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青春残響録―流浪篇 #7 【ラプソディ】

沈むセリカ。
湯気の向こうの笑顔。
それでも俺たちは、生きていることを楽しんでいた。


沈むセリカ


ウメハラの後釜としてアラピアにやって来たモリカワ君は相変わらずお調子者だった。


ウメハラが、出会い系で呼んだ事がきっかけで知り合った(一目惚れされた)10代の少女と付き合い始め、ようやく落ち着いたかと思われた頃だった。



ある土曜の仕事中、ヒトミちゃんから職場に一本の電話が入った。



「ねえ、モリカワ君のセリカが田んぼに落ちてる…」



驚いて外に出ると、寮の真ん前にある田んぼの真ん中に、モリカワ君の赤いセリカが沈んでいた。



どうやら前夜、彼女を乗せて出かけ、帰り際にバックで駐車をミスったらしい。



彼女は泥だらけになりながら脱出したようで、そのまま俺の部屋にいたヒトミちゃんのところへ駆け込んで来たという。

「どうすればいいのか分からない」と泣いていたらしい。



田んぼにはオイルが流れ出ており、水面が虹色に光っていた。



俺はモリカワ君に言った。



「もう会社にも警察にも報告するしかないぞ」



ようやく事態を理解したモリカワ君は、田んぼの持ち主に連絡を入れた。


だが、その土地のオーナーは――
よりによって、寮の建物の持ち主でもあった。


プレスファクトリー


翌週、会社に報告が入り、専務(社長の奥さん)は烈火のごとく怒った。



それも当然だ。



赴任早々、子供との接触事故を起こし、弁護士まで動員して何とか執行猶予がついた矢先の出来事だった。



レッカーされたセリカはそのままどこかへ運ばれ、廃車になったのか、実家の千葉に送られたのかは分からない。



ただ、俺の中では今でも――
あの赤いセリカは「沼に沈んでいる」ままだ。



The Birthdayの「プレスファクトリー」を聴くたびに思い出す。


冒頭のフレーズ。

沼に沈んでく あいつの車が
もともとは
真っ白だったってことを
いつまでも覚えてるよ

The birthday「プレスファクトリー」



まさにあの光景そのものだった。



車は真っ白ではなく真っ赤で、沈んだのは沼ではなく、田んぼだったけれど。


湿った北陸の冬の空気と、遠くで響く、今は亡き「チバユウスケ」の声が重なり合い、今でも耳の奥で鳴り続けている。


Oリングの男


ウメハラが退職してしばらくしてから、その穴を埋めるように、一人の中年男性がやって来た。



シブタニ氏という男性だ。



富山出身で、年齢は四十代後半。



薄い七三分けの髪、どこか湿ったような表情。



話していても笑わず、いつも何かに文句をつけていた。



初対面の印象は一言で言えば「陰」そのもの。


部屋に入ってきた瞬間、空気が一度、ひんやりと冷えるような男だった。



シブタニ氏には、忘れられない幻の秘術があった。



それが「Oリング」だ。



人差し指と親指でアルファベットの“O”を作り、残った三本の指をピンと伸ばす。



「これはな、邪気を逃すんや」



真顔でそう言いながら、
痛む箇所──時に“患部”──をそのOリングで挟み、
三本の指を空に向ける。



曰く、“悪い気を天に返す治療法”らしい。



最初は冗談かと思ったが、どうやら本人は至って真剣だった。

驚いたことに、その施術を信じて通うお客までいた。



「シブタニさんに触ってもらうと体が軽くなるんです」
と真顔で語る人もいたほどだ。



ごく稀に熱狂的なファンまでつくこともあったが、やがて「給料が安い」と言い残し、半年ほどで退職していった。


最後の日、何も言わずに無言のOリングを掲げてドアを静かに閉めた。



三本の指の隙間から、何かがスッと抜けていくのを見た気がした。
――邪気か、はたまた人望か。


カプリチョーザ



そんな混沌とした職場の空気とは裏腹に、プライベートでは穏やかな時間も流れていた。



