四面楚歌と太陽
皆自分のことで手いっぱいで、見えているし気になるけど、最後まで責任が持てないから、中途半端に関わるなら最初から手を差し伸べるべきではない。それが優しさ。
皆自分のことで手いっぱいだけど、見えているし気になっている、知ってしまったからには見ぬふりはできない。最初の初動さえ動きだせたら、その後はきっとどうにでもなるから今出来ることは手を取って一緒に動くこと。それが優しさ。
前者は後者を偽善と言い
後者は前者を無関心と言う。
どちらがいいか悪いかではなくて、大切にしている部分と方法論が違うだけ。どちらにも優しさはあるし、どちらにも辛さはある。
もちろん、目的と担える部分が違えば行動も変わるし、自分の中にない選択肢に行き当たる事もあるでしょう。
だからこそ自分自身の判断に素直になる事が必要なんだと思う。どんな選択であったとしてもその人の中に「誠」があればその真意は必ず伝わる。
もし伝わらない事があるとするならば、それは誠ではなく自分理由づけの為に人を利用しているから。企みはなぜか人に伝わってしまう。
自分が弱いと感じるなら鎧を纏ったっていい。
時には鎧も盾もフル装備が必要な時だってある。本当は誰もがいつだって鎧を脱げるのを知ってるけど、今までずっと纏っていた鎧を脱ぐのが怖いだけ。鎧はいつしか皮膚になり己の肉となり、それが自分自身だと思い込む。
それでもいいじゃない、みんなそうやって強くなる。今着てる鎧は自分自身かもしれないし、
違うかもしれないけれど、そんなのどちらでもいいじゃない。あなたは強い。
四面楚歌を感じたなら、本当の敵はありのままを認められない自分自身。弱くたって、ヘタレだって、情けなくたっていいじゃない。かけがえのないたった一人の私は、ダサいのもセコイのも全部ひっくるめて全部がわたし。
もう、誰かのせいにしなくたっていい。立場や権威からはなれて自分に素直になろう。
もう充分やってきたんだから、大丈夫。
だから肩の荷を下ろして休もう。
その時、はじめて自分から出したくて出したくて仕方ないものが出て来たなら、それがあなたの本当の優しさ なんだと思う。
四面楚歌だっていい。
手いっぱいの自分に、どこからだって手を差し伸べられるのは自分自身なんだ。
