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眠りの森の植木屋さん 第六話「虎、吠える/室見 高虎」

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第六話「虎、吠える」


「虎、日曜は空けておけよ」

 無口な養父おやじは何を考えているのか分かりにくい人間で、唐突にそれだけ言って俺を現場に連れて行きたがるところが苦手だった。

 もちろんどこにでもと言うわけでは無く、ほんの時々、小学生連れが許容されるような馴染みの客の時だけだったが、俺は金持ち達の庭で切り枝をかき集めながら、こんな事をやる時間があればもっとサッカーをしたいといつも思っていた。

 シングルマザーとして俺と弟を育てていた母親は外科の看護師で、そして骨折中の植木屋と出会い、あの無口な養父からは想像も出来無いが、熱烈に求愛されて再婚に至ったらしい。

 長男気質と言うのだろうか、俺はガキなりに自分が連れ子であるという引け目を感じていて、だから理不尽とも思える養父の指示を拒否できずに居た。同じく母親の連れ子である弟は、いつも自由に遊び回っていたと言うのに。

 ユースに入る時も手伝いを辞めるなと言われたが、さすがにそれは現実的に無茶な話で、今後は弟にやってもらえばいいと主張したが、家業も手伝えないくらいならサッカーなんか辞めろと言われ、初めて養父と取っ組み合いの大喧嘩をした。

 血の繋がりが無いと将来の夢も応援してもらえないのかと、俺は一人悔しさで泣いた。

 結局は聴覚の壁にぶつかりユースを辞めたが、落ち込む暇は無かった。今度は、堂々と現場に駆り出されるようになったからだ。刈り込みを任されるようになると叱られる事も増え、衝突を繰り返したものの、中高生には充分過ぎる手間賃がもらえたので、バイトと思って割り切るようにした。

 俺の反抗期も重なって仕事以外では全く口をきかなくなり、一緒に過ごす時間と比例するように関係は悪化した。その関係がやがて修復すら不可能になるとは、露ほども思わずに。

 今、自分がこの齢になって甥や姪を見ていると、思う事がある。

 養父は、無口さゆえに一方的ではあったものの、良かれと思ってガキ相手に仕事を仕込んだのだろう。俺が夢を失っても、きちんと自分の力で生きていけるようにと。

 それは多分、俺の耳の事を憂慮した上での、養父なりの親心だったのだと思う。


・・・・・


 ハッタリを咬まして精神的プレッシャーをかける手口は、スポーツ全般よくある話だ。場数や精神力が足りない相手なら、それで勝敗が決まる事すらあるだろう。

 けれど相手の力量を見誤って仕掛ければ、かえって自分の手の内をさらす両刃もろはの剣になりかねない。

「花の好みとは全く違うタイプの人だもの」

 そんな言葉をわざわざ俺に聞かせるなんて、裏があると自白しているようなもんだ。少なくとも、彼女にとっての俺が、歯牙にもかからないような存在では無いという証拠だろう。異性として牽制けんせいする必要がある男だと、彼女の身内が俺をそう判断した。

 まだ、昨日の今日。くすぶっていた想いはあおられ、見事に火が点いた。どんな言い訳をしようと、こうして今また顔を見られて嬉しいと思っている自分が何よりの証拠だ。

 ここは、願いをけて、ける方にけよう。

「花さん」

「はい!?」

「この後、少しお時間ありますか?」

 唐突にかしこまった俺の投げかけに、彼女は一瞬戸惑った様子だったが、少し考えた後に「特に急いではいません」と答えた。

「そりゃあ良かった。ぜひ、お茶でも飲んでって下さい。ほら、ちょうどお茶請けもいただいちゃったし?」

 俺はそう言って謎の赤福を掲げると二人の返答も待たず、なかば強引に離れの平屋に押しやった。



 ティーバッグのほうじ茶を用意して運ぶと、姪っ子のむらさきが、古ぼけたパイプ椅子に座った二人に向かって何やら謝罪していた。

「ああ……何か恥ずかしい……汚いところでごめんなさい……」

「お前が言うなよ、嫌なら母屋もやに帰ればいいだろ」

「だって、こんな綺麗な人がここに居るなんて、変な感じがするんだもん……」

 確かにここは、事務所というよりは納屋に近い。弟家族が住む母屋と違って、リフォームはおろか修繕すら一切していないし、仕事道具の置き場でもあるので土埃つちぼこりも当たり前だ。

