太陽神経叢(感情)権威、という未知の世界
ヒューマンデザインの中には
「権威」というものがあります。
権威は全部で7種類あり
一人一人のデザインを見ると
「その人にとっての権威」
がわかります。
私は、太陽神経叢(感情)権威。

人類の約半分の方は
私と同じ権威を持っています。
(ここに色が付いていれば、ここが権威)
太陽神経叢センターは
「感情の気づき」「スピリット」
にまつわるセンターです。
今日は私の権威の体感シェア。
即断即決が「正しい」と思っていた
初めてリーディングを受けて
権威の説明をされた時に、
「即断即決しないでください
波を3回待ってから決めてください」
と言われて、「へ?」と
思いました。
「なんじゃ、その決め方は??」
って思ったんです。
「波を待つ」なんて
聞いたことがなかったし、
即断即決できることの方が
「正しい」と思ってたし、
実際、即断即決していました。
迷うとか、優柔不断とかって
「決められない自分」みたいで、
そういう自分を否定して
即断即決できる人はかっこいい!
みたいな。
なので、最初はなんともいえず
その情報を受け取り、
ひとまず観察してみることに。
まず「波を待つ」という感覚が
わからなかったです。
感情を「波」として
捉えたこともなかったから。
でも、確かに言われてみれば
感情は「波」としてやってくる。
なるほど、この波のアップダウンを
3回待つ、やり過ごすってことね、と
試してみることに。
実際にやろうとすると
なんとももどかしい、、(笑)
それまでの私を振り返ると
起業するまではどちらかというと
「優柔不断で決め切れない」
をやっていて、
起業してから以降は
「即断即決」
するようになっていました。
「波を待つ」は
そのどちらでもない感じで、
「待つってなんだ~~~!」と
最初はそれがわからなくて
モヤモヤしていました。
権威としてあるとしても
最初から正しく作動していた
ワケではありませんでした。
いやむしろ、全く
生かせてなかったですね。
自分の個性なのに、まったく「わからない」日々
何が悔しかったかって
自分の個性のことなのに
まったくわからなかったこと。
「はい、これがあなたの権威です」
と差し出されたのに、
モヤモヤするばかり(笑)
見たこともないものを
いきなり手渡された感覚で、
しばらくは持て余していました。
「わからない」ことへの抵抗もあり
「早くわかりたい」と焦っていたのも
あったかもしれません。
「待つ」という行為が
とても難しいと感じました。
その理由のひとつに
感情が波立つとその波に
自分が持っていかれて、
「待つ」どころか
溺れて流されてどっか行くw
「波を待つ」という言葉が
言わんとしていることが
指し示していることが
何なのかがわかるまでに
数年はかかりました。
もう、ひたすら観察です。
波に飲まれ続けても
また次の波を観察しようと試みて
でもまた飲まれて、みたいな。
または、波を待つよりも先に
思考があれこれと囁いてきて
そちらに引っ張られたり、
待てなくて即断即決をしてしまい
あとから「あ!」と気づくことも。
「権威」というものを
自分の内側になかなか感じられず、
よくわからないものを
よくわからないままに
見つめ続けた期間でした。
それでも続けられたのは
やはり「これがあなたの権威です」
という一言があったからで、
「権威」というものが
どういうものなのかは
体感できていなかったですが
「知りたい!体感してみたい!」
という好奇心はありました。
どうやらその「権威」に
従うことが、
私にとっての「正しさ」に
なるということでしたから、
諦めるわけにもいかなかった。
まさかこんな風に
体験させられるとは
個性を知る前には思ってもなくて、
情報を得て個性を知れたら
すぐに生かせるものだと
勝手な期待をしていたんですよね。
甘かったというか、
都合が良すぎたというか。

息子がいい練習相手になってくれた
自分の感情が、
あまり好きではなかった。
子供のころからあまり
感情を外に出す人間では
なかったですが、
内側ではいつも色々と
感じていました。
感じた感情とどう接していいか
よくわからないままに、
持て余していたというのが近い。
私の感情は、基本的にいつも
「陰」でした。
鬱々としているというか
落ち込みやすいというか
ネガティブで悲観的。
溜め込むでもなく
発散するでもなく
「いつもそれがあった」
という感覚。
心地よいとは思えず、
だから外に出さなかった
のかもしれません。
単に出し方がわからなかった
だけかもしれません。
ところが、子育てをしていると
そんな余裕もなくて
感情がダダ洩れるように。
特に息子は果てしなく
マイペースで繊細さんで、
まったくこちらの思う通りに
ならない子で、
あとになってみればそれが
息子の個性だと受け入れられたけど、
余裕のなかった当時は
自分のことで精いっぱい。
そんな状態だったのが、
この「感情の観察」に
まさか役に立つとは。
イライラ、焦り、怒り、
不安、心配、悲しみ、寂しさ、
息子に対して感情が溢れるたびに
その波を観察しました。
どんな風に波が沸き上がって
どんな風に変化していくのか
その間に私はどう感じていて
どんな行動を取っているのか
何度も何度も観察に励みました。
そして少しずつそこに
「パターン」があることに
気付けるように。
それは突然ふっと
「あれ?これ前と同じような感じじゃない?」
という視点になれて
その瞬間に波から抜け出せて
冷静さが戻ってくる感覚。
「そう見よう」とはしていなくて
「ただ見る」を繰り返していたら
ある日ふっと入ってきたんです。
そうなると今度は
この感覚を味わえるのが
面白くなって、
更に積極的に観察するように。
最初はパターンに気付き、
次に波のアップダウンの度合いが
毎回微妙に違うことに気付き、
次に波が起こりそうな気配が
やってくることに気付き、
そうやって少しずつですが
「感情の全体像」に向かって
視界が広がっていきました。
息子よ、ありがとう!
