第143回 研究用試薬は自由に使えるのか―リサーチツール特許を考える―
前回の記事では、特許法第69条第1項の「試験又は研究のための実施」について解説しました。
すると、多くの研究者は次のような疑問を持つかもしれません。
「研究用試薬は自由に使ってよいのか」
「研究用ベクターや抗体にも特許は及ぶのか」
「研究目的なら許諾はいらないのではないか」
このような問題は、知的財産の分野ではリサーチツール(研究を支援する技術や材料)に関する特許をめぐる論点として議論されてきました。
今回は、研究者が日常的に利用している研究用試薬や研究ツールと特許権との関係について整理してみます。
リサーチツールとは何か
リサーチツールとは、研究そのものではなく、研究を進めるための手段となる技術や材料をいいます。
例えば、
抗体
ベクター
細胞株
遺伝子
プライマー
スクリーニング方法
などが代表例です。
これらは、新たな知見を得るために利用される研究基盤ともいえ、生命科学分野をはじめ、多くの研究で日常的に使用されています。
なぜ問題になるのか
例えば、特許が成立しているベクターを用いて、がんの発症メカニズムを研究するとします。
この場合、研究者が解明しようとしているのは「がんの発症メカニズム」であり、ベクター自体ではありません。
つまり、ベクターは研究対象ではなく、研究を進めるための手段として利用されています。
そこで問題となるのが、特許法第69条第1項です。
この規定では、「試験又は研究のためにする特許発明の実施」には特許権の効力が及ばないとされています。
しかし、研究の手段として特許発明を利用する場合まで、この規定の対象に含まれるのかについては、議論があります。
学説や実務ではどのように考えられているのか
この点については、裁判例の蓄積は多くありません。
そのため、第69条第1項の適用範囲については、学説や実務上の議論が重要な意味を持っています。
特許庁の検討会では、特許発明そのものを試験・研究の対象とする場合を中心に、第69条第1項の適用を考える見解が整理されています。
そのため、研究ツールとして特許発明を利用する場合については、第69条第1項の適用には慎重な考え方が示されており、一律に結論づけられるものではありません。
このように、リサーチツールに対する第69条第1項の適用範囲は、現在でも知的財産法上の重要な論点の一つとなっています。
実際の研究現場では
研究者の中には、
「普段、ベクターや抗体を使うたびに特許権者から実施許諾を受けているわけではない」
と感じる方も多いでしょう。
実際、そのとおりです。
では、研究者はなぜ日常的に研究用試薬や研究ツールを利用できているのでしょうか。
この点については、一つの理由だけで説明できるものではありません。
例えば、そもそも対象となる特許権が存在しない場合もあれば、契約上の利用条件が関係する場合もあります。また、研究用試薬として市販されている製品については、研究用途での利用が予定されて流通しているケースも少なくありません。
このように、研究者が実施許諾契約を個別に締結することなく研究用試薬や研究ツールを利用できる背景はさまざまであり、その法的根拠も一律ではありません。
そのため、「実施許諾契約を結んでいないから第69条第1項が適用される」と単純に考えることはできず、個別の事情に応じた検討が必要となります。
おわりに
研究用試薬や研究ツールは、多くの研究者にとって日常的に使用するものです。
一方で、その利用には、特許法第69条第1項だけでは整理できない論点もあります。
リサーチツールについては、「試験又は研究のための実施」がどこまで認められるのかという点について、現在でも議論が続いています。
研究者自身が詳細な法解釈まで理解する必要はありませんが、「研究だから自由に使える」と単純に考えるのではなく、このような論点が存在することを知っておくことは、知的財産への理解を深める第一歩となるでしょう。
なお、この分野は裁判例の蓄積が十分とはいえず、今後の実務や裁判例の動向も注目されます。
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