 それでもあえてここに呼んだのは、ここが俺のホームだからだ。圧倒的アウェイに委縮し、いじけ、オウンゴールすら決め込んだ昨夜の俺よ、しっぽを巻いて逃げ出すな。あれは、そもそものコンディションと場所が悪過ぎただけの話だ。

 何が、『住む世界が違う人』だ。ほら見るがいい、花さんは今ここに居る。それに、意外と楽しそうだ。

「凄い、ハサミだけでもこんなに種類があるんだ。電動のものも沢山ある……あっ、ジロジロ見ちゃってすみません」

 彼女の職業はライターだと言っていた。俺はそういう仕事は全く分からないが、物書きなら好奇心は強いだろう。その上、サルトリイバラを見て分かるくらいだから、植物に関連するものに興味があってもおかしくない。

「いや、どんどん見てやって。そうやって関心持ってもらえたら悪い気はしないし。親の代からの物も多いから実際はあんまり使ってないヤツばっかりで、大型は別に収納してるけど」

「ありがとうございます。あの、あっちの袋に詰められている、木の破片は何に使うんですか? ひのきの良い匂いがするから、気になって」

 花さんはそう言って、50リットルサイズの袋が大量に積まれた部屋の一角に歩み寄った。俺もその隣に付き添い、一つだけ開封済みだった袋に手を突っ込んで、パラパラと中身を取り出して見せる。

「これはバークチップって言って、木の皮を加工したやつ。そのまま地面に撒いて泥はねを防いだり、雑草避けにしたり、目的は色々。松が主流なんだけど、これはお客さんからのリクエストで取り寄せしてさ」

「これが敷き詰めてあったら、庭の印象がガラッと変わるでしょうね。庭付の家に住むことなんて一生無いだろうけど、ちょっと憧れちゃうな」

「俺も個人的にはけっこう好き。ただ、使いどころが難しい。湿気がこもりやすいから陽がよく当たる場所じゃ無いとダメだし、砂利みたいに長持ちしない。自然と土に還るから、その点は扱いやすいんだけどな」

「それ、いいですね。じゃあ、こっちのーーーーー」  

「花」

 彼女の名が呼ばれると俺達の会話はぴたりと止まり、謎の引力に魅かれて声の方を振り返った。

 決して声量を張り上げているわけでも、不機嫌さを放っているわけでも無い。ゆったりと静かな、たったの一言。けれどその声は、まるで風船がパンとはじけた時のように、一瞬にしてその場の空気を変えてしまう響きを持っていた。

 そして声の主は、優雅な笑みを浮かべてこう言ったのだ。

「お茶、温かいうちにいただこう?」

 その言葉に従うかのように花さんがふらふらと席に着くと、流れるように俺もその対面に着座した。話の腰を折られたというのに、なぜか不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 こいつは一体、何者なんだ。安物の湯飲みすら、やつの手の中では高級ティーカップのように輝いて見える。

 えも言われぬ迫力に押され、まじまじと顔を見つめていると男同士で目が合い、奴はそっとほほ笑んだ。何だこれ、悪い気がしない事がむしろこええ。普段は人見知りな紫が、見ず知らずの男に自分から千円を差し出したというのも何となく理解できた気がする。

 俺の胸中をよそに、奴は紫に話しかけた。

「紫ちゃんは、おじさんと一緒に住んでるの?」

「ううん、タカおじさんは自分のアパートに住んでるよ。ウチのおとーさんとタカおじさんが一緒に仕事してるだけ」

「そうなんだ。お父さん達は植木屋さんなんだね。兄弟で一緒に仕事をやっているなんて、とても素敵だね」

「えぇー、こんなの別に素敵でも何でもないよ。おにーさんは? どんなお仕事してるの?」

 よくぞ聞いてくれた、姪っ子よ。俺も気になっていたところだ。普通の勤め人だとは到底思えない。モデルか役者? それとも動画配信者とでも言うのだろうか?

