見出し画像

フードエッセイ:風邪を引くのが楽しみだった

こんにちは。不屈の屈葬です。
今回は創作大賞のフード部門応募作です。
イラスト含め、本気出しました。楽しんでいってください。
(本文:2953字)

* * *

「小さい頃、風邪を引くのが楽しみだった」といったら、ちょっと歪な話に聞こえるかもしれない。その通りだ。今から歪な話を、します。

「何か食べたいもの、ある?」
体調を崩したとき、母は必ず聞いてくれた。

どの家庭でもそうなのだろうか? 我が家では風邪を引いた者には食べたいものを自由に食べられる特権が与えられていた。

「納豆とにら玉汁」

これが、記憶にある限り最初のお願いだ。

母はまだ幼かった私が絶妙に渋いチョイスをしたのが可笑しかったらしく、納豆とにら玉汁は「私の大好物」として殿堂入りしてしまった。正直、そのタイミングでたまたま食べたい気分になっただけで、「まあ好き」レベルである。それでも何なら未だに「あんたは納豆とにら玉汁が好きだったよね。風邪引いたときにも食べたがったくらいなのよ~」とか言ってくる始末だ。100回は聞いた。

小学生になって少し悪知恵がつき始めた頃、私は再び風邪を引いた。母の「何か食べたいもの、ある?」に対し、「今なら何でも食べられる」という万能感を覚えてしまった私は、何を血迷ったか、こう答えた。

「お寿司」

大人になった今ならよく分かるのだが、この頃の私はどうやら狂っていた。どう考えたって、40度近い発熱のときに生魚なんてダメだろう。母は速攻で寿司を買ってきた。母は大人になってもどうやら狂っていた。

黒くて大きな桶に入った寿司は、さながら宝箱のようであった。私は高熱と興奮でドキドキしながら、寿司に手を伸ばした。

——うまい!

本当にうまかった。いつもはスーパーの寿司までしか食べさせてもらえない我が家だが、このときは確実に寿司屋のそれであった。私が好きなホタテもたくさん並んでいた。母が気を利かせてくれたのだろう。我が家ルールでは「お一人様お一つまで」の中トロもずらりと整列していた。あの中トロが、である。

もはや具合が悪いことなどすっかり忘れてしまった。そこには、寿司に貪りつく愚かな獣と無抵抗の寿司しかいなかった。とにもかくにも、一心不乱に食べた。そして、吐いた。

当然である。

こうして私と母は「風邪と寿司」は決して交わることのできない関係にあることを学んだ。

そんな学びを得た私は、一つ、大いなる決意をした。

次はドーナツにしよう。

正気の沙汰じゃない。
しかし、ちょっと待って欲しい。これは仕方のないことだ。幼き日の記憶を辿っていただければ全人類に共感してもらえるはずだ。つまりは、ミスタードーナツがうま過ぎるのがよくない。ミスドなど子どもの憧れそのものではないか。ミスドかサンタかどっちかだ。……さすがにサンタか。まあそれはいい。とにかく、ごくまれに父が買ってきてくれるドーナツが食卓を彩った日には、一日中ハイでいられたものだ。あの不思議な高揚感たるや、大人になった今では、もはや感じることのできないレベルのものだ。

「そんなに好きなら頻繁に買ってきてもらえば?」
こう思った方は、ぬるま湯の人生を生きてきたか、童心を忘れてつまらない大人になってしまったかのいずれかだ。無論そんな簡単な話ではない。何せドーナツといえば、泣く子も嬉し泣く嗜好品である。誕生日でも記念日でも何でもない日にドーナツを買って欲しいだなんて、子ども目線では妄想することすらおこがましい話だ。子どもは子どもなりにそんな意味不明な遠慮をする生き物なのだ。そこんとこをよく思い出して欲しい。だからこそ私は「ドーナツが食べたい」などとは、口が裂けても言えなかった。それでも、そんな我が儘が唯一許されるときがあるとしたら?
——そう、風邪を引いたときだ。

