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すてきな女むてきな女① 母からのLINE

「お早う
なっちゃんの
正式の 名前は なんて言うのかな
なっちゃんのお母さんが
卓球の練習中 休憩してる間に 意識がなくなり救急車で運ばれて 脳内出血で 緊急手術したんだけど まだ 人工呼吸 意識は戻ってない状態です 心配です
なっちゃんから 電話貰ったんだけど 
私が なっちゃんて
言うのも変かなと思い
LINEしました」

昨年の2月、母から突然こんなLINEが来た。


なっちゃんは小学校の同級生。
6年生の時に父親の仕事の都合でアメリカに引っ越し、私はそれ以来会っていない。
同じクラスだったのは1〜2年生の時。一緒に遊んではいたけど特別に仲が良いと言う訳ではなかった。だから、最後に話をしたのは2年生の時かもしれない。

なっちゃんがアメリカに行く、と人伝に聞いて
「気をつけてね。元気でね。」
と声をかけたかったけれど、しばらく話していないのに突然声をかける事もできず、運動場で遊ぶなっちゃんを横目で追うことしかできなかった。

そして、なっちゃんはアメリカへと旅立った。


10年ほど前、実家に帰省した時、母が突然
「小学校の時一緒やった山口さんって覚えてる?」
と聞いてきた。
「山口なっちゃんかな。6年生の時にアメリカに行った」
「そうそう。アメリカに住んでたって言ってはったわ」
「山口さんがどうしたん?」
「卓球に山口さんって言う人が居てはるねんけど、話してたら子供が同級生と違うかって」

母は30数年前から町内の卓球クラブで卓球をしている。中学の時、卓球部だった私のラケットが勿体無いから、と始めたのだ。
その卓球クラブになっちゃんのお母さんも来ているらしい。

そんな訳でそれ以来、私が帰省すると母はなっちゃんの話をするようになった。
「なっちゃん、今度1週間くらい出張に行くらしいわ」
「なっちゃんは仕事であちこち飛び回ってるんやって」

なちゃんはいつの間にか日本に帰って来て、今は両親と1人娘の4人で住んでいる。
シングルマザーでありながら、バリバリのキャリアウーマンで毎日忙しく飛び回っている。
私と違いパワフルで逞しくて素敵。小学生の時もいつもキラキラしていた。


私はクラスの中心にいるようなタイプではなく、中心にいる人を見て、少しだけあそこに入りたいな、と思っているような子供だった。

なっちゃんは明るくて、可愛くて、居るだけで華がある。周りにはいつも何人か友達が輪を作り、その中心にいた。
習い事はピアノとエレクトーンとジャズダンス。
ジャズダンス? なんやそれは? と言うレベルの私。だから、子供ながらに"私とは違う人種の人"だと認識していた。

そして何より印象に残っているのは、お母さんのことを「ママ」お父さんのことを「パパ」と呼んでいたこと。
今では当たり前になっているが、36年前に「ママ」「パパ」と呼んでいる人は殆どいなかった。

なっちゃんに憧れて、自宅でこっそり「ママ」「パパ」と声に出してみたが、恥ずかしくてとても無理だった。
私はのっぺりとした純和風の顔立ち。それに私の両親は「ママ」「パパ」と言う出立ちでは無い。

そんななっちゃんと2年生の時に、放課後を共に過ごした時の映像が、何故か私の脳裏に鮮明に残っている。
当時、校区内に大きなマンションが建ち、全学年で4クラスから6クラスへと、生徒数が一気に2クラス分も増えた。
教室は足りず、私達は校舎増設の間、運動場の隅に建てられたプレハブ校舎で過ごす事になった。
プレハブ校舎は直接運動場に面しているのでいつも砂だらけ。
クーラーはついていたものの断熱材のないペラペラの壁で夏は灼熱地獄、冬はだるまストーブがたかれるものの極寒地獄だった。

そんな砂だらけの教室で、放課後なっちゃんとその他2〜3人の友達と教室の前にあるオルガンを囲んで歌を歌っていた。
勿論、真ん中でオルガンを弾いているのはなっちゃん。
そこへなっちゃん目当ての男子達が、私達が教室から出られないように閉じ込めてしまった。
その後、私達がどうやって教室から脱出したのか全く覚えていない。
ただ私は、キラキラと輝く憧れのなっちゃんと同じ空間で一緒に過ごせた事が嬉しかった。

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