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本来のあるべき自分に戻る、とは?

リビングユアデザインの
テキストの中に、

ヒューマンデザインは信じるものではなく、やってみるためのものです。あなたが自分のタイプの行動指針に従って人生を生き始めれば、あなたが自然に本来のあるべき自分へ戻っていくでしょう。それは本当にシンプルなことです。

とあります。

「信じるものではなく」
というのは

「信じるだけでは何も変わらない」
とも言い換えられます。

それよりも
「やってみる」
ここが何よりも大事。

なぜならそれはきっと
多くの人にとって

「やったことがないこと」

だからです。


では具体的に何を
「やってみる」ものだと
言っているのかは、その後の

「自分のタイプの行動指針に従って人生を生き始めれば」

この部分。

行動指針ともうひとつ
「内なる権威」もあります。

そうすることによって

「自然に本来のあるべき自分へ戻っていく」

と続きます。

今日はこの辺りを
詳しく掘り下げてみます。


信じる、と、やる、の違い

まず、「信じる」の意味から。

疑わずに本当だと思う:神は存在すると信じる。
信頼・信用する:彼の人柄を信じる、自分を信じる。
頼りにする:あてにする、預ける。
信仰・信心する:宗教を篤く信じる。

ヒューマンデザインは
こういう類のものではない、
と言っています。

つまり、疑っていいし、
信用しなくていいし、
あてにするものでもないし、
信仰する必要もありません。


これはヒューマンデザインが
怪しいものだと言っている
ワケではなくて(笑)


たとえばあなたが
電子レンジを買ったとします。

もれなく説明書が
ついてきますよね?

そこには電子レンジの使い方や
どんな機能が備わっているかや
壊れた時の対応の仕方などが
書かれていると思います。

ヒューマンデザインも同じ。

何について書かれているのかは、
私たち人類の「体」についてです。


あなたは、説明書を
「信じる」なんてする?

それよりも実際に電子レンジを
使ってみませんか?

説明書を読んだだけで
「電子レンジってこういうものなのか!」
って、ならないですよね(笑)

実際に使ってみて
その良さを実感したり
生活の中で役に立ってこそ

電子レンジのことを
理解できると思うのです。

電子レンジを前に眺めるだけで
ずっと説明書ばかりを読んだりは
しないでしょう?


私たちの体は機械ではないですが
「メカニズム」があります。
生命のメカニズム。

ヒューマンデザインは
メカニズムを説明してくれています。

でも実際に試してみないと
「メカニズム」を直接
体感することはありません。

だから「やってみる」が
何よりも大事なんですね。

マインドに従わない、という新しい一歩

では、具体的に何を
「やってみる」といいのか。

それは、

権威と行動指針に従って生き始める

この一択です。
これ以外にはありません。

ね、シンプルでしょう?

が、しかし。

実際にやってみるとこれも
わかることですが、
現実はシンプルじゃない(笑)


一人一人の中にある
内なる権威とは、

信頼できる意思決定方法

行動指針なら、

信頼できるタイミングや動き出し方

と言えるでしょうか。

そしてこれらはいずれも
「体」にあり、
メカニズムによって
機能しています。


ところが実際に私たちが
どう生きているかというと、

マインドによる意思決定

で動いています。

そしてなぜ、現状が
そうなっているのかも
知っていくことができます。

だからこそ、

「本来のあるべき自分へ戻っていく」

という表現になります。


マインドによる意思決定から
生きている状態は、

「本来のあるべき自分」

ではないということです。


ですがこれは
過去の生き方を否定する
ものではありません。

誰もが、「知らなかった」んです。

この体がどう機能していて
どんなメカニズムがそこにあるかを。

だから、実践がないうちに
ヒューマンデザインを
「理解」することはできません。

言葉の意味は理解できても

「本来のあるべき自分へ戻っていく」

という感覚がないのなら
それは単にまだ実践不足。


電子レンジならすぐに
直接あれこれと使ってみる
と思うのですが、

これが自分の体となると
最初ほど沢山の「抵抗」に
出会うことになります。

そしてその抵抗もまた

「マインドによる意思決定」

から生まれているものです。

例えるなら電子レンジを
ずっと「物置」として
使っていたようなもの。

その「癖」が体に染みついていて
なかなか新しい機能を
楽しむことができない感じ。

まず、そういう自分の癖に
「気づいていく」ことが

マインドの意思決定から
離れていくための
最初の一歩になります。

「自然に」戻っていくとは

なぜ権威と行動指針に
従って生き始めると
「自然」に戻っていくのか?