観察の目的が変化していった
観察を始めた当初は
「これが私の権威なんだから
使い方をしっかり覚えないと」
みたいに、
「権威を正しく使う」
ために観察を始めました。
ところが、実際に観察を
続けていくうちに、
「え?そうなってたの?」
「なにこれ、どういう風になってるの?」
「なるほど、面白い!」
みたいな体感と発見の連続で、
「見る」ことそのものが
どんどん面白くなっていったんです。
それと同時に
「全然見てこなかった」
事実にも気付きました。
感情的になっている自分への
自覚はあったものの
感情そのものに対する興味が
欠けていたんです。
欠けていたどころか
なんなら持て余していたw
こんな風に興味と関心を持って
目を向けたことは一度もなくて、
「だからずっと持て余していた」
んだなと。
それは単に「正体不明」だっただけ。
実際に目を向け始めても
いきなり楽しくは
なりませんでしたが、
まるでこれまで乗せていた
感情に対するラベリングを
「見る」という行為が
ビームのように照射して
少しずつ焼き払ってくれたように
「見える」ものが徐々に
変化していったんです。
このビームの照射には
時間がかかりましたが、
その「時間」の分だけ
自分が乗せてきた、感情に対する
ジャッジやラベリング
があったのだろうなと。
見れば見るほど
最初の目的を達成することよりも
「もっと見たい」
「もっと見ていたい」
と感じるようになり、
波があろうがなかろうが
自然と感情に意識が
向くようになっていきました。
自分が感じているものなのに
よくわかっていなくて、
よくわからないからこそ
どんどん見たくなる。
それまで私が「感情」という
言葉で認識していたものは、
「ほんの表層、一部分」
だったのだと気づけましたし、
そのおかげで「感情」というものを
少しも楽しめていなかったことも。
けれどもその奥には
思いもよらなかったような
世界が広がっていて、
ヒューマンデザインでしか
これは知りえなくて。
「波を待つ」という言葉が持つ
奥行きというか深さも
最初のイメージとは程遠く、
「待つ」という行為そのものが
もう感情の一部のような。

「波」が私に見せてくれたもの
感情を観察してみて
わかったことは、
本当に沢山あるのですが
それを順序だてて
説明するのは難しいです。
どれもが「感じる」ものであり
段階的というよりは
ニュアンスの世界だから。
でも実際に感じてみれば
おのずとわかっていきます。
それは少しも隠されてはいないから。
なので太陽神経叢権威の方は
自分自身で実践するしかないです。
ふと気になって
感情と感性の違いを
調べてみました。
感情と感性は、ともに心の働きですが、感情は「快・不快」といった自分中心の一時的な心の反応(喜怒哀楽)であるのに対し、感性は物事を感覚的に深く受け止め、他者の気持ちに共感する能力やセンス(感覚・感受性)を指します。感情は「内側から湧き出る」、感性は「外側から受け取る」違いがあります。
この定義が正しいかどうかは
さておき、確かにどちらの世界も
ありました。
喜怒哀楽そのものを
深く感じられるほどに
感性も磨かれていき、
感性で世界を見れば見るほど
感情は豊かに波打ちます。
その波をどんな言葉で
表現しようとも、
そこに「真実」はなくて
波はただ、寄せては返していくだけ。
波とは、味わうもの。
それが今の私の「答え」です。
一定ではないので
計測することは難しく、
一過性でもないので
部分的に捉えることはできず、
「今」ではないので
すぐに理解もできません。
感情とはまるで
「全体性」と「部分」とを
繋ぎ合わせるエネルギーの
ようでした。
他の個性に対しても
同じことが言えますが、
「できることはなにもない」
波という動きは
感情が持つ個性であって
その波から様々なフィーリングが
私たちの中を駆け巡りますが、
そこにいいも悪いもなく
ただ波が立っただけ。
そしてその波に様々に
意味づけをした自分がいるだけ。
そこに気づけるほどに
言葉から離れ、
言葉を楽しみながら、
波を待つともなく、
穏やかにそこにいられます。
「権威」という視点から
自分の感情を見つめてみると
やはり最初に聞いたように
