親友の家族と福岡旅行
タイトルが結構意味わからないと思いますが。笑
この記事の死んだ親友通称Y、ゆうちゃんの家族とは
今も定期的に連絡をとるし、果物とかの食べ物やお酒を
送ってくれたりする仲なんだけど。
先日お母さんとお姉さんとお姉さんの旦那さんが福岡に遊びに来てくれて
観光しました。笑
いや、関係性すごいな
と思うよね?私も思ってるよ。笑
親友が死んで2年経った
2年も経ったんですって。衝撃ですよね。
上記に載せたあの記事は、いまだにポツポツいいねをいただくことがある。
誰かの、何かに、刺さることがあるなら
そんな嬉しいことはないと思ってる。
自分自身今でも時々読み返す。
あの時の気持ちを忘れないために
寝る前とか休みの日とか、ベットでゴロゴロしながら読み返しては
必ずツーッと泣くのが定番になってる。笑
「死んだ親友」と説明する機会もなかなかにあって
「親友が死んだ」と言うことに慣れてしまった自分がいる。
写真とか不意に見られて「あー、その子死んじゃってさ」と。
毎回気まずくなって、重たくなって、ハハハと笑うのがお決まりコースで
もはやこのループは現状百発百中なので
人の反応って面白いなぁとまで思っている。
【いない】ということには、今でも本当に時々だけど
割と新鮮に驚いてしまうことがある。
仲間内で、さあ!旅行しよう!と思っても
誰かが結婚した!という時も
「じゃあゆうちゃんに幹事を!」とか
「それゆうちゃんでいいじゃん」とか
結構心の中の初手の囁きがいまだにこれのことがあって
自分でも驚く。
と、同時に【いる】ことの方がまだ心は慣れているのか
と思ってちょっとだけ安心もする。
これがいつ逆転してしまうのか、とドキドキもしている。
いまだに私の小さい歪みを埋めてくれるのはゆうちゃんだった
と思うことも全然ある。
仲間内も、そうでない界隈の友達も、新しい仕事の友達も
全員大好きだし、ちゃんと友達なのだけれど
ゆうちゃんにしか処理してもらえなかった感情や出来事
みたいなのがどうやら私の中にはあったようで
「なんでおらんねん」ともはや腹が立つようになった。
なんなら軽く舌打ちする。
「何死んでんねん」と心の中でぶっ飛ばしている。
今はその処理は、一方的に旦那にマシンガンのように話してぶつけることで
強制処理することにしている。
親友の家族と私
ここで話を戻すけど、親友の家族が福岡に久しぶりに遊びに来てくれた。
ゆうちゃんと私たちがよく飲んでいた行きつけの居酒屋とか
ゆうちゃんと過去に巡った福岡のスポットとか
ゆうちゃんが前撮りした普段仕事している結婚式会場とか
そういう行きたいと言われた箇所を私が調べて
案内して回った。
まじで自分の親来る時より綿密に調べた。
なのにお姉さんには
「次から次へと連絡きて、、一回無視した」とか言われた。
この姉妹まじで、まじで姉妹だなクソッタレ。と思った。笑
初日は夜に居酒屋で合流して色んな話をした。
久しぶりに会う仲間内もいたから
自分たちのことでも話に花が咲いて
でもそれをうんうんと聞いてくれた。
自然にゆうちゃんの話が出る。
気まずさも、辛さもそこにはなくて
ナチュラルに「ゆうちゃんは〜」とか
「ゆうちゃんだったら〜」という話がちょこちょこ出ていた。
本当に辛さはなかった。
あー辛くないんだ、とも思ったけど
ただ「いたらよかったのに」と思った。
ずっと思ってる。
「ゆうちゃんがいたらよかったのに」
そしたらもっと楽しかったのに。
これからも思うと思う。
これが全てだと思う。
2日目観光
2日目は朝からレンタカーで親友の家族が迎えにきてくれて
お母さんと、お姉さんと、お姉さんの旦那さんと、私
の4人で糸島へ行った。
ゆうちゃんと行ったらしい王道の観光スポットとか
