。
俺とその人の間で契約書を交わしたわけでもない。

それなのに、話はどんどん進んでいった。

俺は気づいたら、かなりの雑務をやらされていた。

お金の勘定以外の細かい作業。
人とのやり取り。
確認。
手伝い。
実務。

たぶん、1年以上は関わっていたと思う。

正直、本気で嫌になっていた。

でも、関係性があった。
過去があった。
切りにくさがあった。

だからやってしまった。

その対価として、俺が受け取ったのは一度だけ。
10万円だった。

それも、俺の記憶では、こちらが強く請求したというより、相手側から「払う」と言われたような形だった。

しかも、そのタイミングが引っかかっている。

俺の中ではすでに違和感が出始めていた。
売れ行きや運用に不安が出てきていた。
そんな時に、今の利益を折半しようと言い出した。

俺は「まだいいです」と言った記憶がある。
でも、なんやかんやで振り込まれた。

今思えば、あの10万円も、ただの報酬だったのか。
それとも後から何かを言うための材料だったのか。

そこは分からない。

でも、今回の出来事が起きてから、俺はその10万円の意味を考え直すことになった。

俺は、相手側の損まで見るつもりはなかった

ここは誤解されたくない。

俺は、自分たちのところで出た損に関しては、自分たちで何とかするつもりだった。

自分が関わった範囲。
自分が動いた範囲。
自分たちの判断で出た損。

そこから逃げるつもりはなかった。

でも、その人の側で勝手に走って、勝手に広げて、勝手に躓いたものまで、俺が背負うつもりは最初からなかった。

なぜなら、俺は最初に言っていたからだ。

「しっかり俺らが利益になってから動いた方がよくないですか?」

それでも相手は動いた。

俺が止めたわけではない。
むしろ、慎重に見た方がいいと言った。

でも、相手は前のめりに進めた。

それなら、その判断の責任まで俺に来るのは違う。

俺は保証者ではない。
俺は代表者でもない。
俺は契約主体でもない。
俺は資金管理をしていたわけでもない。

ただ、知っている情報を共有し、頼まれた雑務をかなり手伝った人間だった。

そこを混ぜられるのが一番危ない。

「手伝った」ことと、
「責任を負う」ことは違う。

「説明を共有した」ことと、
「利益を保証した」ことは違う。

「雑務をやった」ことと、
「損失補填を約束した」ことは違う。

この線引きを曖昧にしたまま、情や圧で話を進めると、人は簡単に責任を背負わされる。

2年以上経ってから出てきた、10万円と示談書

そしてここが、今回俺が一番危ないと感じたところだ。

物販の売れ行きが悪くなった直後に、いきなり責められたわけではない。

むしろ当時は、相手側も俺に責任を取らせるような言い方はしていなかった。

俺の記憶でも、そしてやり取りの流れでも、
「お金のケツは持つ」
「これからも協力してほしい」
「お前だけが頼り」
というような方向だった。

つまり当時の俺は、少なくとも
「俺に損失を背負わせる話ではない」
という認識でいた。
そのやりとりもした。

だからこそ手伝った。

自分のところで出た分は自分で見る。
でも、相手側が勝手に走った分までは知らない。
その線引きでいた。

ところが、「負債はこっちで何とかする」
と言って音沙汰なくなってから2年以上経って、急に話が変わった。

10万円を返す。
示談書が必要かもしれない。
半年で回収という話が争点になる。
お前も騙した。
お前も騙された。
責任を取って、利益10万円を放棄して示談とする。

そんな流れが出てきた。

ここで、俺は一気に冷静になった。

最初は、もう面倒だから10万円を返して関係を切ろうと思っていた。

正直、関係を終わらせたかった。
長かった。
疲れていた。
昔からずっと引っかかっていた。
まともに稼げる話が来るわけでもない。
危ない話ばかりが来る。
もう終わりでいいと思った。

だから、10万円を返して終わるなら、それでもいいかと思った。

でも、そこに「示談書」という言葉が出てきた。

この言葉で、俺は止まった。

俺が知っている示談書の意味と、
相手が言っている流れが、どうにも噛み合わなかった。

これはただの返金ではないのではないか。
これは、俺が責任を認めた形にされるのではないか。
これは、後からさらに請求される入口になるのではないか。
これは、「お前は関係ない」と切り離すためではなく、逆に「お前も責任を取った」と見せるための材料になるのではないか。

