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祖母の涙と9歳だった私。

祖母の涙を初めて見たのは小学4年生の夏だった。

祖母は少し背が低くふくよかで丸いフォルムをしていた。白髪を紫に染め、薄紫の大きなレンズのサングラスをかけ、時々タバコを吸い、よく自転車でパチンコ屋さんに行っていた。祖母の家にはいつでもパチンコの景品のお菓子がたくさん置いてあった。

明るくおおらかで、優しくて、面倒見がよく、手先が器用で、できないことは何もないスーパーおばぁちゃんだった。

いつだって太陽のように輝いているけど、その輝きは自分が光るためではなく、相手のことをしっかりと照らすためのもので、自分のことより他人を優先するような人だった。

私が子供の頃、ピアノの発表会や入学式にはレースの付いた可愛いワンピースを縫ってくれたし、母のスーツやコートも祖母の手作りだった。
美容師でもないのに母の髪をカットし、慣れた手つきでロットを巻いてパーマまでかけていた。

そんな祖母を見て育ったので、大人になれば色んなことができるようになるのだと思っていた。でもそれは大きな勘違いだった。
私は祖母ができていたことを未だに何ひとつできないでいる。

三姉妹の長女の私は末の妹が生まれてしばらく、祖父母の家に預けられていた。その後も中学生くらいまでは週末になると1人で祖父母の家に泊まりに行くことが多かった。祖母は私にとってはおばあちゃんと言うより、もう1人のお母さんに近い存在だった。
お母さんよりもおばあちゃんとの方が気が合ったし、お母さんには言えない事もおばあちゃんには話せた。


小学校4年生の夏休み「おじいちゃんおばあちゃんに戦争体験の話を聞く」と言う宿題が出た。

その夏、私達家族と母の2人の妹家族、祖父母の総勢15人で旅行に行った。
宿はひと家族ひと部屋で予約をしていたが、夕食後はみんなでひとつの部屋に集まり、ゲームをしたり、男の子達は走り回ったりしていた。

この旅行が終わると祖母とゆっくり話せる時間はない。祖母に話を聞くなら今日しかない。
そう思った私は部屋の隅で少しモジモジしながら祖母に声をかけた。
「夏休みの宿題で、戦争の時の話をおじいちゃんおばあちゃんに聞かなあかんねん。だからおばあちゃんの戦争の時の話教えて欲しいねんけど。」

改まって祖母に話を聞くのは緊張する。
当時の私はこのことが祖母をどんな気持ちにさせるのか、想像することができなかった。宿題を遂行しなければ。ただそのことしか考えていなかった。

祖母はしばらく沈黙していた。そして私にベッドに腰掛けるように促し、自分も隣に腰を下ろした。祖母が座るとマットレスは大きく沈み、私は少しバランスを崩す。

「むくみさんはおばあちゃんが広島に住んどったん知ってるじゃろ」
「うん」
「おばあちゃんが仕事に行きよる時じゃ。朝、市内に向かう電車に乗っとったら、急にピカッと光ってそのあとドーンと凄い音がして電車が止まったんじゃ。ピカドンじゃ」
「・・・」
「大きなきのこ雲ができて、何が起こったんじゃろうて分からんかった」
「・・・」
「その日は市内まで行かれんかったけん、何日かして友達が心配で市内まで行きよったんじゃ」
「友達には会えたん?」
「うん。会えたけど、火傷で腕の皮膚が爛れて、ぶらんと垂れ下がってのう。夏じゃけん暑いじゃろ。傷口は膿んで骨が見えて、そこにいっぱいウジがわくんじゃ。そのウジが傷の上で動くけん、痒くて痒くてたまらんのじゃ。友達が『お願いじゃからウジをとって欲しい』って泣きながら頼むんじゃ」

祖母の目からは大粒の涙が溢れ、流れ落ちていた。
(おばあちゃん、もういいよ)
そう言いたかった。けれど、私の声は出ない。
もう話さなくていいよと言う気持ちと、それを止めてはないけない祖母の気迫のようなものを感じていた。

そして祖母は言葉を続けた。

「傷口に箸が触れたら痛いじゃろ。じゃから痛くないように、塗り箸で取ろうと思ったんじゃが、塗り箸では滑ってウジがつかめんのじゃ。仕方なし、割り箸を使うしかないんじゃ。傷口に触れんように、ウジだけを摘まもうと思うんじゃが、ウジが動くけんどうしても傷に割り箸が当たって、当たると『痛いーっ!! 』って叫ぶんじゃ。じゃからやめようとしたら『取ってほしい』って泣いて頼むんじゃ。見てるのが辛うて、辛うて、泣きながら一生懸命ウジを取ったんじゃ」

この後、私は祖母に何と声をかけたのか(多分何も言えなかった)、祖母がどうしたのか、何にも覚えていない。すっぽりと記憶が抜け落ちている。
朧げに、従兄弟のわんぱく坊主が
「むくみさんがおばあちゃんを泣かしたー! 」
と言っておどけていたような気がする。