「僕? 僕の仕事は、こういうの」

 奴はそう言うと立ち上がり、すぐさま跳ねるような足取りで二、三歩進んだ。

 何が始まるのかと注目していると、おもむろに片足立ちになり、まるで魔法か手品のように、両腕をパッと広げただけでそのままその場で回り始めた。それも、目を見張るような高速回転だ。

 一回、二回、三回、四回転。ラストはまるで機械のようにピタリと静止し、おまけとばかりに頭上でパン・パンと華麗な手拍子が決められる。

 唐突なお披露目とその完成度の高さに目を奪われたが、真っ先に驚きの声を上げたのは意外や意外、それを見慣れているはずであろう親族だった。

「銀ちゃん、今のどうやったの!?」

「どうって、別に普通のピルエット(回転)でしょ」

「だってシューズも履いてないし、こんな板の間で。嘘でしょ」

「靴下履いてるから、このくらいならできるよ。裸足でも、まあ、ダブルまでなら」

「靴下だと滑るから、普通はあんなに綺麗に止まれないってば。久しぶりにびっくりした。本当、化け物なんだから」

 素人の俺には良く分からなかったが、どうやら今見せられた技は見た目以上の難易度だったらしい。

「おにーさん凄い、ますますカッコいい! フィギュアスケートの選手なの?」

「フィギュアじゃないよ、僕はバレエダンサー」

「えー、バレエなんて、もう、王子様みたい……こんな人、本当に居るんだ……」

 紫の顔に、『うっとり』という文字が浮かんだのが見えた。何が王子様だ。お前のおじさんだって、そう呼ばれてた時期があったぞ。

「ねぇ、タカおじさん、すごいよね!」

「ああ、凄いな。身体能力が半端じゃ無い。バレエなんて全然知らねぇけど、男の方はバレリーナを持ち上げたりするんだろ? 俺も仕事で石やら丸太やら運ぶけど、そんな細い腕で信じらんねぇな」

 褒めたのは、強がりでも何でもなく本心からで、素直に凄いと思った。こいつがバレエダンサーだろうと、本物の王子様だろうと、俺には関係無い。俺が向き合うべき相手は花さんだ。

 雑音に気を取られるな、外野で何が起きても平常心であれ、自分のペースを乱すな。それらは、初歩の初歩だ。

「細い? 僕が? 花くらいなら片手でリフトできますよ」

「片手って凄いな。でも、花さんなら軽いから俺もできそうだけど」

 何気なく放った言葉だったが、何やら逆鱗に触れてしまったらしい。想定外な事に、ペースを乱したのはあちらさんだった。

 声が、わずかに荒ぶる。

「レッスンも無しに、五十キロの人間を、頭上で? 丸太を担ぐのとは全くわけが違いますよ」

「私、今でも五十キロ無いから!!」

 体重の件で猛抗議中の花さんを見つめ、脳内で彼女を持ち上げるシミュレーションをした。まず両手で持ち上げる、これは朝飯前だ。頭上に担ぎ上げる事も、まぁ問題無いだろう。それから、片手になって……。

「うーん、バレエの技とかはともかく、できると思うけどなぁ……何せ、軽いし……」

「リフトは、腕力より何より、まず信頼関係が大事なんですよ。女性側は下手をすれば大怪我で、バレエ生命すら断たれかねない。いつ落とされるかも分からない恐怖心と戦わないといけないんだ」

 王子様ぜんとした声色は、あくまで静かな口調ではあるものの、段々とイラつきを隠せなくなっていた。上品に整った顔を初めてゆがめ、言葉を続ける。

「大体、さっきから何なんですか。『軽そう』じゃなくて『軽い』って。花を持ち上げた事があるとでも? 無いでしょう? 僕はありますよ。花はね、自分が踊らなくなった後も、ずーっと僕のリフトの練習に付き合ってくれてたんだから」

