教育、手放したつもりだったけど、向き合い直してる途中だった
前回友達と話していたら夫への気持ちが出てきた話を書いた。
私が求めてたのって、物理的なサポートじゃなくて精神的な繋がりだったのかもしれないなって思った話だったんだけど、さらに友達との会話を振り返っていたら、また別のことに気がついたの。
友達との話の中で、学校の話になった。
私が元教員って知ってるのに、なんか最初から私を差し置いて話が進んでいって。
悔しかった。 「私、何も知らない人みたいじゃない?知ってるよ?」って。
間違った認識はまずいと思って補足は入れたけど、最初から聞いてもらえない感じがして。
信頼されてないのかな、って思ったりもして。
でもすぐ気づいた。
今、先生じゃないのになんでこんなにざわざわするんだろう🤣
で、そのあと自分でふと思ったの。
私って、結局教育にしがみついてるのかなって。
辞めるって決めて、自分から手放したはずなのに。
それなのにこうやって反応してるってことは、やっぱり執着があるのかなって。
というか、ほんとに教育が好きなのかな?とも思って。
仕事してたときにできなかったこと、わからなかったことを知りたいだけで、もし最初から別の仕事についてたら、その仕事にしがみついて、同じようなことが起きてたのかな?って。
そこで思い出したのが、母の言葉。
教員やってた頃、よく言われてたの。
「あんたが学校の先生やってることで被害者が増える」って。
正直、悔しかった。 子どもの仕事くらい応援してよって思ってた。
母からしたら、私のことを会話が下手な子だと思ってて、先生のイメージとかけ離れてたのかもしれない。
だから向いてないって思ってたんだと思う。
でも今は、親だからわかることもあるんだよね、って納得できる。
振り返ってみたら、私、授業中に席を立つ子はおかしいと思ってたの。
座ってるのが当たり前で、立つ子は直す対象っていうか。
でも、自分で子育てしてみて、それって全然違ったってわかった。
逆というか、椅子に座ってできる子もいるけどできない子もいる。
多様性がもっとあるんだって気づいたの。
だから、立つ子を叱りつけて座らせてたのって、絶対よくないことだった。そのまま続けない方が確かに被害は少なくなったよね、って今では思える。
母の言葉、悔しかったけど、あながち間違ってなかったのかもしれない。
もしかしたら私は、教育を手放したんじゃなくて、もう一回、違う形で向き合い直してる途中なのかもしれない。
そう思ったとき、なんかちょっと、楽になった気がした。
「あのときの自分、間違ってたかも」 そう感じることって、あると思います。
でもそれ、後悔じゃなくて、成長している証拠かもしれません。
昔の自分が見えてきたということは、今の自分がちゃんと変わっているということ。
執着しているんじゃなくて、ただ、アップデート中なんだと思います。
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