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発信しようとすると気が重いのは、投稿の手前に工程が多いから

「SNS 発信 気が重い」と感じるとき。

投稿したくないわけではない。

書くことも、ある程度は決まっている。

それなのに、SNSを開こうとすると、なぜか少し面倒に感じる。

「また投稿を作らなきゃ」

そう思っただけで、気持ちが重くなる。

こういうとき、「自分はやる気がないのかな」と考えてしまうことがあります。

でも、気が重い理由を、やる気だけで説明しなくてもいいのかもしれません。

投稿そのものより、投稿するまでにやることが多い

そう考えると、今まで見えていなかった負荷が少し見えてきます。


開こうとするだけで気が重くなる

SNSを開くだけなら、本来はそれほど大きな作業ではありません。

アプリや画面を開けばいい。

投稿するなら、そこから文章を書けばいい。

頭では分かっています。

それなのに、なぜか開くこと自体が億劫になる。

この状態で「もっとやる気を出そう」とすると、余計に重く感じることがあります。

なぜなら、実際に避けているのが「投稿」だけとは限らないからです。

SNSを開いたら、

何を書くか決めなければいけない。

決めたら文章にしなければいけない。

文章にしたら、読みやすい形に整えなければいけない。

投稿したら、その後の反応も確認する。

ひとつの「投稿」の中に、いくつもの小さな作業があります。

だから、画面を開く瞬間には、まだ始めていない工程までまとめて思い浮かんでいることがあります。

「開くだけなのに気が重い」のではなく、

開いたら、その先にいろいろやることが待っている。

そう感じているのかもしれません。

ここに気づくと、「自分は怠けている」という見方から少し離れられます。

気が重いのは、投稿そのものより手前の工程が多いこと

発信の負荷を考えるとき、投稿する瞬間だけを見てしまうと分かりにくくなります。

実際には、その前に「決める」という工程があります。

何を書くのか。

どんな順番にするのか。

どこまで書くのか。

それが決まったら、次は「形にする」工程があります。

文章にする。

読みやすく整える。

投稿できる状態まで持っていく。

そして投稿した後には、「反応を確認する」という工程があります。

見られたのか。

反応があったのか。

どう受け取られたのか。

こうして並べると、

決める → 形にする → 反応を確認する

という流れになっています。

この3つを全部まとめて「投稿」と呼んでいると、一回の負荷が大きく感じられます。

たとえば、文章を書くこと自体は嫌ではないのに、「何を書くか決める」段階で止まることがあります。

逆に、内容は決まっているのに、文章を整えるところで時間がかかることもある。

投稿まではできても、その後の反応を確認することが気になって、またSNSを開いてしまうこともあります。

つまり、「発信が重い」と感じても、重さが発生している場所はひとつとは限りません。

投稿という一つの行動に見えているものを、

「決める」

「形にする」

「反応を確認する」

と分けてみる。

そうすると、気が重い理由が「やる気のなさ」ではなく、一回の中に含まれている工程の多さとして見えてきます。

何を書くか決め、形を整え、反応を確認するまでが1セットになっている

発信するときは、つい「1投稿=1作業」と考えがちです。

でも、実際には一つの投稿を出すまでに、いくつかの判断があります。

まず、何を書くかを決める。

ここで迷えば、まだ文章を書くところまで進めません。

次に、それを投稿の形にする。

言葉を並べただけでは終わらず、読み手に伝わる形へ整える必要があります。

そして、公開したら終わりではなく、反応を確認する。

この一連の流れを毎回まとめて行おうとすると、投稿のたびに「小さな仕事」がいくつも発生します。

だから、SNSを開いた瞬間に、

「今日はこれを全部やらないといけない」

という感覚になりやすい。

ここで大切なのは、工程が多いこと自体を悪いと決めないことです。

発信するなら、決めることも整えることも必要になります。

ただ、それらを毎回ひと続きの作業として扱う必要があるのかは、別の話です。

一度に全部やろうとするから重いのか。

それとも、特定の工程だけが苦手なのか。

そこを分けることで、「投稿できない」という大きな問題が、もう少し小さな問題になります。

決める工程と整える工程は、別の日に置ける

「何を書くか決めること」と「実際に文章を整えること」は、同じタイミングでやらなければならないとは限りません。

