第82回 科研費を「まだ申請していない」医学系の先生へ― ご多忙な日常の中で、あらためて考えてみたいこと ―
臨床、教育、研究、さらには組織運営まで。
医学系の先生方が担われている業務は非常に幅広く、日々お忙しいことは、あらためて言うまでもありません。
そのような状況の中で、科研費の申請について
「準備に十分な時間が取れない」
「中途半端な状態で出すくらいなら見送った方がよいのではないか」
とお考えになり、申請を控えておられる先生もいらっしゃるのではないでしょうか。
こうした判断は、決して不自然なものではなく、むしろ誠実な姿勢の表れであるようにも感じられます。
それでも、少しだけ立ち止まって考えてみると
一方で、そのように「申請していない状態」が続いている場合、
長期的な観点から見ると、やや機会を逃している可能性もあります。
医学系の研究は、
臨床との結びつきが明確であること
社会的意義を説明しやすいこと
実データや症例に基づいていること
といった点において、科研費の審査において評価されやすい要素を多く含んでいます。
日々の診療や研究の中で積み重ねられている知見は、それ自体としてすでに大きな価値を持っています。
「研究の質」と「申請書の評価」は、必ずしも一致しない
ただし、科研費の審査においては、
「良い研究であること」と
「申請書として適切に伝わっていること」
が必ずしも一致しない場合があります。
たとえば、
研究の問いがどのように設定されているか
背景から目的へのつながりが明確か
計画の実現可能性がどのように示されているか
といった点には、申請書特有の整理の仕方が求められます。
この「伝え方」や「構造」の部分は、論文執筆とはやや異なるため、経験の差が出やすい領域でもあります。
現場で見た、研究が実装される瞬間
以前、科研費を獲得し、診療の中で新しい治療法に取り組んでおられる先生のお話を伺う機会がありました。
その先生はとても忙しい日々を送っておられましたが、
新しい治療に取り組む場面では、目が輝いておられるように感じられました。
そして、その治療を受けて症状が改善したお子さんや、
それを見て安堵されたお母さまの表情も、非常に印象に残っています。
研究というと、どうしても「論文」や「評価」といった側面が強調されがちですが、
本来はこのように、目の前の患者さんの変化につながっていくものでもあるのだと、あらためて感じさせられました。
本来評価され得る研究が、十分に届いていない可能性
ご多忙な中で申請書を作成される場合、
研究の強みが十分に言語化されていない
説明の順序や構成が最適化されていない
審査者の視点での読みやすさが担保されていない
といった状態のまま提出せざるを得ないこともあるかもしれません。
あるいは、そのような状況を踏まえて、申請自体を見送られている場合もあるかと思います。
しかし見方を変えれば、これは
「あと少し整えることで、十分に評価される可能性がある研究が、そのままになっている」
とも言えるかもしれません。
限られた時間の中で、どの部分に力をかけるか
すべてを一人で仕上げることが難しい場合、
研究そのものは自分自身で構築し
申請書としての構造化や表現の部分を補助する
という役割分担も、一つの現実的な選択肢となり得ます。
特に医学系の先生方の場合、
研究の中身についてはすでに十分な蓄積がある一方で、
それを申請書として整理する時間が限られている、という状況が多く見受けられます。
最後に
お忙しい日常の中で新たに時間を捻出することは、決して容易ではないと思います。
それでも、もし心のどこかに
「このアイデアを形にできたら」
「もう一歩踏み込んだ治療ができるのではないか」
という思いがあるのであれば、
それを一度、申請書という形で外に出してみることには、大きな意味があるように感じます。
ご自身の研究としてだけでなく、その先にいる患者さんのためにもなります。日々の診療の中で生まれているその着想が、適切な形で評価され、実現につながっていくことを願っています。
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