なんのはなしですかのはなし
自分の半生に向き直って、辿り直した。
星がそうしろと背中を蹴り込んで来たから。
長く曲がりくねった道。
(さらにそれはこの長く曲がりくねった半生の全てから滲み出した水源が、滴り落ちるのを受ける器となるべきプロジェクトを起草し立ち上げる、出産とも言えるかもしれないその圧縮された過程の末の、臍の緒を切る作業とも言えるかもしれないものかもしれなかった。)
辿り直した末に、その仕上げ的なことの一環的な意味も込めて、少しだけ文章にして公開した。
そうしたら、疲れた。
プロジェクトは産まれて早々に私をこき使い、私はそれを受け入れて支えることにしたから、私はエゴの手をするりと抜けて言葉を紡ぐことができたけれど、また捕まりそうになって、また捕まりそうになって、それでもなんとかすり抜け続けて書き上げた。
そうしたら疲れたのだ。
ある面ではきっと創作大賞のせいだった。
でもとにかく意味を持たせる作業に疲れて、気がついたら「#なんのはなしですか」の路地裏に迷い込んだ。怪しみながらも、直感は頷いていた。
私はすぐ核心を突きたくなる性分なので、鼻を効かせて「なんのはなしですか」についてコニシ木の子さんが書かれた例のピン留め記事に辿り着いた。
正直、何がツボなのかよくわからなかった。いや、「なんのはなしですか」という普遍的ツッコミの面白さは汲み取れたつもりだが、それを追いかけ続けた道のりの肝が何なのか、最初はピンと来なかったと言った方が正確だ。
結果の羅列を見せられても私は納得しない。本物かどうかはいつも、過程や行間や背中に宿ると思っている。
そうして「通信」を読んで驚愕した。捲っても捲っても、右手のスクロールバーは遅々として、半分にも及ばないところで私は根負けしてしまって、半ば呆れながら文字が溶ける速度で降りていき、その長さを一応体感した。
一応で失礼ですが、最後段まで降りてきて、こんなこと自分には到底できない、と畏怖の念を感じたのだった。素直に。
茫然と煙を燻らし一服しながら、「回収」と呼ばれるその作業の、深い霊性に想いを巡らせた。
そこには半ば狂気が宿っている気がするし、人の心を動かすものにはいつも幾らかの狂気が宿っていると。
そして「回収」と「通信」を通じた作業が、絶妙な形でエゴからの解放の可能性を伴っていると、そこに私は霊性を感じたのだと。
気がつくと私はもうひとつ新規でこのアカウントを作って、試しにまず「#なんのはなしですか」と心に抱いて、下書き画面を開いた。
するりと軽快に言葉が流れ出して、2時間も経たずに書き終わった。なんのはなしでもない、ほんのごく短い文章だけれど、いつもなら私には重圧である、書き上げるということ自体がするりと為され、呆気なくも軽やかな好い心地がした。
書くという作業が引き起こす、疲れと癒え。不思議なる人生の縮図を垣間見た気がした。
「なんのはなしですか」という言葉に感謝するという何の話かわからないような妙な気持ちを、少しわかるかもしれないようになったのかもしれない。
すごいデスネ。
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