行きたかったらしいお店とか巡って
変な写真や動画をたくさん撮った。
車に乗り込んだ時、変な4人だなと思った。笑
というか、確実に私だけ異物だ。笑
一人だけ家族「じゃない」。
多分ここに座るはずだったのは、ゆうちゃんだ。
そう思った時、一緒に後部座席に座っていた
お母さんの顔をチラッと見た。
そう思われていたら申し訳ないと思った。
だけどそう思われてしまっていたとしたら
私はそうであって、そうでないみたいに
娘みたいな、妹みたいな、義妹みたいな
みたいだけどそうじゃない私として全力で
楽しまなければいけないと思った。
まあ実際そんなに気負わなくても
全然楽しかった。笑
お姉さんとは普通にゆうちゃん関係なく友達みたいだし
お姉さんの旦那さんも本当に友達みたいだし。
お母さんは天然で面白い。
ゆうちゃんがいなかったら絶対に出会ってないし
繋がりもない人たちなのに
ゆうちゃんがいなくなった今
ゆうちゃんがいなくてもこんなに仲良く楽しく苦なく過ごせるなんて
やっぱり"親友の家族"はすごいと思ってしまった。
帰りにスーパーや新鮮なお魚を買えるお店にも行った。
そのスーパーで、ゆうちゃんと私が
これなら飲める!とたまに飲んでいた焼酎があって
それを何気なく話したら
「いいよ!そういうのもっと出していこう!」とお姉さんに言われた。
そしてその焼酎を流れるようにカゴに入れていた。
今回あんまりそんなふうに感じてなかったけど
やっぱりこの人たちは
ひたすら「ゆうちゃん」を追いかけているんだなと思った。
なんかそれって一見すると悲しく聞こえがちだけど
逆にすごく素敵なことだなと私は思った。
悲しさを底の方に沈めて、もういない家族を追いかける旅行を
悲しいと捉えるか優しいと捉えるかで
かなり人間の価値観は分かれると思うし
私は優しいと捉えられる人間でよかったと思った。
そういう感性が私にあってよかったなぁとスーパーで思った。
スーパーで思うことではないなとも思ったけど。
その後買ったお魚を我が家で調理して
みんなもまた集まって大飲み食い大会をした。
まじで私以外、大酒飲みしかいないから
文字通りどんちゃんなった。
酔ったお姉さんとお姉さんの旦那さんが
私と旦那の結婚式のアルバムを引っ張り出してきて
挙句記録映像まで見出して終わった。
どういう気持ちで見てるんだろうとは、少し思った。
そこに映るゆうちゃんを見てたのか
ゆうちゃんたちもこういうことをするはずだったのに
という気持ちだったのか。
単純に私たちを改めて祝福してくれていたのか。
私は一人っ子だから姉がいる感覚なんて微塵もわからないけれど
親友のお姉さんといると、友達と感じる時もあれば
お姉ちゃんと思うような時もたまにある。
私のお姉ちゃんではないのに
もうしょうがないな〜みたいなところがなんだかそんな気にさせる。
ちっとも家族ではないのに
この人たちのことを私は家族のように大切に思ってしまっている
と思った。
結婚式のDVDを見るお姉さんの背中を見て
家族に覚える気恥ずかしさがあって、それに烏滸がましさも感じて
私はこの家族に不思議な感覚があるなと思った。
3日目。お母さんの後悔の場所。
ゆうちゃんが前撮りするとなった時
私たちは行ったんだけど、家族は来ていなかった。
そりゃそうだ。
遠方なんだから前撮り如きで来るはずがない。
それに「結婚式」をやることを当たり前に未来に見据えていた。
だから前撮りを蔑ろに考えるのは至極当然のことだ。
未来が当たり前にあると思っているから。
でもその未来は来なかった。
だから親友のお母さんは、前撮りに行かなかったことを
ひどく後悔している。
旅行中、何度も何度も口にしていた。
「竹を割ったように行くわけがないと一蹴してしまったことを
後悔している」と何度も。
