美味すぎると疲れる
ずいぶん前にXで「美味くない店には美味くない店なりの需要がある」というポストをしたんですよ。つまり、美味いだけが絶対的な正義じゃない、と。
ぶっちゃけ勢いで書いたんですけどね。あらためて考えてみると、具体的にどういうことなのか、自分でもよくわからない。安い、早い、居心地の良さ。当然それらも大事だが、私が言いたいのはそういうことじゃないんだよな。うーん。
日本酒の仕事をしていると、基本的には味を絶対軸にして酒を評価せざるをえません。当たり前ですが。
ストーリーとかも大事ですが、そこにはあまり興味がないので、ワークショップでもペアリング記事を書くときでも、結局は美味いかどうかで判定することになります。
で、ペアリングの検証なんかをしていると、実は美味いものって案外疲れるんじゃないかと思うようになりました。
美味い、と感じるときは、それなりに感情も動きます。そういった驚きや高揚感を連続して味わうと、揺り返しなのか、あとで地味に疲れが来るのです。
実際、今年の夏季休暇でここぞとばかりに大好きなカレーを食いまくったんですよ。6連休中に8食。ほぼどれも感動するレベルで美味しかった。ただ、最後の方になってくると、美味いんだけど、なんかもういいやって気分になっちゃったんです。
感情のアップダウンを乗りこなすのはパワーがいるんですよね。毎度の食事でいちいちミ〇ター味っ子の味皇モードを起動していたら身が持たない(例えが古い)。
まあ、自分の場合はドーパミン大好きドパおじなので、美味いもの続きでもわりと平気だけど、そこの度合いは人によるかと思います。
日常に飲む酒は、とびきり美味い必要はない、という人がいます。むしろちょっと不味くてもいいくらいだと。
これは別にひねくれとかやる気がないとかではなくて、単純に「普通」への欲求なんでしょうね。毎食フルコースを食べたい人はそうそういません。日常が普通だからこそ、たまの特別な一発が効く。一般的には髪があるから私みたいなハゲが目立つんです。ハゲは特別なんです。何の話だ。
とにかく、普通の料理や酒は、特別なそれらを特別たらしめる土台でもあるわけです。
それほど美味くもない店に通う人々も、同じ考えの人がわりといるんじゃないでしょうか。強い個性も驚きもいらない。何を食べても大体同じ、代わり映えしないが、あえてそれを選ぶ。余計な刺激は求めず、淡々と飯が食える場所がほしい。こういう需要って多いんじゃないかな。
美味いことを絶対善にしすぎると、こういう人たちのことが見えづらくなります。飲食店にはそれぞれターゲットがあって、役割というものがあります。特別な日に行く高級店、日常的に腹を満たすだけでいいチェーン店、どちらも必要なんです。
「大して美味くない店にも美味くない店なりの需要がある」と最初に書いたのは、たぶんこれが言いたかったのだと思います。
ちなみにキャッチのイラストは架空のキャラです…あくまで架空です…
いいなと思ったら応援しよう!
酒代になりますがいいんですか?本当に?