スキをしたnoteを元に書きたい。でも、そのnoteを材料にしていいのか分からない。
スキをしたnoteの記事の言葉を元に、記事を書きたくなることがある。
読んで面白かったり、気になったワードがあったり。
そのワードが、しばらく頭に残ったり。
だからスキを押した。
そこまでは、自然なことだと思う。
問題はそのあとである。
私の脳内は、あまり行儀がよくない部分があるので、その記事の中にあった一語や、一つの考え方が、自分の中で別の方向へ転がり始めることがある。
相手が書いていた主題とは少し違う。
むしろ、だいぶ違う場所へ飛んでしまうこともある。
しかも、自分の中ではなぜかつながってしまう。
そこから一本、別の記事が書けそうになることが多々ある。
これが本当に困る。
私は、そのnoteが面白かったからスキを押している。
敬意があるから反応しているが、その記事の言葉を一部だけ抜き取り、自分の文脈に乗せ替えてしまったら、それは相手の記事を雑に扱うことになるのではないかと思ってしまう。
文章を読んで、そこから別のことを考える。
それ自体は悪いことではないはずだ。
本を読んでも、映画を見ても、人の話を聞いても、受け取った側の中で別の何かが動くことはある。
作った側が想定していなかった場所に刺さることもある。
そこから別の文章が生まれることもある。
ただ、noteでは少し立ち止まってしまう。
noteの記事は、ただの文章では終わらない
noteの記事を読むとき、その向こうに書いた人がいる感じがする。
もちろん、ネット上の文章は全部そうだと言えばそうである。
どの記事にも書いた人がいるし、どの文章にも、その人の考えや経験や感情がある。
ただ、noteはその距離が近い部分がある。
スキを押したり、コメントを書いたり。
そのコメントに返事が来たり、フォローする、されるという関係もある。
そういうやり取りが、思ったより見える場所にある。
だから、スキをしたnoteは、ただの「読んだ文章」では終わりにくい。
こちらは読んでいて、面白いと思っている。
気になったからスキを押している。
場合によっては、その人がこちらの記事を読んでくれていることもある。
その距離で、相手の記事の言葉を元に、自分の記事を書く。
これは、とても気をつけなければいけない。
相手の記事には、相手の文脈があり、相手がその言葉を選んだ理由がある。
そこに至るまでの経験や、書くときに込めた思いがあるかもしれない。
そこから私が勝手に別の話へ飛ぶ。
それは連想なのか、誤読なのか、引用として成立しているのか。
それとも、ただの横取りになってしまうのか。
自分では連想のつもりでも、相手から見れば、自分の言葉を違う文脈で使われたように見えるかもしれない。
私は、これまでの記事を読んでる人なら分かると思うが、発想を変な方向へ飛ばしてしまう。
相手が真面目に書いている話を読んでいるのに、その中の一語から別の構造を見つけてしまうことがある。
相手は人間関係の話を書いているのに、私はnoteの通知欄の話に飛んでしまうかもしれない。
相手は生活の話を書いているのに、私はAIの話に飛んでしまうかもしれない。
思うだけなら、まだいい。
頭の中で勝手に変な方向へ飛んでいるだけなら、自分の問題で済む。
しかし、それを記事として外に出すとなると、話が変わる。
相手の思いが詰まった言葉を、自分の都合のいい形に変えていないか。
相手の記事の温度を、自分の文章で塗りつぶしていないか。
面白かったからスキをしたはずなのに、その面白さを自分の材料として消費していないか。
そう考えると、書いてはいけないとブレーキをかける。
スキをしたからこそ、材料にしたくない
こういうとき、本人に許可を取ればいいのかもしれない。
「この記事を読んで、別の記事を書きたくなりました」
「この言葉から連想したことを書いてもいいですか」
そう聞けば、少なくとも無断ではない。
ただ、それで全部が解決するわけでもない。
聞かれた側は、断りづらいだろう。
たとえ「いいですよ」と言ってくれたとしても、実際に公開された記事を読んだときに、思っていた扱われ方と違うと感じることもあると思う。
許可を取ることは大事である。
でも、許可は万能ではない。
相手の言葉を借りる以上、借りたあとの扱い方まで考えなければならない。
相手が「いい」と言ってくれたから、何をしてもいいわけではない。
結局、相手の記事をどう扱うかは、こちら側の問題として残る。
どこまでなら感想なのか。
どこからが自分の話への利用になるのか。
そして、どこからが相手の文脈を壊すことになるのか。
その線は、簡単には引けない。
だから、今回も元になった記事を出さないことにしている。
具体的な言葉も出さない。誰の記事かも書かない。
それを書いてしまうと、この記事自体が、そのnoteを材料にしてしまう気がするからである。
これは逃げかもしれない。
いや、逃げと言われたら否定はできない。
元の記事を伏せて、自分の迷いだけを書く。ずいぶん都合のいい距離の取り方だとも思う。
それでも、今の自分にはそのくらいの距離が必要だった。
この迷いそのものなら、書けるかもしれない。そう思って、いまこれを書いている。
今後、他の人の記事から何かを書きたくなったとき、自分はどこまで書けるのか。
どこから先は、相手の言葉を雑に扱うことになるのか。
その線を、少し探っている。
答えは一つではない。
記事によって違うだろうし、相手との距離によって違う。
扱う言葉の重さによっても全然違うだろう。
明るい話題なら書けるかもしれない。
公開された意見への感想なら、きちんと引用して書けるかもしれない。
相手が「どんどん広げてほしい」と思っている記事なら、むしろ書いた方がいいのかもしれない。
でも、個人的な思いが強く出ている記事や、繊細な感情が乗った言葉を、自分の別の話へ持っていくのは慎重でいたい。
とてもその記事が好きだからこそ、軽く扱いたくない。
スキをしたからこそ、材料にはできない。
他人のnoteを読んで、勝手に別のnoteを書きたくなる。
そして、そのたびに少し止まる。
止まる場所があるから、書けるものもある。
止まった結果、書かないまま終わる記事もある。
それでも、相手のnoteを勝手に扱ってしまうよりは、たぶんいい。
私は今日も、誰かのnoteを読んでいる。
面白いと思ったらスキを押す。気になった言葉は、しばらく頭に残る。そこから何かを書きたくなることもある。
でも、そのnoteをそのまま材料にしていいのかは、まだ分からない。
だから、まずはこの迷いだけを書いておく。
スキをしたnoteを元に書きたい。
でも、そのnoteを材料にしていいのか分からない。
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