「波を待つ」以外に
することはありませんでした。
リビングユアデザインの
テキストの中に、
創始者ラーのこんな言葉が
書かれています。
あなたの仕組みに気づくことによって、感情的な人である意味を知ることによって、波に理由がないことを知ることによって、待つことによって、眠ることによって、他のどのセンターよりも、人生のほかのどんなことよりも、感情システムを理解することは、あなたが感情を手放し平和になるよう導いてくれることはないかもしれないが、あなたが一緒にいるすべての人のためになるだろう。
自分の感情を観察する前、
ここに書かれていることは
何一つ理解できませんでした。
でも今なら、ほんの少し
理解できたような気がします。
「波」が私にこれらのことを
教えてくれたからです。
その事実は既にあって、
ただ知らないだけ、
ただ味わっていないだけでした。
そして、人類の半分の方の中にも
この世界があるのかと思うと
本当にワクワクします。
私的、感情に対する理解まとめ
最後に、感情に対する
今の私の理解を、
簡潔にまとめておきます。
【感情的な人】
感情がなくなることはなく、
そこに個性があるのであれば
常に「波」があります。
「波」の外はなく、奥(先)があるだけ。
【波に理由がない】
理由は思考によって生まれていて、
本来波そのものにはありません。
因果関係もなく、原因も結果もない。
全ての感情の波はやってきては去っていく。
【痛み】
波に理由づけをすると発生するもの。
理由づけは波を「固定」し、
人はそこに囚われ「痛み」を味わいます。
【待つ】
待つことは、身を引くのでも
我慢や忍耐でもなく、
波を受け入れること。
その上で波に乗ること。
【感情ドラマ】
波への理由づけから生まれる世界。
そこにいい悪いは一切なく、
全ては表現であり、ストーリー。
情緒的、詩的、感傷的など
様々なバリエーションがある。
【明晰さ】
波に乗り、波の中で待つほど
明晰さがもたらされ、
思考とは異なる「理解」が
ゆっくりと浸透していきます。
「年輪を刻むよう」な感覚。
【時間軸】
感情の波は「今」ではなく
「とある瞬間」でもありません。
波が発生したポイントから
離れれば離れるほどに
「見えてくる」ものがあります。
*
最後に「権威」としての
感覚シェアも少しだけ。
「波がクリアになるまで待つ」
という説明が
太陽神経叢権威には
ありますが、
なんというか、この言葉通りで
「クリア」な領域に
到達するまでは決めない、
という感じです。
「決める」というよりは
「決まる」という方が近い。
波が立っている間は
決断も揺らいでいるのですが、
そのまま待っていると
「ああ、そうなのね」
と答えが自然とわかるような。
とても不思議な感覚です。
これは単に感情の波が
去っていくことで
クリアになるというよりは、
「待つ」ことによって
波が「真実」へと
連れて行ってくれるようでもあり、
波から離れてしまうと
そこにはたどり着けません。
最近は「決断」そのものも
波のプロセスのように思えて、
決めるとか決めないとかを
あまり気にしなくなりました。
ただ、波がある。
なんだかそれだけのようで
必要なことはこの波の中で
自然と起こる気がして。
わざわざ「待つ」というより
日頃から観察をしていると
「待つ」ことが当たり前になり
あまり苦もなく
できるようになりました。
これは私の感覚なので
他の方はわかりません。
私の場合は個性が
「黒(顕在意識)」にあるため
観察のしやすさがありますが、
もしも「赤(無意識)」にあったり
「赤と黒」になっている場合は
感じ方も異なると思います。
結局は、どんな個性も
ご自身で体験していくより
他はないと思います。
ただ、ひとつ言えるのは
とても味わい深い世界です。
そして同時に、
「初めて触れた世界」
でもありました。
一人でも多くの方が
「感情世界」を味わうように
なってくれたら嬉しいです。
ここに「未知」が
沢山詰まっている
気がします。
感情との向き合いを
一緒にやってみたくなったら
マインドスクールへ。
ふっこ
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