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子どもにピントが合うのは、たいていが学校行事の日だ 07/14

はじめに

カメラのAFが迷うとき、独特の焦りがある。

ファインダーの中の被写体は、そこにいる。動いてもいないし、隠れてもいない。それなのにレンズが前後にさまよい続けて、ピントが合ってくれない。しばらく待っていると、何かのタイミングでカチッと決まる。あの感覚を知っている人なら、こう思うはずだ——最初からなぜ合わなかったのだろう、と。

子どもにピントが合うのは、たいてい学校行事の日だ。 ふだんから見ているはずなのに、行事という場で子どもの姿を見た瞬間に「あ、こんな顔をするようになったのか」と気づく。ずっとそこにいたのに、ピントが合っていなかっただけだ。


日常という光は、明るすぎる

写真の世界では、光が強すぎると被写体の輪郭が飛ぶことがある。ディテールが潰れて、フラットに見える。

子育ても似ている。毎日一緒にいるということは、常に「ものすごく近い距離で、強い光の中にいる」状態だ。視野が狭くなる。細かい変化は飛んでしまう。「いつも通り」という認識がフィルターになって、少しずつ起きている変化を受け取れなくなっていく。

今回の学校行事でそれを痛感した。子どもが他の大人や友達と話しているところを、少し離れた場所から眺めていたとき、自分がまったく知らない表情をしていた。家では見たことがない顔で笑っていた。家の外では、別の人間になっている。

家の中にいる子どもと、外にいる子どもは、同じ子どもなのにまるで違って見えた。

ピントが合って、困ったこと

気づきは、いつも心地よいとは限らない。

行事の場で、子どもが自分のことをどう見ているかを感じる場面があった。何かを説明しようとしたとき、子どもが「でも、いつもそう言ってるのに違うことするじゃん」と言った。さらっと言っただけで、責めているわけでもなかった。でも、刺さった。

言っていることとやっていることが、ずれていた。忙しさの中で、自分でも気づかないうちにそのズレが広がっていたのだと思う。ふだんは近すぎて見えなかったズレが、少し離れた場所から見ると、くっきりと見えた。

子どもは、ちゃんと見ている。 親が見えていないものを、子どもは見えている。ピントが合ったとき、そういうものが一緒に見えてくることがある。うれしいものだけが見えるとは限らない。それでも、見えない方がいい気はしない。

なぜ日常では気づけないのか

AFが迷う原因の一つは、被写体との距離が近すぎることだ。マクロ域では、わずかなブレが大きなズレになる。少し引いて撮ることで、安定してピントが合うようになる。

子育ても同じ構造だと思っている。毎日の中にいる自分は、ほとんど常にマクロ域にいる。子どもの言動の一つひとつに反応しながら動いているので、少し引いて全体を見る余裕がない。行事という場は、半ば強制的に「引いて見る距離」を作ってくれる。

もう一つ気づいたのは、「いつも通り」という認識の強さだ。人は、同じ場所で同じ人を毎日見ていると、見るのをやめてしまう。目には入っているが、脳が処理しなくなる。変化に気づくためには、いつもと違う文脈で見る必要がある。行事が、その機会になっている。

子どもの場合、変化のペースが速い。1か月前と今では、言葉の使い方も、友達との関わり方も、微妙に変わっている。毎日見ていると「変わっていない」と感じるのに、行事という場で少し引いて見ると「こんなに変わっていたのか」となる。その落差が、毎回新鮮に驚かせてくる。

記録として残す意味

写真を撮るのは、後から見返すためだ。撮った瞬間には気づかなかったことが、後から見ると見えることがある。

こうした気づきを文章で残しておくのも、同じ理由だと思っている。今の自分には見えていないものが、数年後に読み返したときに見えるかもしれない。あるいは、今書いておいたことが、未来の自分が迷ったときのヒントになるかもしれない。

3人分の子育ては、それぞれにタイミングが違う。上の子で経験したことが、下の子のときに形を変えて現れる。過去の記録が、今の対応の参照点になることがある。書き続けることの意味は、そこにあると思っている。

撮った写真は、プリントしないと引き出しの中で眠り続ける。気づきも同じで、書かなければ記憶の奥に沈んでいく。今回のことを書き残したのは、次の行事のときに読み返すためでもある。

距離の取り方を覚える

子育てを続けていて、少しずつ学んでいることの一つが「距離の調整」だ。

近くにいすぎると見えなくなる。でも遠くにいすぎると、今度は別の何かが見えなくなる。カメラで言えば、ピントを合わせるために一度引くのだが、引きすぎると被写体が小さくなりすぎる。ちょうどいい距離が、撮りたいものを撮れる距離だ。

子育てでも、この「ちょうどいい距離」を探している最中だと感じている。年齢によっても違う。上の子と下の子でも違う。正解が一つではないのに、毎回探し直すことになる。

行事の日は、強制的に「少し引く日」になっている。その距離から見えたものを覚えておいて、日常に戻ってからの距離の取り方を調整する。それだけで、ふだんの見え方が少し変わる。

まとめ

AFは、被写体が変わったからではなく、こちらの距離と角度が変わったときに合う。子どもへのピントも、子どもが変わったからではなく、こちらが引いた距離で見たときに合う。

学校行事という場は、その距離を作ってくれる。次の行事も、カメラを持って行こうと思っている。ファインダーを覗く前に、まず裸眼で少し引いて見てみる。そっちの方が、ピントが合いやすい気がしている。

次回の子育ての回もよろしくお願いします。

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