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歩いて辿る記憶@お盆deけーる

 盆休みとなって、高齢の母を見舞い、墓参りに実家へ向かった。お墓に行くこと以外は特にするべきこともなく、車の運転をしない夫と私はただ歩いて回ることくらいが関の山だ。ここに来る前に馬込にある夫方の墓参りを済ませ、彼の生まれ育った界隈を巡って長い時間が経った事実に浸ってきたばかり。私も巡ってみようと思った。
 関東圏に来たとはいへ、暑さは容赦なく、夕方の時間を待って出かけた。小学生のころよく遊んだ神社の前に立った。大きなあの樹、健在だ。子どものころは、しめ縄は付いてなかった。御神木として祀られるようになるとは思わず登ったり座ったり根本でおままごとをしたりしてたことを思い出した。

 草を土から引き抜くとミミズが大量に姿を見せるのが面白くて、そこら中抜きまくった。それは良いのだけれど、集めたミミズをかき氷のカップに詰めて並べたのは、今思うと残酷な遊びだったと振り返る。

 ここから更に歩いて、愛宕神社がある沼まで歩いた。

 沼の入口、なんておおらかな空なんだろうと思う。夏には花火大会が行われ、中学ではこの沼を回るマラソン大会があり、高校ではカップルの逢引コースだった。釣り人もよく見かけたが、今は静かに佇むのみなのか。

このあたりは、葦や蒲の穂が茂った湿地だったと思うのだが、こんなさっぱりした湿地公園になっていたとは、ミゾカクシがパラパラ咲いていた。日が暮れ始めて、風景は情緒的になってきたな、、、

なーがれーる雲な涙色〜🎶でもないか (昭和だな 笑)
エノコログサ 結構好きみたいだ
ふと眺める水面

遠くに見える橋は子供の時はなかった
鄙びた沼 この先に愛宕神社がおわします
水の色が違うなって思う もっと緑色だった気がする

次の日、通ってた幼稚園方面を歩いてみた。歩いているところが通っていた道だと気づくのに少し時間がかかった。

幼稚園 きれいになってる

 私が通っていたころは木造平屋建てだった。横並びの教室3つは同じだ。道を挟んでお隣は通っていた高校。卒業して40年以上経つけれど、建物は当時のままではあるが、耐震補強されて、ちょっと違う。笑

ベランダ、、、思い出
体育館も健在だ
高校の裏側

 当時はフェンスはなく鬱蒼とした樹と木の囲いがあって、丁度電柱のあたりが破壊してたのかな、そこから道に飛び降りてエスケープ、対面にあった喫茶店へ行ってた。もうそれは出来ないね。笑 
汚いプレハブの文化部室ももうない。

 ここまで来て思い出したのが、幼稚園の時にお泊り会をした場所、礼拝などはしていなかったと思うが教会と呼んでいた。袋小路の小道に入っていくのだが、、、

あった! 築何年になるんだろうか、子供の頃はこの道は鬱蒼とした森の道で建物全体は見えてなかった。近づくと記念碑が立てられていた。

イギリス系の伝道師夫妻が、明治初期に伝導のために来日し、ここに住まったのだそうだ。私の通っていた幼稚園がこの夫妻によって1927年に創立されたとな。なるほど、、、そういうことだったんだ。由緒ある幼稚園だったんだね。母は市立の幼稚園に入れなかったから仕方なくここへ通わせたとよく言っていたのだけれど。笑

全貌

全貌を眺めながら、帰路についた。幼稚園から高校まで同じ道を通っていたことに気づく。当時一緒に帰っていた友人の家の前を通ったが、もうそこには住んでないようだった。

草茫々になってた

 小学校の時、学校帰りにピンポンダッシュして怒られた家はもうなかった。よく通った駄菓子屋、おばちゃん、懐かしい場所だ。

円筒の土管の中にはいつも水がはいっていて、金魚やメダカがいたな


この道に入る
帰り道 遠くにそびえる樹

 遠くに聳えてる樹は、実家の居間から見える「たるやの山」の大木だ。かなり暑いが空が抜けてるから息苦しくない。嫌いだった生まれ育ったこの町が少しだけ心地よく感じた。もう少し歩けば母のいる家に着く。

見出しの風景は、筑波山(母の実家からの眺め)
 

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