 やっと人間らしいところを見せてきた。大好きな親戚のお姉ちゃんを盗られるのが嫌で、駄々をこねてる子どもかよ。可愛いもんだ。

「持ち上げた事は無いけど、つい昨日、階段で受け止め……」

「銀ちゃん、もう止めなさい!!」

 俺の言葉は言い終わらないうちに、花さんの声にかき消された。

「お騒がせしてすみません。この子、ちょっと人との距離感が分かってなくて……。銀ちゃん、もう帰ろう」

 保護者が止めに入ったものの、悪ガキの勢いは止まらない。

「ちょっと待って。この人、今何て言ったの? 昨日? 昨日、何したの?」 

「いいから、帰るよって」

「何だよ、花、やっぱりこの人と何かあるんだ? さっきまで既婚者だと思ってたくせにどういう事? 藤崎さんはどうするのさ、花の事をずっと待ってるのに。僕は藤崎さん以外認めないからね」

 誰だよ、藤崎。

 ここに来ての、第三の男の出現。さすがに動揺を隠せずに固まっていると、大人達の小競り合いを眺めながら赤福を食べていた紫が、素直に疑問を口にした。

「藤崎さんって、誰?」

 ナイスパス!! 今日は良い仕事をしてくれるぜ姪っ子よ。

 紫の問いに、悪ガキは鼻息を荒くして答える。

「藤崎さんはね、花の彼氏。イングリッシュ・ナショナル・バレエでプリンシパル(主役級ダンサー)を勤めて、今はコリオグラファー(振付師)をやってる、とにかく凄い人なんだから」

 彼氏という衝撃的な言葉と難解なバレエ用語を同時にぶつけられ、ショック以前に混乱していると、突然、俺の左腕が引っ張られた。

 その相手は、俺の右耳がきちんとそっちを向くまで待ってから、はっきりとした口調でこう言った。

「違います」

 それは、すがるような眼をした花さんだった。 

「この子の話を鵜呑うのみにしないで下さい、思い込みが凄く激しいんです。彼氏だったのは大昔、それもまだ十代の子どもの頃の話で。今はもう違う世界の人だし、お互い何とも思っていませんから」

 “違う世界の人”

 どこかで最近聞いた言葉のような気がしたが、そんな事は今はどうでもいい。

 左腕には、まだ彼女の体温。俺は吸い込まれるように、そっとその手を取った。指越しに一瞬の戸惑いが伝わって来たが、決して拒絶はされなかった。

「花さん」

 手を取ったまま真っすぐに彼女の目を見て、名前を呼んだ。今までで一番間近で眺めるその顔は、見ているこちらが緊張してしまいそうなくらいに紅潮していて、やっぱり、どう見ても可愛いじゃないかよと思った。

 今だ。

「俺の事が嫌いじゃないなら、今度デートして下さい」

 返事は無い。ただ黙って顔を真っ赤にしている彼女の背後で、驚きのあまり赤福を落として慌てている紫と、王子様の仮面を被りなおして二人分のコートを手に取り、帰り支度をしている悪ガキの姿が見えた。

「花、帰るよ」

 王子様はそう言って彼女の手をつかんでさらっていったが、彼女はこちらを振り返りながら、いつものようにペコペコと頭を下げて今日の非礼をび、そして、一際ひときわ大きな声で確かにこう言ったのだ。

「連絡します!!」

 二人が帰った後、興奮気味の紫に詰め寄られて閉口したが、いずれきちんと紹介してやるよと軽口を叩き、自分のアパートに逃げ帰った。



 ーーーーー連絡しますと言われただけで別にOKをもらったわけでは無いという事に気付いたのは、その数時間後、十六連勤の身体を癒やすために銭湯の湯舟に漬かっていた時だった。

 そもそもお互いの連絡先なんて知らないし、年が明けるまで俺には休みなんか無い。

 風呂上がりのさっぱりとした気分よりも暗雲たる思いが上回り、ため息交じりにロッカーを開けると、俺のスマホに見知らぬIDからメッセージが届いていた。

『あずみちゃんを通じて、柳川さんから連絡先を教えてもらいました 勝手にすみません お誘いありがとうございます 私で良かったら、是非』

 今までで千を超えるであろう柳川からの無礼を、俺は一瞬で全て許した。




 第七話『いじけ虫のプライド』に、続く

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