特別な朝への旅〜富士山〜
もう、10分以上もここにたたずんでいる。
冷たい雨の中、濡れた手袋の中で指先がかじかんでいる。
私たち10人は、ご来光富士登山ツアーの参加者である。
ご来光に間に合うよう、午前2時に8合目の山小屋を出発した。
ガイドの青年は、今回が初めてのガイドだという。切れ長の目が印象的な、真面目そうな青年である。
その彼が、ここから先は危険なので登頂を断念することをツアーメンバーに伝えた。
天候が悪く、低体温症になる恐れがある。皆さんを無事、頂上にお連れする自信がないと。
私は正直ほっとしていた。体力的に限界だと思ったからだ。
山小屋では、ほとんど眠ることができなかった。
夕飯のカレーを食べ、19時頃には横になった。
全身から、疲れがとけだす。寝袋に沈み込んで、泥のように眠れるはずだった。
なのに。なんとなく身の置き所がなく、何度も寝返りを打つ。
疲れすぎて神経が高ぶっているのかと、ストレッチをしてリラックスしようと試みるも効果がない。
眠れない。
昨日だって、遠慮がちにリクライニングした深夜バスの狭い座席で、ろくに眠れていないのに。
そのうち体が熱っぽくなってきた。これはだめだ。高山病にかかったらしい。無理だ。ここでリタイアだ。
一人で下山できるかな。下山の心配で頭がいっぱいになる。
お腹まで痛くなってきた。トイレは外だ。
外は風が強くて寒かったが、まだ星が見えていた。
時間は11時。
この後、何とか起床時間まで2時間ほど眠ることができた。
起きたら、リタイアすることを伝えるつもりだったのに、なぜかいそいそと身支度をしている私。
まじか。本当に大丈夫なのか?こんな体調で行っていいのか?途中で動けなくなったら迷惑をかけることになるぞ?などと、考えるより先に体が動いていた。
各々ヘッドライトを装着し出発した。
間もなく、雨が降り始めた。
霧雨ではあるが、しっとりと全身が冷えていった。
9合目あたりに到着した時だった。
7合目から来たグループが、登頂をあきらめて下山するらしい。我らが青年ガイドと年配ガイドが話をしているのが見えた。
そして、青年ガイドが言った。
「天候が悪いので、今回はここまでにしましょう。よろしいですか?」
「それでいいです。」
「わかりました。」
了承する声がいくつか聞こえた。
私は、少し残念ではあるが、自分の体調が悪い上に、天気も良くないとなると、下山一択だと思った。
下山の道のりさえ心配なのだ。
「行けるよねえ。ほら、みんな上ってるよ?」
富士山3回目だというおばさまが言った。
え、さっきは黙ってたのに。私は少し驚いた。
見ると、頂上へ向かう人たちが列を作っていた。富士山名物の大行列である。
それを見た若手の男性が、青年ガイドを説得し始めた。
「行きましょうよ。大丈夫ですよ」
「そりゃ、お兄さんは大丈夫かもしれないですけど・・・」
という、青年ガイドのセリフを奪い取るように、
「もしかして私に気を使ってくれてるの?!私がおばあちゃんだから?それなら私は大丈夫です!」
最年長70歳のご婦人が、きっぱりした声で言い放つ。
「い、いえ、そういうわけでは・・・!」
そうだそうだ、ご婦人より、私のほうが大丈夫じゃない。ご婦人のせいじゃない。
「何よりも、皆さんを無事におかえししたいんです!」とガイドが言えば、
「どんな決断でも、従いますよ!」と、山男風イケおじ。
「ここまで来たのに!」くいさがるお兄さん。
・・・何だこれは。青春ドラマなのか?
どうしても上りたい。
熱い思いがメンバーに伝染し始めた。
たたずむ10人。その間もヘッドライトをつけた人々が登山道を頂上に向けて歩いていく。
ふと、雨が止んだことに気づいた。
「やんできましたね」
「行きましょうよ」
「行きますか、みなさん」
「行きましょう!!」
こうして再び歩き始める。
つづら折りの登山道を、ゆっくり上る。
ゆっくりでないと息が切れて途端に呼吸困難に襲われる。何度も休憩をはさむのだが、立ち止まった後、最初の一歩がきつい。みぞおちに圧迫感がくる。
顔が濡れているのは、立ち込めるガスのせいなのか、小雨が降っているのか。鼻水が垂れているのにも気づかない。
次第にあたりが薄明るくなってきた。まわりは真っ白で何も見えないが、日の出は近い。
頂上はあと少し。
右後方からほのかに温かみを感じて振り向いた。
「あ・・・」
美しさに、胸を突かれて声が出る。
真っ白な雲の切れ間から、太陽の光がまっすぐに私を照らしていた。
今日の道のりを思う。
ヘッドライトに照らされたガレた道。
暗闇からグレーに変わった寒い山に、突然現れた光。
一転してオレンジに照らされる山。そのコントラスト。
朝が来たのだ。特別な朝が来たのだ。
あと少しで頂上だ。もう一度、振り返る。
おはよう、富士山。
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ショートストーリーに挑戦するきっかけになりました。ありがとうございました。