その前にまずこの「自然」を
定義してみようと思います。

「自然」の意味を調べると

「自然(しぜん)」は、人間の手が加わっていない山、川、動植物などの「ありのままの姿」や「天地万物」を指します。また、無理がなくて気どらない様子、ひとりでにそうなる様子(当然)も意味します。英語のNatureの訳語であり、人工や人為の対義語として使われます。

と出ました。

「人工や人為の対義語」

とありますが、
私のイメージでは

人工や人為を内包したもの

なんですよね。

自然か、人為か、ではなくて
自然の中に、人為がある。


「人為」とは
自然の状態に人が手を加えること。

まず先に「自然」があり
そこから「人為」が生まれてくる。

「自然に戻っていく」

とは、この場合人為ではなく
「自然の領域での作用」
が起こり、変化していくということ。

それは「人為」の領域では
ありませんから、

人がいくら考えたり
知恵を絞ったりしても
意味がないということです。


つまり、マインド(思考)で

「こうしたらこうなる」

と思い描けるような
世界ではないということ。

マインドで意思決定をしている時
人は人生をコントロールしようと
試みている状態です。

ですが、自然をコントロール
なんてできるでしょうか?


ここで「体」について
少し感じてみましょう。

リビングユアデザインの
テキストにも出てくる話ですが、

あなたは自分の心臓の
鼓動をコントロール
できますか?

呼吸を死ぬまでずっと
コントロールできますか?

できないですよね。

もしも私たちの体が
私たちの意識や意思によって
持続しているとしたなら、

私たちはきっともっと
日々一生懸命に

「今日も一日呼吸を止めなかったぞ!」

とか言ってそうです(笑)


私たちが手出しできない
「領域」があることくらい
少し考えればすぐにわかります。

私たちが自身でこの体を
「生かしている」のではなく

体自身が必要な機能を動かし
この体を「生かしている」んです。

権威と行動指針もまた
この領域にあるものです。

私たちの体が「生きる」仕組み
それがメカニズムですが、

心臓に心臓の役割があるように
「権威という役割」もまた
この体の中にあるということです。

そしてそれは
「生きる」ことに
直結しています。

リビングユアデザインでは
各センターと私たちの体の
臓器や器官、神経などとの繋がりを
知ることができます。


だから、

「こうすればこうなる(だろう)」

というような考えは
自分を生きるという根本的な
部分からすると、

全く意味がありません。


「人間の手が加わっていない」

ことを「自然」と呼ぶならば
この場合の「人間」とは
私たちの「意識」を差していて

つまり
「物心つく前から体はあったよね」
という話です。

これは、体と意識の関係性の話。

もっと言うなら、
体と言葉の関係性です。

あなたは「一人」なのではなく
体という「もう一人」と共に
生きているという話です。

その二人の間に「体験」があり
それらは全て分かち合われていて

あなたがマインドで生きていたのか
それとも権威と行動指針で生きていたのか

その結果が、目の前に
広がる現実です。

そこに「抵抗」
どのくらいあるのかが

体のメカニズムに従って
生きられているかの道標。

ヒューマンデザインは精神論ではない

「生き方」と聞くと
なにやら高尚な精神論が
出てきそうですが、

そうではありません。

世の中にはあまたの
「人として正しい生き方・在り方」
みたいな情報がありますが

権威と行動指針に従って
いないのなら、
それはその人にとっては
正しくないと言えます。

理想ありき、ではなく
言葉ありき、ではなく

そういった全てを手放し、
体に従うということです。

信じるものではなく、やってみるためのもの

この一文はシンプルですが
とてもパワフルです。

その先で何に出会えるかは
やってみるまでは決して
想像することができません。


これまでに培ってきた「知識」は
あまり意味を持ちません。

それってたとえるなら
人生で初めて電子レンジに
触れてみようという時に、

「やかんでお湯を沸かした時はこうだった」

を参照しているようなもの。

電子レンジとやかんを
比較したところで、
何の意味があるでしょうか?