ヒトミちゃんと付き合い始めて間もない頃、彼女の白いワゴンRワークスで連れて行ってもらったのが、国道沿いの「カプリチョーザ」だった。



本来なら東京で行くようなイタリアンチェーン。



地方に来てまでわざわざ入るような店じゃないと思っていた。



だが、その日食べたパスタは、驚くほどうまかった。

湯気の立ちのぼるトマトソースに、オリーブの香りがふわっと鼻を抜ける。


「ここのパスタ、めっちゃ量多いんだよ」
ヒトミちゃんが笑う。


いつもピザとパスタを一皿ずつ頼んで、シェアして食べた。



フォークで巻いた麺を頬張った瞬間、思わず声が出た。


「ウマァ…!」


ヒトミちゃんが嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、心のどこかがふっと緩んだ。



特別な記念日でもなく、ただの休日の昼下がり。



けれどあの時の湯気と笑顔は、
今も俺の記憶の中で静かに輝いている。


名刀モリカワ丸


アラピアの名物といえば、「励明薬湯」だ。



れいめいやくとう
と読む。



茶褐色の湯の中には、5キロの米袋ほどの大きさの薬草袋が沈められていて、そこからじんわりと薬効成分が染み出していく。



見た目はまるでコーヒー風呂。
匂いは独特の漢方臭。
だが、体の芯まで温まる効能がある。



問題は――玉袋にメッチャ沁みるのだ。

というか皮膚が薄い所全てが沁みる、なので肛門周辺もだ。



慣れないうちは、とにかく沁みる、思わず「ひぃっ」と声を上げたほどだ。



それでも毎日のようにこの湯に浸かっていると、次第にそれが“修行”のように思えてくるから不思議だ。



そして、この湯に入るたびに思い出すのがモリカワ君のお宝である。



とにかくものすごくデカいのだ、
そして形も美しかった。


(ちなみにその気は全くない)



日本刀のような反り返りと、陶器のような頭部の輝き。




平常時が俺のビンビンの時と同じくらいの大きさなのだ。


挿入すると、彼女があっという間に絶頂に達してしまうと自ら自慢げに語っている伝家の宝刀。



確かにそそり立った状態のアレを突き立てられたら、女性はひとたまりもないだろう。



「名刀モリカワ丸」



俺が名付け親である。


失楽園


「失楽園」――日本中を震わせた、渡辺淳一先生による不倫小説。



映画の公開日は1997年5月10日。
主演は役所広司と黒木瞳。 


平日だったが、どうしても観たくて富山市まで足を運んだ。



当時、駅前の高岡サティに入っていたワーナー・マイカル・シネマでは、年齢制限の関係で上映されておらず、仕方なく電車で富山市まで移動し古びた映画館を探した。



そこは昭和の香りが漂う小さな劇場で、入口には色あせたポスターと、甘いバターの匂いが漂っていた。


館内はガラガラだった。



セックス描写の多い映画だけに、スクリーンの光と共に股間が熱を帯びる。


ヒトミちゃんと一緒に観に来なくて本当に良かったと、自分で自分に苦笑いしたのを覚えている。



上映後、劇場を出てレトロな喫茶店でコーヒーを飲んだ。



深煎りの香りと、鉄板で提供されるナポリタンを食べた。



昭和の映画館にある、あの“ふかふかした椅子”と同じように、
どこか懐かしく、心に残る時間だった。



そういえば、秋田にもあったな。
小学生の頃、親父に連れられて初めて観た映画――「スター・ウォーズ」


あのスクリーンの眩しさを、今でも覚えている。



青春残響録を書いていると、
こうして突然、封じていた記憶がよみがえることがある。


それはまるで、暗い映画館で突然灯る、ひとすじの光のように…


携帯ショップのカウンター越しに、いたのはミキだった。
運命が、再び電波を拾った。
そして、親友シュンちゃんが富山を訪れる。



次回、青春残響録―流浪篇 #8

お楽しみに!


90年代、地方都市を舞台にした青春群像記。
恋と友情、そして少しの笑いと痛みを綴った「青春残響録」
マガジンにて全篇連載中です。

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