娘の言葉を待った朝|「行こうかな」の先にあったもの
通級の日の朝、
娘は全くベッドから起きて来なかった。
いつもは早朝から自分で起きるので、
今日は行きたくないんだろうなと思った。
「今日はどうする?」と聞くと、
「通級行きたくない…」
「今日は小学校に行こうかな…」
と返された。
小学校には、
「通級のため欠席」とアプリで入力済み。
行くとなったら、電話を入れなければならない。
ひとまず私は通級に欠席の連絡を入れた。
でも、小学校には連絡はしなかった。
娘が本当に行く気があるか、
半分信じて半分疑っていたからだ。
娘には、
「わかったよ。
じゃあ準備ができたら声を掛けてね」
と伝えた。
でも、そこから1時間が経っても、
娘は部屋から出て来なかった。
「そろそろ行ける?」と聞くと、
「うーん。悩み中…」とのこと。
こういう展開になると、
この後行けるケースはほぼない。
「行く行かない」の話が続くと
お互いにイライラしてしまうし、
かといって、「じゃあもう行かないね!」
と私が一方的に決めるのも違う。
なので私は、
「ママは駐輪場から自転車を出してくるから、
それまでに決めておいてね」
と伝えて、先に外に出た。
マンションの外から家に電話をかける。
「どう?行けそう?」
「うーん。今日は無理そう…」
前日に「通級に行く」と言っていた手前、
娘はきっと、ストレートに「休む!」とは
言い出しにくかったのかなと思った。
私は、
「OK!お休みね。
じゃあママは買い物に行ってくるよ。」
と、プレッシャーにならないよう、
ごく普通のトーンで伝えた。
娘は少し明るさを取り戻した声で
「行ってらっしゃーい」
と伝えてくれた。
以前の私は、
娘が「行けない」となったとき、
「昨日は行くって言ってたのに」
とイライラを募らせていた。
今思えば、当時の私は、
自分の「学校に行ってほしい」という気持ちに
都合の良い娘の言動だけを
集めていたのかもしれない。
娘の中にある迷いや苦しさを、
ちゃんと見ようとする余裕が、
あの頃の私にはあまりなかったのだと思う。
でもこの数年娘を見ていて思うのは、
娘の「行こうかな」は、
嘘でもないし、まだ本当でもないということ。
行きたい気持ち、
行かなきゃという気持ち、
でも身体や心が思うように動かない現実、
そんなものが混ざった言葉なんだと思う。
だから決断には時間がかかるし、苦しいんだと思う。
行くことも、休むことも、
私が決めてあげることはできるけれど、
今の娘はそれを望んでいないように見える。
娘に必要なのは、
自分で決めるための「余白」なんだと思う。
そのために私は、
こちらから答えを出さず、
少しだけ離れて待つことを選んだ。
家を出る前は、
「やっぱり今日も行けないのか」と
ため息が出そうだった。
でも娘は、
たくさん迷って、
言い出しにくさも抱えながら、
それでも「今日は無理そう」と伝えてくれた。
学校には行かなかった朝だったけれど、
娘は、今の状態を言葉にすることができた。
そして私は、
その言葉を急かさずに待つことができた。
ほんの少し離れることで、
私の中にも心の余裕が生まれた。
この日は二人とも、
少しだけ成長した朝だったのかもしれない。