そんなこといちいち
考えて動かないですよね?

むしろそれは
電子レンジを体験したあとでいい。

「まず、やってみる」

その前にいくら何かを
考えたところで、
役に立っていません。

「体験」がまず、必要なんです。


精神論のようなものは
ある意味で「体験の集まり」
によって出来上がっています。

色々な人の体験があって
そこで感じたことがあって

それらをものすごい量集めて
「統計データ」を導き出し、
「これが正解です」と
打ち出しているようなもの。

ヒューマンデザインにおいては
まず圧倒的に「体験」が少ないです。

まだまだ新しい情報ですからね。

ですがその一方で

マインドの意思決定に従う

という体験は山ほどあるはずです。

ですから、そこから十分に
学び取ることができます。

でもこれも、心理学や
精神論で解いていくのではなく

メカニズムから解いていく
メカニズムから気付いていく

必要があるかなと。

それは「人為」を「自然」に
還していくみたいなもの。

人が土に還る、みたいな。


最後に冒頭の文をもう一度。

ヒューマンデザインは信じるものではなく、やってみるためのものです。あなたが自分のタイプの行動指針に従って人生を生き始めれば、あなたが自然に本来のあるべき自分へ戻っていくでしょう。それは本当にシンプルなことです。

この「行間」に何も挟まず、
愚直に「やってみる」ことです。

やってみれば、わかるから。
(時間はかかりますが)

体が教えてくれます。

ヒューマンデザインで
言われていることが
「本当」かどうかは

自分の体で確かめられます。

だからやる前から
信じる必要なんてない。

変化していくこともまた、自然な流れ

「本来の自分に戻っていく」

ようやくそんなことが
できるようになった時代が
やってきた、という感じもします。

長い長い、人類のバトンリレーを
していたのかもしれません。

「わからない」から始まり
「自分を知る」行為を通じて

深く深く、内なる世界に
少しずつ足を踏み入れていく。


「本来の自分」をまだ知らない
自分でもって、
向かっていくワケですが

幼虫がさなぎになるように
さなぎが蝶になるように
赤ちゃんがある日立ち上がるように

「体」は知っているんです。

なにが「自然」であるかを。
いつがその「タイミング」なのかを。

自分たちにはそれは
「わからない」ですから
色々ともがきますが(笑)

それすらも必要な体験です。


実践を始めてみると
わかることですが

私たちはあまりにも
マインドで意思決定を
しすぎてきました。

自分ではそう認識できて
いないほど、無自覚に。

自分のことなのに
自分の体のことを
全くわかっておらず

沢山の「誤解釈」が山積みです。

その誤解釈から
「苦しみ」や「痛み」が
生まれてきたんです。


でももう、種明かしされました。

すべての「なぜ?」という
問いの答えは、
私たちの体のメカニズムに
あったということです。

だからあとは実際に
試してみればいいだけ。

慌てず、じっくりと、
自分の体と接しながら

これまでの人生を
紐解いていくんです。


でも、力みはいりません。

全ては「自然に」起こります。

それらを信頼して
身を委ねるだけでいい。

初めてのことなので
最初は「わからない」の
連続だと思いますが

それでも実践を始めていけば
少しずつ少しずつ
あなた自身に浸透していきます。


私たちはいつだって
自然に抱かれています。

人為から、無為へ。

一度まっさらに戻って
そこから生まれてくる

「本来の自分」

に、出会っていきませんか?


ふっこ☻




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