【雑記】iPadはなんでもできる、ゆえに何にもしない。万能すぎる道具が抱える逆説。
※本記事はワタシが執筆および検証を行い、最終的な誤字脱字の確認・校正にのみAIを活用しています。
どうも、はむおっちです。
iPadは魔法の板だ。
この薄くて軽いデバイスひとつに、想像を超える可能性が詰まっている。
情報収集、創作活動、学習、娯楽、通信。
現代のあらゆる営みを、これ一台でこなすことができる。
しかし、ある日ふと気づいた。
「なんでもできる」はずのiPadを前にして、なぜか何もしていない自分がいる。
昔は、iPadなんてなかった
昔はiPadなどない。
インターネットも、スマートデバイスもなかった。
しかし、そんな中だ。
人々は紙とペン、本と自分の思考だけで、壮大な思想体系を築き上げ、文学や哲学、芸術を生み出してきた。
レオナルド・ダ・ヴィンチは手書きのノートに自分の創造を描き、漱石は万年筆で小説を書き上げた。
太古から口伝で伝えられた教えだってある。
その時代に、iPadはなかった。
それでも、時代を超えて人の心を揺さぶる「何か」が確かに創られていた。
では、なぜ自分はできないのか?
むしろ、現代は恵まれている。
iPadという魔法の板がある。
この一台で、文章も、絵も、映像も、音楽すらも創れる。
わざわざ印刷所に持ち込まなくても、自宅にいながら出版すらできる。
しかし、それにもかかわらず、
いや、それだからこそ、人は「何もしなくなる」。
なぜか。
選択肢が多すぎるのだ。
「絵を描こうか、動画を撮ろうか、読書をしようか、音声配信をしようか」
iPadを起動するだけで、これだけの選択肢が一気に眼前に広がる。
その結果、決めきれず、手が止まり、気がつけばSNSを開いていたりする。
可能性に酔い、現実の行動が麻痺するのだ。
「一行三昧」というヒント
突然だが、ワタシは禅を学んでいる。
その中には「一行三昧(いちぎょうざんまい)」という言葉がある。
意味はこうだ。
「たった一つの行に、心身のすべてを集中させて没頭すること」
これこそ、今を生きる我々に必要な精神だと感じる。
iPadは確かに万能だ。
しかし、何か一つに没頭しなければ、宝の持ち腐れにすらなりうる。
「今日はノートを書く日だ」と決めて、iPadとApple Pencilだけを手に取る。
「今日は読書に集中する」と決めて、他のアプリを一切開かない。
これだけで、iPadは本来の力を発揮し始める。
情報過多時代に必要な能力
今の時代、必要なのは「持っている情報の量」ではなく、それを「いかに使うか」ということだ。
便利なものは、時に集中力を奪う。
多機能であるがゆえに、意識を分散させ、表面的な作業を繰り返すだけの時間が過ぎていく。
だからこそ、あえて「一つに絞る」。
目的と使い方を明確にした上で、iPadを起動する。
その瞬間、iPadは最強のパートナーになる。
まとめ:我々が進化しよう
iPadはなんでもできる。
でも、「なんでもできる」という状態は、人間にとっては少し酷だ。
だからこそ必要なのは、我々の側の「集中力」だ。
一つの行、一つの目的に心を注ぐ。
それができてはじめて、iPadは真に「なんでもできるデバイス」になる。
iPadの進化に負けてはいけない。
そして、可能性に押しつぶされるのではなく、それを使いこなすために。
まずは今日、自分が「何をするか」を決めて、iPadを開いてみよう。
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