たとえば、今日は書く内容だけ決めて、文章を作るところまでは進めない。

別のタイミングで、その決まった内容を文章にする。

こうすると、一回の作業で「考える」と「形にする」を同時に求めなくて済みます。

ここで重要なのは、具体的な作業時間や日数を決めることではありません。

自分の中で別々に扱える工程を、ひとつにまとめていないかを見ることです。

何を書くか考えると疲れる人と、文章を整えると疲れる人では、重い場所が違います。

それなのに、全部を「投稿」という一つの作業にしてしまうと、自分がどこで止まっているのか分からなくなります。

決める。

形にする。

確認する。

この3つを別々の工程として見てみるだけでも、「投稿」という大きな塊が少し小さくなります。

1セットが重いと、開くこと自体を避けるようになる

一回の投稿に含まれる工程が多いと、それを始める前から疲れてしまうことがあります。

「SNSを開こう」

と思った瞬間に、

何を書こう。

ちゃんとまとめなきゃ。

投稿したら反応も見なきゃ。

そんなふうに、その先の工程まで一気に浮かんでくる。

すると、まだ何もしていないのに、すでに負荷を感じます。

そして、開くことを後回しにする。

「あとでやろう」

「今日はいいかな」

「もう少し考えてからにしよう」

そうやって、SNSを開かないことで一時的に重さから離れます。

ここで起きていることを、「意志が弱い」とだけ見ると、自分を責める方向へ進みます。

でも、

一度に処理しようとしているセットが重いから、入口を避けている

という見方もできます。

もちろん、すべての「開きたくない」が工程の多さから来ているとは限りません。

ただ、投稿したい気持ちは残っているのに、開くことだけが億劫なら、手前の工程を一度見てみる価値があります。

「投稿したくない」のか。

それとも、

「投稿するまでにやることを全部考えるのが重い」のか。

この2つは似ていますが、意味が違います。

前者なら、発信そのものについて考える必要があります。

後者なら、工程の分け方を見る余地があります。

気が重いことを、自分のやる気の問題だけにしない。

そのためにも、「開く前に何を想像しているか」を見ることが、小さな判断材料になります。

工程を分けると、どこが重いかが特定できる

ここまで見てくると、「SNS 発信 気が重い」という状態も、少し違って見えてきます。

最初は、

「投稿する気になれない」

という一つの問題に見えていたものが、

「何を書くか決めるところが重い」

「形を整えるところが重い」

「反応を確認するところが重い」

と分かれてくるからです。

この違いは大きいです。

たとえば、何を書くかはすぐ決まるのに、文章を形にするところで止まるなら、「ネタがない」と考える必要はありません。

反対に、文章は書けるのに、毎回その前段階で迷うなら、書く技術だけを考えても気の重さは変わりにくい。

また、投稿まではできるのに、反応確認まで含めて考えると嫌になるなら、負荷の場所は投稿前だけではありません。

だから、まず一回の発信を小さく分けてみる。

何を書くか決める。

形にする。

反応を確認する。

この3つのどこで一番重くなるのかを見る。

「どれも嫌」と感じても、それぞれの重さを同じものとして扱わなくていい。

工程を分ける目的は、全部を効率よくこなすことではありません。

自分がどこで止まりやすいのかを知ることです。

そこが分かれば、「発信する気が起きない」という曖昧な状態から、一歩進めます。

やる気がないのではなく、ひとつの投稿にいくつもの工程を詰め込んでいた。

そう考えられるだけでも、自分への見方は少し変わります。

そして、工程が見えてくると、「全部やらなければ」という義務感も少し扱いやすくなります。

発信しようとすると気が重い。

そんなときは、投稿そのものを嫌がっているとは限りません。

その手前にある「決める」「形にする」「反応を確認する」が、毎回ひとつのセットになっている。

そのセットが重くなると、SNSを開くこと自体を避けたくなる。

だからまずは、発信をひとつの作業として見ないこと。

どこまでを一度にやろうとしているのかを分けてみること。

それだけでも、「自分はやる気がない」という自己判定から少し離れられます。

そして、工程の多さが見えてきたら、次は「出したのに反応が返ってこない時期」のほうも押さえておくと、発信の重さをさらに分けて考えやすくなります。

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