衝撃的な話の内容よりも私は初めて見た祖母の涙に動揺し、どうしていいのか分からなかった。
大好きなおばあちゃんを泣かせてしまった。そのことがショックで、なんで聞いてしまったのだろうと後悔した。おばあちゃんを泣かせるくらいなら、宿題なんかしなければよかった。

翌朝、祖母は何事もなかったようにいつもの明るい祖母だった。だから私も何も無かったように振る舞った。でも心の中で思っていた。
「おばあちゃん、昨日はごめんね」


夏休みが明け、2学期が始まった。
私は祖母が涙を流して語ってくれた話を発表しなければと思っていた。しかし、聞いた内容について作文を書くことも、みんなの前で発表する場もなく、先生から「戦争の話を聞いてきましたか?」と言う言葉さえもなかった。
そんな宿題など始めから無かったように毎日は過ぎていく。

私はモヤモヤしていた。
「先生、何で聞かへんの? おばあちゃんが泣きながらしてくれた戦争の話、何にも聞かへんの?」
大好きだった先生に腹がたった。裏切られたような気分だった。

祖母に思い出したくもない過去を思い出させ、口にするのも辛いことを話させてしまったあの時間は何だったのだろう。私は納得がいかなかった。

軽い気持ちでそんな宿題を出さないで欲しい。
話す人がどんな気持になるのか考えほしい。
宿題を出したのならそれを回収してほしい。

私は長い間 悶々とし、あの時の思いを消化できずに過ごしていた。

先生は、子供達が戦争をしていた時代の話を聞き、少しでも何かを感じてくれればいい。そう思ってあの宿題を出したのだろう。

祖母が原爆の話をしたのはその一度きりだった。
あの時、祖母を辛い過去へと引き戻してしまったことを申し訳なく思った。
でもあの宿題が出ていなかったら、私はこの話を知らないままだった。
祖母が覚悟を決め、私のために泣きながらしてくれたこの話は、私にとってかけがえのない宝物であり財産となった。

あの時は納得がいかなかったけれど、この宿題を出してくれた先生に今は感謝をしている。あの時、祖母の涙に動揺して言えなかった言葉を伝えたい。

「おばあちゃん、辛いのに話してくれてありがとう」


祖母は肝臓を患っていた。延命治療はせずにできるだけ自然な形で逝きたい、とギリギリまで自宅で踏ん張っていたが、いよいよ動けなくなり入院することになった。
同居していた叔母が車で病院へ連れて行った時には、祖母のお腹は助手席のダッシュボードにつっかえて乗れないほど腹水でパンパンに膨らんでいた。

お見舞いにいくと腹水を引くための点滴をしていたが、引いては膨れての繰り返しだった。

ある日お見舞いに行き、意識がうつろな祖母に「今度 爪切ってあげるな」と言って病室を後にした。数日後再び訪れ、私が祖母の爪を切っていると叔母が病室にやって来て言った。
「看護師さんと私が爪を切ろうとしたら、むくみさんに切ってもらう約束をしてるからあかん、て言って切らせてくれへんかってんで」と。
意識がハッキリしていないと思っていたのに、私が去り際に言った言葉を祖母は覚えていた。そして私が来るまで誰にも切らせずに爪を伸ばしていた。
祖母は最後の最後までそういう人だった。

誕生日を病院のベッドで迎え、その数日後に帰らぬ人となった。

いつも誰にでも優しかった祖母。それは、辛い体験を乗り越えてきたからこそだったのかもしれない。


しばらくして祖母の遺品を整理していると原爆手帳(被爆者健康手帳)と祖母の書き残したメモや原稿用紙が出てきた。


母に聞いた。
「おばあちゃん、手帳持ってたん?」
「そうやで。」

祖母が生まれ育った町は広島市からは離れていた。原爆が落とされた当時も祖母が広島県内に住んでいたことは知っていたが、被爆者と認定され、原爆手帳を持っていることを私は知らなかった。

祖母が被爆者なら母は被爆2世で私は被爆3世になる。
被爆3世の私には何ができるのだろうか。
これから少しずつ考えたい。

まずは読んでくれる人はわずかでも、祖母が私のために語ってくれた話をここに残したい。

8月6日。
広島 原爆の日によせて。


2025/9/7追記
この夏、母と今まで話してこなかった祖母のことについて話した。

「おばあちゃん、原爆手帳持ってたやん?」
「えっ、持ってないよ」
「おばあちゃんが死んだ時に、手帳が出てきたって言ってたやん」
「ああ、あれは毒ガスの手帳やわ」

手帳という言葉を聞いて、私は祖母が原爆手帳を持っていたのだと思っていた。
私が原爆手帳だと思っていたものは大久野島(毒ガスの島)で働いていた頃の毒ガス被害者対策で交付された手帳だった。
祖母は被爆者ではなく、私は被爆3世ではなかった。(しかし毒ガス被害者だった)

当初タイトルを「祖母の涙と被爆3世の私」としていましたが、「祖母の涙と9歳だった私」に変更致します。

裏付けを取らずに記事を書いてしまったことをお詫びし、訂正いたします。


大久野島での出来事について、祖母が残したメモを下記に記しています。
大久野島での出来事はまだまだ知らない人も多く、この事実についてもっと多くの人に知ってもらえることを願って。

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