桃とティッシュ 〜和歌山、ふたたび〜
もっさり(彼)は運転中に急ブレーキを踏むと、私が前につんのめらないように、サッと左手を私の前に伸ばす。本人の中では、「かっこいい図」なんだろうけれど、私には お相撲さんが懸賞金をもらう時の手刀を切る仕草に見えている。
手刀を切ったもっさりは、大抵 治らない左の五十肩の痛みを訴える。
大阪市内から下道で和歌山に向かう途中、もっさりは何度も手刀を切っては「いててててっ」を繰り返していた。
「五十肩やのにそんなんせんでいいねん」
私が言い放つと
「癖やからしゃーないねん。左腕の1本くらい、むくみにくれてやるわ」
と、漢らしく言い切った。
しかし、もっさりの左腕をもらったところで、私には使い道がない。いや、腕枕くらいにはできるか。
そんなことよりも、しっかりとハンドルを握って運転してくれればいい。
「そんなんいらんし。私の体はシートベルトが守ってくれるから」
冷たく言い返すと
「ハッハッハッ。おお、そうかー。いらんかー」
と、実に楽しそうにハンドルを握っていた。
車内にはハマショウが流れ、もっさりはご機嫌で それ程似ていないモノマネで口ずさむ。その曲が終わり、次の曲がかかる直前、唐突にこんな事を言いだした。
「これ聴く時な、いつもむくみを思い出しながら聴くねん」
どれどれ。と、私はドキドキしながらスピーカーに耳を傾ける。
腕組み歩くよ 夜の町 2人
踊り疲れて 少しだけ お酒を飲んで
作詞・作曲家:浜田省吾
「全然違うやん! 踊ったこともないし、お酒も飲めへんやん」
一緒に踊りに行ったことなんてない。
2人とも下戸でお酒は飲めない。
「俺も今聴いてて、ちょっと違うなって思ったけど…そう言うことじゃないねん」
そのまま最後まで聴いていると、こんなフレーズで歌は終わった。
愛した事など 一度もなかった
こうして君に会うまでは
作詞・作曲家:浜田省吾
「そう言うことか」
そっけなく呟きながら、ちょっと嬉しかった。いや、大分嬉しかった。
運転中あまり話しかけると
「うるさい、黙っとけ。早く寝ろ」
ともっさりに突き放される。色々と話したかったけれど、もっさりに機嫌よく運転してもらうには黙っているのが一番なのだ。
私はいい気分のままで、助手席という名のベッドで心地よく眠りについた。
目が覚めてゴニョゴニョしていると、もっさりがチラッとこちらを見ながら呟く。
「先生(※1)は、寝起きの顔がカワハギみたいですね」
(※1 もっさりは書き物をする私のことをからかって、こう呼ぶことがある)
「カワハギってあの魚の?」
「ええ」
スマホで検索すると、なかなか間の抜けたいい顔をしている。
「目がクリッとして可愛いやん」
そう返すと
「そういうことじゃ無いんです。口がモゴモゴしてる感じが」
と、もっさりは口をムニャムニャと動かした。
カワハギの口は、どれも半開きで、ホケーッとしている。
カワハギの私に気を取られて、万が一 事故でも起こしたら・・・
事情聴取で理由を聞かれたもっさりが
「彼女の寝起きの顔がカワハギみたいで見とれていました」
と答えて、
「ほほー、カワハギみたいな顔ですか。どんな顔かやってもらえますか?」
なんてことになるかもしれない。
私は寝起きの顔がカワハギにならないように訓練しようと心に決めた。
下道を走る宣言をしたもっさりだったが、雨のせいか道路は混み、2時間走っても1/3しか進んでいない。下道を諦めて高速に乗ると、今までの渋滞が嘘のようにスイスイ進む。
ETCカードを忘れた もっさりは、料金所でオリーブカードを出した。と同時に「オリーブカードは使えません」と書かれたポスターを発見。結局、現金で支払う。
子供の頃 家族旅行で高速に乗ると、父が「1,200円」と言い、助手席の母がお財布から素早くお金を出していた。私が母みたいにお金を出せばよかったな。と、後から気づく。
今や殆どの人がETCを利用している。
「料金所の人って車がこっちに来ると思ったら、わー来た来た! って嬉しいんかな?」
もっさりに聞くと
「そりゃそうやろ。わー来たー。俺の出番や! って思うんちゃう」
もっさりも同じように思ってくれていたことが嬉しい。
今回の料金所の人が「俺の出番や」と思ってくれていたら、現金で支払った甲斐がある。
高速を下り、少し走ると煉瓦造りの建物が目に飛び込んできた。最初の目的地、純喫茶「ガス燈」に着いた。
入り口の両サイドには大きなショーウィンドウがあり、昔ながらの食品サンプルが綺麗に並べられている。中に足を踏み入れると、各テーブルにはステンドグラスのランプがぶら下がり、テレサ・テンの曲が流れていた。
気分は一気に昭和にタイムスリップする。
「いいですねー」
と、もっさりのテンションも上がっている。
店内が見渡せる少し奥のテーブルにつくと、写真を撮ろうと立ち上がったもっさりが
「あー、クラっと来た」
と腰を下ろした。
起立性低血圧でも起こしたのだろう。
「急に立つからや」
私がそう言うと、もっさりはおしぼりが入っていたビニール袋を触りながら話し始めた。
「今のうちに言っとくけどな、もし俺が突然死んでやな、むくみが悲しんでる時に机の上に置いてあるティッシュが、こう、ピラピラって動いたら、その時は「あっ、俺が来てるな」って思ってや」