そう思って調べ直した。

すると、自分の違和感は間違っていなかった。

危なかった。

あのまま感情で動いていたら、俺は払っていたかもしれない。
「もう面倒だから」で払っていたかもしれない。
「関係を切りたいから」で払っていたかもしれない。

でも、それは終わりではなく、始まりになっていた可能性がある。

俺は保証者ではなかった

ここで、改めて整理した。

俺は保証者だったのか。

違う。

俺は、その会社から受けた説明を、自分も利用者として信じた上で共有した人間だった。

俺は、その人に対して利益保証をしたわけではない。
損失補填を約束したわけでもない。
契約書を交わしたわけでもない。
会社の代表でもない。
資金管理をしていたわけでもない。

むしろ俺自身も、その会社と関わってマイナスを食らっている。

俺は騙す側ではなく、少なくとも同じ説明を信じて動いた側だった。

それなのに、2年以上経ってから、
まるで俺にも責任があるかのような形を作られそうになった。

ここが怖かった。

ビジネスの失敗そのものよりも、
失敗した後に、時間が経ってから責任の置き場所が変わることの方が怖い。

しかもそれが、昔憧れた相手から来る。

これはきつい。

普通の相手なら、もっと早く切れていたかもしれない。
でも、その人には過去があった。
俺が憧れた時間があった。
俺を認めてくれた記憶があった。
妻の件で許せない感情もあった。
そして、それでも何年も関係を続けてしまった自分がいた。

だから、判断が鈍った。

支配から抜ける瞬間

今回、俺が一番強く感じたのは、
相手が変わったわけではないということだ。

たぶん、相手は昔から変わっていない。

変わったのは俺の方だった。

この数年で、俺はビジネスをやり続けた。
いろいろな人を見た。
いろいろな案件を見た。
うまい話も、危ない話も、構造的におかしい話も、たくさん見てきた。

そして、相棒であるAIとも話しながら、
物事を感情ではなく構造で見るようになった。

昔の俺なら、相手の圧に飲まれていたかもしれない。
昔の俺なら、「俺にも悪いところがあったのかも」と思って払っていたかもしれない。
昔の俺なら、「昔世話になったしな」と思って折れていたかもしれない。

でも、今回は違った。

示談書という言葉が出た瞬間、俺は相手ではなく構造を見た。

これは返金の話なのか。
それとも責任を置き換える話なのか。

これは解決の提案なのか。
それともこちらに不利な証拠を作らせる動きなのか。

そうやって見た時、怖さよりも冷静さが勝った。

そして思った。

「あれ?俺、なんでこの人に怯えてたんだろう」

昔は大きく見えた。
すごい人に見えた。
逆らってはいけない人に見えた。
切ったら何かされるような気がしていた。

でも、今の俺から見ると、そこまで大きな相手ではなかった。

むしろ、自分の中で勝手に大きくしていただけだった。

支配って怖い。

相手が実際に強いかどうかではなく、
自分の中で相手を大きくしてしまうことで成立する。

過去の憧れ。
過去の恐怖。
過去の怒り。
過去の未処理の感情。

それらが全部混ざって、
自分の中に“巨大な相手”を作ってしまう。

でも、冷静に見れば、相手もただの人間だった。

俺は復讐したいんじゃない

正直に言えば、復讐心がなかったとは言わない。

過去のことを思い出せば、今でも腹は立つ。
妻のことを考えれば、許せない気持ちは消えない。
何年も馬鹿なふりをして付き合ってきた自分にも腹が立つ。

でも、今の俺がやるべきことは復讐ではない。

自分の人生を壊してまで相手をどうにかすることではない。

俺がやるべきことは、記録することだと思った。

何が起きたのか。
自分はなぜ関係を切れなかったのか。
どこで判断を間違えそうになったのか。
何が危険信号だったのか。

それを残すこと。

同じような人に、気づいてもらうこと。

「この人、なんかおかしい」
「でも昔世話になったし」
「でも怒らせたら怖いし」
「でも自分にも悪いところがあるかもしれないし」
「払えば終わるなら払った方が楽かもしれない」