だから連れて行った。
私はそこで今も現在進行形でカメラマンとして働いている。
旦那も働いている。
というか仲間内のほとんどが働いている。
だから会場にいるほとんどのスタッフが顔見知り。
いつもと違う装いで、いつもと違う顔をして
親じゃないのに親みたいな人たちを連れて
ある種職場、を訪れるのはなかなか気まずかった。
職場体験みたいな。
親が初めてバイト先来た時みたいな。
なんで私がこんな感情にならないといけないんだ
と思いながら。
ゆうちゃんの仕事だぞ、と思いながら。
それをゆうちゃんは私に託したのか、と思いながら。
広い会場ではないから、短い時間で終わってしまったけど
親友のお母さんは満足してくれただろうか。
不思議な感覚
先でも述べたが、私はこの家族に
不思議な感覚を抱いている。
親友の家族、なのだけれど
親友そのもののような
自分の家族のような。
私には大切にするべき家族が3つあることになる。
自分の家族と、義理の家族と、親友の家族。
自分の親と同じかそれ以上に
親友の親の体調は気になる。
いつまでも元気に長生きしてほしいし
時々悲しいことはあるだろうけど
なるべく楽しく暮らしてほしい。
親友のお姉さんが一番謎な感情になるんだけど
本当に親友みたいに思うこともあるし
親友のお姉さんだなぁとしみじみ実感させられることもあるし
逆に世話を焼かれて自分の姉のように感じてしまうこともある。
この人は本当に、底抜けに明るいせいで
底抜けに暗い夜があるんじゃないかと
たまに本当に怖くなる。
多分吹けば飛ぶような、と
比喩されるようなタマではないのだろうけど。笑
だからと言ってものすごく頑丈ということもないと思う。
確実に、私よりは繊細な人だと思う。
元気でいてくれよ、と思う。
そのわかりづらい機微を、わかりやすく支えているんだろうと
容易に想像がつく屈強で愉快な男だった、お姉さんの旦那さん。笑
完全に男友達になってしまったと思う。
私は今回の旅で敬語を失ってしまった。笑
敬う語彙と書いて敬語、敬ってないわけではないんですが。
懐に入ってくるのが上手すぎる人で
なぜか共感できることが多くて
早くまた飲みに行きたいと思わせてくる。笑
よくゆうちゃんが「◯◯が〜」と言っていた。
話に出てくるのがよくわかる。
お姉さんはいい男と結婚したと思う。笑
なぜ私はこの家族をこんなにも
大切に思ってしまうのか、と思う。
観光地を調べているときなんか
「なんで私はこの家族をこんなにも蔑ろにできないんだ!」
と腹立たしくさえ思った。笑
別に何もそのようなことを
ゆうちゃんに言われたわけではない。
あいつは自分が死ぬとは思ってなかったと思うから。
だけど、ゆうちゃんに託されているんじゃないか
という気になってくる。
これは生者の都合の良い解釈で
死者の感情なんてこれっぽっちも慮っていない
勝手な妄想に過ぎないことはわかってるんだけど。
まあ仮に託したいとゆうちゃんが思っていて
いざ託すにしても
周りの友達はみんな頼りないだろうから。笑
そりゃ私が一番適任だろう、と自分でも思う。笑
「わかったよ、やりゃいいんだろ。
大切ですよ、この家族が!
大切にしますよこれからも!」
と、しゃらくせえなと思い始めた時に
ゆうちゃんに唱えている。
親友の家族であり、もう私のマブダチであり、家族みたいなこの人たちと
私はこれからもちゃんと繋がって生きていきたいなと思うよ。
死んだって親友は偉大だ。
そりゃ戒名が【泣いてる人の背中をそっと押して照らす】
みたいな意味の漢字になるわけだ。
参りました。
まあここまで書いてなんだけど
相手がどう思ってるかはわからないからね。笑
私の一方通行方、片思いだったとしても
私はこの家族を大切にしていきます。笑