立ちくらみぐらいで、大袈裟なもっさりである。
食事を終え、丹下健三 建築の和歌山県立近代美術館へ行き、建物の写真を撮り、常設展「現代の「版」表現」を鑑賞すると宿へ向かった。
この宿には昨年も2人で来た。鱧が絶品で私はことあるごとに、「また鱧が食べたい」と話していた。「今年は無理や」と言っていたもっさりだったが、結局は連れてきてくれた。
雨上がりのウッドデッキで海を見ながらジュースで乾杯をし、温泉に浸かると、待ちに待った鱧のフルコース。昨年と変わらず、肉厚でふわふわ。やっぱり最高だった。もっさりは、もう来ることはないと言ったけど、私はまた来年も来たい。
満腹になったお腹を抱え、2人で部屋の露天風呂に入るも、お湯の温度が熱すぎて私はそそくさと退散した。初めて2人で一緒にお風呂に入ってからちょうど1年。日本のアマルフィと言われる景色を目の前にしても、ロマンティックな雰囲気は生まれなかった。
朝食は釜揚げしらすの食べ放題。羽釜で炊いた炊き立てご飯の上に、茹でたてのしらすをこれでもか、と板前さんが乗せてくれる。焼きたての魚と、お味噌汁、七種類のおばんざいに湯豆腐もある。
もっさりはしらすご飯に「素敵ですねー」と何度も感嘆の声を上げ、おかわりをしてご満悦だった。
食事の途中、もっさりはおしぼりの袋をピラピラさせて、湯呑みの重量を確かめながらまた言った。
「こんな風にピラピラって動いたら、俺やと思ってや。コップは重いから、俺の力では動かせへんと思うわ」
「コップくらい動かしてや」
そう言いながら「私より早く死ぬなよ」と心の中で呟く。
チェックアウトを済ませ、宿の人に教えてもらった農産物の直売所に寄り、もっさりの好物の桃を買って、帰路に就く。
山道を上機嫌で運転するもっさりが、あれこれ話しかけてくる。虫の居所が悪かった私は
「私が話しかけたら、いつも「うるさい、黙っとけ」って言うやん」
そう言って、イヤフォンでラジオを聴きながら、そのままウトウトしてしまった。
目が覚めると堺の方まで戻っていて、懐かしい景色が目に飛び込んでくる。右を見ると、そこには超絶に機嫌の悪い顔があった。
行きと同じ車内なのに、どうしてこうも空気が違うのだろう。人が排出する二酸化炭素には気分が反映されてしまうのだろうか。
どうしたのか尋ねると「眠い」とだけ答え、どこかで休憩しようと言っても「このまま帰る」の一点張り。
HSPのもっさりはシャットダウンしてしまった。
お昼もまわり、お腹も空いたし、トイレにも行きたい。でも、そんな事を言える雰囲気ではなく、カーナビの「残り何キロ」を何度も確認しながら、ただ心を無にして時が過ぎるのを待つ。
途中、車は何度か急に停まってガクンとなったけれど、もっさりは一度も私の前で手刀を切ることはなかった。癖やっていってたやん。
ガクンガクンしながら、私は心の中で「左手、出さへんのかい」と突っ込んでいた。
もっさりは私を送り届けると、用をたし、置いていくものを置き、桃を持ってそそくさと帰って行った。
私はもっさりの気持ちや言い分をぼんやりと想像する。もっさりも、私が無視した理由を考えているのかもしれない。
ただ、私はもっさりが思っているような単純な理由で拗ねていた訳ではない。きっと、いくら考えても、もっさりには想像もつかないだろう。
女とは実に面倒な生き物である。でも、沸々と湧き上がる気持ちは自分でもどうしようもない。
もっさりが長年、女の人と付き合わずに過ごしてきた気持ちも分かる。
面倒くさい。
きっと その一言につきるのだろう。
どんよりとした気持ちで旅行の荷物を整理していると、部屋の中が妙に涼しい。見るとエアコンがついている。私のいない部屋でこの2日間、エアコンは文句ひとつ言わずに黙々と仕事をしていた。
なんだかエアコンが健気に思えてきた。
いや、自分が電源を切り忘れただけやけど。
2人で一緒に食べようと思った大きくて立派な桃は、箱に入ったままキッチンに置きっぱなしになっている。こんなにも美味しそうな桃を、1人で食べようなんていう気分になれず、桃の箱を見るたびにもっさりの顔を思い出す。
もっさりは持って帰った桃をもう食べたのだろうか。
桃の皮の剥き方を知っているのだろうか。
綺麗に皮は剥けただろうか。
もっさりが次にこの家に来る頃には、桃は腐ってしまうかもしれない。きっとどこかのタイミングで私は桃を食べてしまうのだろう。
あっ、旅行でテンションが上がっていて、もっさりの耳毛チェックをするのを忘れていた。次に家に来た時には忘れずに耳毛を抜かなくてはいけない。
人と別れる時は、いつでも「 会うのはこれが最後かもしれない」と思え。
そんな言葉を聞いたことがある。
本当にそうだ。人と別れる時は、どんな時でも気持ちよく別れなくてはいけない。
もっさりが変なことを言うから、家でも職場でも、机の上のティッシュがエアコンの風でフワフワと揺れる度に、私はもっさりを思い出す。
でも、きっと、もっさりは生きてる。
知らんけど。
そして私はもう、次の旅行のことを考えている。
長崎に行ってみたいな。
沖縄で海を見ながらのんびりするのもいいな。
もちろん、もっさりと2人で。
