少し、蜂蜜。
いいですか、絶対に開けないでくださいね。
いいですけど、開かないようにしておいてくれますか?
それはできないんです。
開けられるようにしておかないと、開けられないから。
誰が開けるんです?
それはわかりません。開ける時が来たらわかるのかもしれません。
なるほど。。
ぼくが預かっている間にその時が来ることはないんですか?
ない、とは言い切れないです。
でも、わたしに言えるのは開けてはいけない、ということです。
わかりました。
それで、どうやって開けるのですか?
いや、開けないために知っておかないといけないかと。
わかりません。わたしは開け方を知らないので。
嘘をついてるな、と思った。
開け方を知らない人が、開けられるようにしておくとかナントカ言うはずがないじゃないか。
とにかく、常に持ち歩いていてください。一ヶ月以内に、回収しますので。
細かいことをあれこれ聞くこともできたが、嘘をついてる人から出てくる答えなど聞かない方がましだと思った。それに、開けるところに立ち会うかもしれないと思うと刺激があって面白そうじゃないか。
それじゃぁ、また。連絡いたします。
小さな丸テーブルを挟んだ向かいのソファからゆらりと立ち上がると、そのひとは軽いが丁寧な会釈を残して立ち去った。ゆっくり着実なハイヒールの歩み。振り返ることもなかった。
ソファに沈みこんで、ぼくは天井を見た。呆気にとられながらも、久しぶりのスリルに浮かれた胸をさわさわと撫でた。
天井を見上げたのって、いつぶりだろう。
じっと天井を見上げたまま、小さな丸テーブルの上にあるコーヒーのことを考える。アーシーで滑らかで、でも微かに柑橘が薫っていい感じだった。まだなみなみとカップに残っているのだ。ほどよく冷めて、きっと飲み頃だろう。そして、その隣に置いたアレ。
おっと。目を離しちゃマズいか。
ふっとお腹に力を込めて軽やかに身体を起こすと、そのまま右手を伸ばしてカップを迎えにいく。
え?
ない。置いたはずの場所にアレはなかった。こぼさない程度に素早く、カップを持ち上げテーブルの表面を見回す。一瞥で済むだけの小さな丸テーブルがやけに広く感じる。艶のないチャコールグレーの平らな海。
ほとんど無意識に、持ち上げたままのカップの底を覗き込む。
あるわけない。
…ちょっと待った。
反射的にカップを置きかけた自分を引き止める。
まずコーヒー。
琥珀色の水面(みなも)を手繰り寄せる。微かな柑橘。舌の上に滑り込ませると、なめらかに広がる。うん。
それにしたって、どういうことだろう。誰も近寄って来ていないし、何かが落ちたりする音も聞いてないのだ。もう一口飲んで静かにカップを置くと、屈み込んで足下を見回す。立ち上がって、ソファを動かすと灰色の埃がほんのり積もっている。元に戻してまた座る。コーヒーをまた一口。
どうしようかな。
少し蜂蜜を入れたくなった。
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