風邪はドーナツを求める免罪符なのである。

しかし、元来身体の強い私はちっとも風邪を引くことなくその後の数年間を過ごした。先に双子の弟が風邪を引いたので、ドーナツを求めるよう心の底から祈ったが、双子とはいえまだ私のレベルに到達していないようだった。愚かにも、「アイス」とか言いだす始末だ。……アイスもありだな。いや、そうじゃない。ドーナツが食べたいのだ。ああ弟よ、まだまだ病人レベルが未熟だというのか。

そしてその後も、ドーナツのない日々が、目まぐるしく過ぎてゆく。
「たまにはドーナツが食べたい」
この一言が言えたら、どれだけ楽になれただろう。苦しい。早く食べたい。会えない時間が、私の中での彼(ドーナツ)への憧れをどんどん大きくしていった。しまいには、「風邪を引きたい」と本気で願うようになっていた。なお、小学生の私は各クラスに1~2人の割合で生息している「冬でも半袖半ズボンの子」だったが、それは風邪を引きたい願望とは無関係だ。あれは何でやってたのか、今となってはもう分からない。寒かった記憶はある。

話が逸れたので戻す。
とにかくしばらくして、私は満を持して風邪を引いた。

「何か食べたいもの、ある?」

——キタ!!
母の問いかけに、心臓の高鳴りを感じた。あとは念願の想いを伝えるだけである。

——が、声が出なかった。
ずっとこのときを待っていたはずなのに。「ドーナツ」の4文字が、言葉にできなかった。

どうやら、私も羞恥心を感じる齢になっていたらしい。「このタイミングでドーナツを食べたいだなんて卑しい奴め」こう思われるのが急に恥ずかしくなってしまったのだ。
よく考えれば、何年もこの日にかけていたことを知っているのは私だけなのだから、堂々とさも今思いついたかのように振る舞えばいいのだ。しかし、言えなかった。この浅ましい心が透けて見えてしまうのではないか? そう考えると、ただでさえ熱で赤くなった顔が真赤になるのを感じた。

ずっと待っていたからこそ、ずっと好きだったからこそ、言えない——。
あの日そっと握った種はいつの間にか育っていて、どうしようもなく壮大な夢のように膨れ上がっていた。

そして、私は泣いた。

色んな感情がごちゃ混ぜになり、私はむせび泣いた。
母は少し動揺したようだったが、「落ち着いたら教えてね」と、私に時間の猶予をくれた。そんな母の優しさに背中を押されて、私は何とか言葉を捻り出した。

「甘くて…ふわふわして、輪になってるやつ」

何を言っているのだろう。「ドーナツ」と言えば済む話なのに。だが、その言葉だけはどうしても言えなかった。あとは母の察する力と親子の絆に託すこととなった。

「分かった。大好きだもんね」

伝わった——。
母の愛とはかくも偉大なものか。母はそれ以上何も聞かないでいてくれた。泣きじゃくる私の気持ちを、どうしても「ドーナツ」とは言えない思春期に片足をぶちこんだ息子の気持ちを、そっと汲んでくれたのだ。
母の優しさに触れ、安堵した私はもうひとしきり泣いた。

その晩は、遠足の前日のような気分で、なかなか寝付けなかったのを覚えている。


翌朝、私はカーテンの隙間から差し込む光で目を覚ました。すぐドーナツのことを思い出し、体調が悪いことも忘れてリビングに直行した。

——いた。

そこには、ちゃんと「甘くて…ふわふわして、輪になってるやつ」が待っていた。



お前じゃないっ!!

私を待っていたのは、第一パンアップルリングであった。いや、アップルリングも大好きなんだが。いや、だが。だがしかし。今回ばかりはそうじゃない。そうじゃないのだ。

その日のアップルリングは、いつもよりちょっとだけしょっぱかった。

(了)

いいなと思ったら応援しよう!

不屈の屈葬 よろしければ応援お願いします! いただいたチップは全額必ずプリニスト(プリン愛好家)としての活動費(プリン代)に使わせて……いただきまーす!