見出し画像

046 わたしの履歴 前編(独立開業まで)

こんにちは。「たいわや」こと、中村文昭です。
現在、札幌で女房とふたり、静かな生活を送りながら、対話を通じた中小企業支援を生業としています。
「たいわや」と自ら名乗るほど、私は人との対話が大好きです。

まず初めに申し上げておきたいのは、同姓同名の著名人――クロフネカンパニーの中村文昭さんとは別人です(笑)。こちらは、地道に人生の回り道を重ねながら、支援者という天職にたどり着いた、中小企業診断士・対話実践者の方の中村です。

第1章 原風景――茶畑と叱咤の記憶

私は昭和38年、千葉県に生まれました。
老舗茶舗を営む家庭の次男として、茶畑、製茶工場、そして店舗――あらゆる「現場」で働く人たちの中で育ちました。

明治・大正生まれの大人たちと畑で一緒に働き、食事をし、ときにからかわれ、ときに本気で叱られながら過ごした日々は、今となっては何よりの財産です。

小学生時代は、快活で好奇心旺盛。人生最初の「順調な時期」だったように思います。
中でも5年・6年の頃が人生のピークだったかも……なんて、冗談まじり(半分本気だけど)に思い返すこともあります。

けれど、その反動だったのか、思春期にはうまく自分を持て余し、中学・高校では不良モドキの劣等生へ転落。
それでもなんとか大学へ進学し、無事にそこそこの大企業へ就職。

……が、入社後も、どこか目的意識の薄い「ぐうたら」な日々を過ごしていました。

そんな私に転機が訪れたのは、30代後半。
酒飲み仲間のほとんどがリストラに遭い、ただ一人若かった私だけが取り残された・・・そんな出来事がきっかけです。

「もう若くない。このままだと人生そのものがヤバい」。
そう、いわゆる“中年の危機”が、私の「第二の人生」のスタート地点でした。(2001年、38歳)

第2章 もがきと探求の6年間

2-1 自己啓発の世界へ

中年の危機を打破すべく、まず始めたのが読書でした。
とはいえ、それまで本などまともに読んだことがない。そこで選んだのは、読みやすそうな自己啓発本。

『チーズはどこへ消えた?』や神田昌典さんの著作などを手に取り、20~30冊は読んだでしょうか。
読んで満足するだけでは意味がないと、実践も心がけ、「自己変革プロジェクト」に取り組みました。

しかし、1年後の結果は……残念ながら営業成績も社内評価も横ばいのまま。「リストラ予備軍」から抜け出せませんでした。

自己啓発本には一理ある。でもそれは哲学書であり、視点の転換を促すものであって、実践につながるとは限らない・・・そんな実感だけが残りました。

2-2 理論と行動の強化

次に試したのは、より科学的なアプローチ。
営業成績向上を目指して、KPIの設定、行動管理、ビジネス理論の実践など、理論武装を徹底。

読書も実践的なビジネス書へ移行し、年間100冊ペースに。
行動量も増え、トークスキルも向上。これでダメならおかしいだろう、と思いましたが……やはり成績は横ばい。

それでも、努力を「背水の陣」として楽しんでいる自分がいました。

2-3 分析と計画に命を懸ける

「ここまで来たら徹底的にやってやる」。
私は、訪問先のデータ収集と分析、行動ログの記録を始めました。データベース(Access)まで活用し、ワード・エクセル・パワポは当たり前、毎週月曜朝7時に出社、ひたすら営業を重ねる日々。

読書時間は年間1200時間。土日は一日中風呂場で読書。中小企業診断士の試験範囲を参考に、あらゆる専門知識を網羅するつもりで勉強しました。

私の本はたいがい書き込みだらけ

それでも・・・成果は出ない。
でも、どこか清々しい。
ゲームのように、目の前の「難問」を解き続けている感覚でした。

2-4 「知識」では変われない

行動した。知識も身につけた。それでも結果が出ない。

「知識や技術だけでは変われない」。
ようやく、そこに気づきます。

そこからは、心理学や哲学、リーダーシップ論、人間関係、チームワークに関する本を読み始めました。
しかし、それでも結果は変わらなかった。さらに1年、もう1年……気づけば6年が経過。

「いったい何が間違っていたのか?」

第3章 2人のメンターの言葉

3-1 「もったいない人生」

メンターの一人に相談したとき、こう言われました。

「うちの会社に来てくれれば、それなりの役職を用意するよ」

でも当時の私は「社交辞令だろう」と受け流し、本題に迫りました。
「なぜ、これだけ努力しても成果が出ないのか」と。

彼が口にしたのは、

「……もったいない人生だなあ」

その真意は当初よく分かりませんでしたが、後に再確認したところ――
私の能力と現在の職場がまったくマッチしておらず、だからこそ「うちに来い」と本気で誘ってくれていたのです。

つまり、間違っていたのは「やり方」ではなく「居場所」だったのです。

3-2 「嫌われてんじゃない?」

もう一人のメンターは、開口一番こう言いました。

「嫌われてんじゃない?」

ドキリとしました。思い当たる節がありすぎたからです。

理屈っぽく、小難しく、自分の正しさばかりを押しつける…
そんな私が、周囲から距離を取られていたのは明らかでした。
チームワークを語りながら、実際には組織を破壊していた。そう、私自身が問題の「原因」だったのです。

第4章 転機――「支援者になる」と決めた日

2006年、あるニュースが私の人生を変えました。
ノーベル平和賞に輝いたムハマド・ユヌスの受賞理由を知ったのです。

「すべての人間は生まれながらにして起業家である」

貧しい女性たちの可能性を信じ、設備資金を貸し、自立を促した…「人は等しく可能性を持つ」と証明してくれたユヌスの言葉に、私は打たれました。

「こんな自分でも、何か役に立てるのではないか」
「私のように、可能性を閉ざした人たちを支援することが、私の使命ではないか」

そう気づいた瞬間、体の底からエネルギーが湧いてきました。
翌朝、出社するとすぐ、上司と同僚に半年後の独立を宣言。
社名は「ネクストビジネス」。とっさに出たその言葉が、私の未来を象徴する名前となりました。

第5章 そして今・・・たいわやの原点

その後、これまでの勉強の甲斐あって、中小企業診断士の資格を取得。
2008年、44歳で独立。ようやく「自分の人生」を歩み始めました。

現在は、主に中小企業の経営者や幹部、組織チームへの支援に力を入れています。
特に「対話」を通じて相手の可能性を引き出す・・・これこそが、私の真骨頂です。

自分の過去のように、「正しさ」で人を傷つけるのではなく、「関係性」や「信頼」の土台を築くことで、組織が本来の力を発揮できるよう支援していきたい。

それが「たいわや」中村文昭の使命です。

最後に

この話が、今、何かに悩み、もがいているあなたの励ましになれば幸いです。
私は凡人中の凡人です。けれど、それでも変われた。
人生のどん底でも、手を伸ばせば、次の一歩はつかめるはずです。

人生に“遅すぎる”ことなんてない。
それが、私の信じる真実です。

『自律型組織をデザインする』好評発売中!!


いいなと思ったら応援しよう!