【劇評】レゲエ☆パンチ『Bouquet』(2025.02.09)
友人に誘われ、長野県千曲市にある「raum 戸倉宿 坂井銘醸 ギャラリー昭和蔵」にて上演されたレゲエ☆パンチ第1回公演『Bouquet』を鑑賞してきた。酒蔵を活かした会場で天井が高く、雰囲気の良い空間で上演された物語について書き綴ってみようと思う。
以下、ネタバレ含む。
『Bouquet』(以下、本作)の率直な感想としては、「おもしろかった、けれども…」だ。まずシスターフッド的な物語を小劇場で鑑賞することができたのは、とても嬉しい。演劇作品へのアンテナが低いので、今、演劇界ではどれくらいシスターフッド的作品が上演されているかわからない。映画や小説、漫画では増えてきてると感じるし、実際に手に取ったり、鑑賞したりしてるくらいにはシスターフッドな作品が好きだ。そういう中で演劇でシスターフッドが描かれてる作品と出会えたのは嬉しかった。
わたしはあまり、役者の演技というものについてはよくわからないのだけど、終盤で思わずうるっとくるくらい心動かされる芝居がそこにあった。物語の構成や展開についても、一直線の時系列で比較的わかりやすい作りになっていたと思う。なので、総じておもしろかったと言える。言えるのだけれども、「けれども」がついてしまうのは、以下の点が気になってしまったからだ。
・時代設定と社会通念のズレ
・女性の身体に関する権利と考え方
・性的マイノリティへの理解度
本作は、東京から地方へ移り住んできた女性カップルである靖恵と郁美、靖恵たちの家を訪ねてきた里子、靖恵の親戚・絵理、4人の女性たちが織りなす物語だ。多様性や性的マイノリティ、妊娠・出産・子育てといったものが要素として取り入れられている。
本作の大きな特徴で、物語の鍵になるのが「マイペタル」だ。マイペタルは、女性の子宮をデータ化し、体外管理するというもので、劇中ではクリスタルで作られた蓮の花ような造形となっていた。
「子宮を体外で管理する/できる」という技術設定から考えるに、現代ではなく未来の話だと思うのだが、「今は多様性の時代だからね」的なセリフから「あれ?これは現代日本か?」とやや首を傾げてしまう。それだけの技術革新が起きてる時代ならもう少し考え方も現代とは異なってくるのではないだろうか。
あるいは「技術が発達した別の世界線の現代日本」と捉えることもできるかもしれないけど、そこまで複雑な設定なのだろうか。田舎で女性カップルが噂になるという場面からも、技術は未来、社会通念は現代というズレというか捻れのようなものを感じる。
またマイペタルという設定はなかなかに危ういと思った。作中では、物語の時間軸から約50年ほど前に、男性医師によってマイペタルが開発された。これは男性医師の妻が妊娠に困難を抱えていたからだという。そこから時代は下り、初の女性総理大臣がこのマイペタル(もしくはマイペタルの譲渡)を普及させたという。
(※記憶があやふやで、女性総理大臣のもとに普及したのがマイペタルという技術だったか、マイペタルの譲渡だったか、ちょっと失念してしまった。)
マイペタルの譲渡とは、平たく言えば、他の女性に子宮を提供することと同義だろう。他者の健康な子宮でもって不妊(等の困難)を解決するという仕組みだ。正直なところ、「男性医師が子宮を体外で管理できる技術を開発」というところでかなり眉をひそめるのだが、そこに加えて初の女性総理大臣がマイペタルを推進するというのは、かなり疑問が残る。
女性の総理大臣が誕生するくらいの社会ということは、女性の地位・権利が向上してる、あるいはしつつある社会を想定するのだが、マイペタル(子宮を管理する)という設定は女性の権利、特にSRHR、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)に反するものでは?ましてやそれを女性の総理大臣が推し進めるのだろうか。と首を傾げてしまう(もちろん、そういうこともあるかもしれない)。まだ男性総理大臣によって推し進められる方が現実味があるというか、理解できる。
また作中で「女性同士のカップルはマイペタルを使用しない(=子宮を使わない・妊娠しない)」ということが繰り返し、セリフで語られる。しかしながら、レズビアンのカップルが精子提供によって妊娠し、出産・子育てを行っているという現実もあると知っている者からすると首を傾げざるを得ない。例えば、「精子提供が禁止されている(そのためレズビアンは妊娠できない)」ということが物語の中で提示されていれば腑に落ちなくはないのだけど…。
本作は、こういったディティールの作り込みが少々甘かったと思う。またマイペタルという設定は、女性の身体や権利といったものが軽んじられていると受け取られてしまう部分もあるだろうし、それによって観客の中には苦しいと感じた人もいるのではないだろうか。苦しいまでいかなくともざらついた気持ちにはなると思う(わたしは少しざらついた)。
それぞれの立場、経験、想い、多様なバックグラウンドのある女性たちが手を取り合って、生きていこうとする物語には人をエンパワメントする力がある。本作はもう少しディティールを丁寧に、そしてこの物語が人に、特に女性にどのように受け止められるのかを考え、作り込んでいけば、誰かをエンパワメントできる物語へと変貌するのではないだろうか。あるいはそうなってほしいと願いながら、筆を置く。