そう思っている人に伝えたい。

払えば終わるとは限らない。
謝れば終わるとは限らない。
示談書にサインすれば終わるとは限らない。

むしろ、そこから始まることもある。

危ない相手と切れない人へ

もし今、あなたの周りに、
ずっと違和感があるのに切れない相手がいるなら、
一度、感情ではなく構造で見てほしい。

その人は、本当にあなたを守っているのか。
それとも、あなたを使っているのか。

その人は、あなたに選択肢を与えているのか。
それとも、罪悪感で動かしているのか。

その人は、失敗した時に一緒に責任を見てくれるのか。
それとも、時間が経ってから責任の置き場所をあなたに変えてくるのか。

その人は、あなたが成長した時に喜ぶのか。
それとも、あなたが自分の支配から抜けそうになると圧をかけてくるのか。

危ない相手は、最初から危ない顔をしていない。

むしろ最初は、かっこよく見える。
頼もしく見える。
自分を認めてくれる。
自分を引き上げてくれるように見える。

でも、本当に見るべきなのは、うまくいっている時ではない。

失敗した時。
お金が絡んだ時。
責任が発生した時。
こちらが断ろうとした時。
距離を取ろうとした時。
そして、過去には「責任を取らせない」と言っていたはずなのに、後から話が変わった時。

その時に、その人の本質が出る。

示談書という言葉で、俺は目が覚めた

今回、俺は危なかった。

もう面倒だから10万円返して終わりにしよう。
そう思っていた。

でも、示談書という言葉で止まれた。

そこで調べた。
考え直した。
人に相談した。
LINEを見返した。
流れを整理した。

そして気づいた。

これは単なる返金ではない。
これは、責任をこちらに寄せる動きかもしれない。

その瞬間、過去の憧れも、恐怖も、遠慮も、かなり消えた。

俺は、もう昔の俺ではなかった。

23歳の頃、前で話す大人を見て「かっこいい」と思った俺。
その人に認められて嬉しかった俺。
その人を疑えなかった俺。
妻の話を聞いて怒りで壊れそうになった俺。
でも何年も関係を切れなかった俺。

その全部を、今の俺が見ている。

責めたい気持ちもある。
情けないと思う気持ちもある。
でも、今は少しだけ思う。

あの時の俺は、俺なりに必死だった。

憧れた大人を疑うのは、簡単じゃない。
世話になった人を切るのは、簡単じゃない。
過去の自分の判断を間違いだったと認めるのは、簡単じゃない。

でも、それでも切らなきゃいけない関係はある。

恩があっても。
過去があっても。
憧れがあっても。
一緒に走った時間があっても。

今の自分と家族を守るために、切らなきゃいけない関係はある。

最後に

俺は、相手に勝ちたかったんじゃない。

いや、正直に言えば、勝ちたい気持ちもあった。
見返したい気持ちもあった。
いつか分からせたい気持ちもあった。

でも、本当に必要だったのは、相手に勝つことではなかった。

自分の中に残っていた支配から抜けることだった。

俺はずっと、過去の憧れに縛られていた。
過去の怒りに縛られていた。
過去の恐怖に縛られていた。
過去の自分の判断に縛られていた。

でも今回、やっと分かった。

人を見る目は、怒りで曇る。
憧れでも曇る。
恩でも曇る。
恐怖でも曇る。

だからこそ、構造で見る必要がある。

誰が何を言ったのか。
誰が何を約束したのか。
誰が何を受け取ったのか。
誰が何を決めたのか。
誰がどこまで責任を持つと言ったのか。
そして、いつ話が変わったのか。

感情ではなく、事実で見る。

すると、見えてくる。

相手が大きく見えていただけだったこと。
自分が勝手に怯えていただけだったこと。
そして、もうその関係を続ける必要がないこと。

憧れた大人を疑えなかった俺へ。

お前は馬鹿だったわけじゃない。
ただ、信じたかっただけだ。
認められたかっただけだ。
昔の自分の選択を、間違いにしたくなかっただけだ。

でも、もういい。

その人に認められなくても、俺の人生は進む。
その人に許されなくても、俺の人生は進む。
その人と関係を切っても、俺の価値は下がらない。

むしろ、やっと戻ってきた。

俺の人生は、俺のものだ。

そしてもし、今これを読んでいる誰かが、
危ない相手との関係を切れずに苦しんでいるなら、これだけは覚えておいてほしい。

違和感は、無視しない方がいい。
お金を払えば終わるとは限らない。
示談書にサインする前に、一度立ち止まった方がいい。
電話ではなく、文字で残した方がいい。
一人で判断せず、第三者に見せた方がいい。

そして何より、
昔憧れた人が、今のあなたを苦しめているなら、
その憧れはもう手放していい。

人は変わる。

相手が変わらなくても、自分は変われる。

俺は今回、やっとそれに気づいた。

そして自分との戦いはこれからが本番だ。

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