第90回 科研費の審査はこのままでよいのか―「大学教員による相互審査」という構造の限界と、独立審査機関の必要性―
科研費の審査は、同分野の研究者によるピアレビューを基本としています。
この仕組みは長年、日本の学術研究を支えてきました。
しかし今、その前提そのものを見直すべき段階に来ているのではないでしょうか。
なぜなら、科研費は単なる研究費ではないからです。
科研費は、研究者の評価に直結し、研究の実現可能性を左右し、さらには日本の研究力、ひいては国力にまで影響を及ぼす制度です。
それほど重要な制度であるにもかかわらず、その審査が大学教員の「片手間の業務」として扱われているとすれば、この構造は本当に適切なのでしょうか。
「研究者が審査する」という前提の限界
科研費審査の前提は、「専門家が最も適切に研究を評価できる」というものです。
しかし現実には、審査員自身もまた現役の研究者であり、同じ競争環境の中にいます。
この構造は、
・同一コミュニティ内での相互評価
・既存の研究潮流への適合が有利になる傾向
・挑戦的研究よりも「評価しやすい研究」が選ばれる構造
を生みやすくします。
本来支援されるべき多様性や挑戦性が、制度によって抑制されてしまう可能性すらあります。
審査は本当に「読まれている」のか
もう一つの問題は、審査負担です。
多くの審査員は、教育・研究・大学運営といった本務を抱えながら、限られた時間で多数の申請書を評価しています。
その結果、
・十分な精読が難しい
・短時間での印象評価に依存しやすい
・構造や見せ方によって評価が左右される
といった状況が生じます。
現場ではしばしば、「申請書は読まれていない前提で書くべき」とすら言われます。
これは、審査の質が個々の研究者の善意と努力に依存していることの裏返しです。
見えないバイアスと評価の固定化
利益相反の排除は行われていますが、それだけでは十分ではありません。
実際には、
・分野ごとの評価軸の固定化
・コミュニティ内の暗黙知
・「何が良い研究か」に関する共有前提
といった、構造的バイアスが存在します。
これらは制度的に排除が難しく、評価の多様性を制限する要因となります。
「審査を専門とする人材」という発想
ここで一度、「誰が評価するのか」という前提を見直す必要があります。
一つの方向性として考えられるのが、
審査そのものを専門とする人材の育成と配置です。
例えば、
・博士号を有し、専門分野の基礎理解を持つ
・日常的に論文精読や学会動向の調査を行う
・研究テーマの位置づけや新規性を俯瞰的に整理できる
といった能力を持つ人材が、
情報調査と評価を主業務とする専任審査員として機能する仕組みです。
彼らは「研究を競う当事者」ではなく、
研究を理解し、比較し、適切に位置づける専門家です。
独立した審査機関という選択肢
この考え方を制度として実装するのであれば、
大学や既存の研究コミュニティから一定の距離を置いた独立審査機関
が必要になります。
具体的には、
・専任審査員による一次評価(情報整理・比較分析)
・必要に応じた専門家レビューの補完
・評価プロセスの標準化と可視化
といった仕組みです。
そのうえで、研究者の関与については、原則として限定的なものにとどめることが望ましいと考えられます。
必要に応じて個別の専門的知見を参照することはあり得るものの、現在のように研究者自身が審査の主体を担う構造については、再検討の余地があるのではないでしょうか。
このように審査機能を独立させることによって、はじめて質と公平性を制度として担保できるようになると考えられます。
「専門家」と「評価者」は同じではない
重要なのは、
専門分野の研究者であることと、適切に評価できることは同義ではない
という点です。
評価には、
・比較の視点
・申請書の構造・構成の深い理解
・評価軸の明確化
といった、別種の能力が求められます。
そしてそれは、本来「片手間」で担うべきものではありません。
まとめ:国力に関わる審査を副業にするべきでない
科研費は、研究者のキャリアを左右し、研究の実現可能性を決定づけ、日本の研究力に直結する制度です。
だからこそ、
その審査を「善意に依存した副業」にしてよいはずがありません。
大学教員による相互審査は、これまで機能してきた側面もあります。
しかし、それが今後も最適であり続ける保証はありません。
審査を「誰かがやるもの」ではなく、
制度として設計すべき中核機能として捉え直すこと。
そして、
評価を専門とする独立した仕組みを構築すること。
それが、これからの科研費制度に求められているのではないでしょうか。
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