そこに私はいない
多分、私の頭を巡る思考の発端は、Kaloさんの記事なんだと思うのですが。
最近、ふと思うのが、私が見ている世界に“私”はいないんだよなぁって事で。
例えば、家族だったり友だちだったり、植物だったり。
目に映る色んなものを見て、色んなことを感じているけど、なんていうか、その私を自分の目で捉える事はできなくて。
目に映る私の世界に私はいない。
もし、“私”を見たくて、他のものになったとしても、そこに映る“私”は、私じゃない。だって、実際の私は、何かになっている訳だから。
Kaloさんが、記事内で言っている
私は「自分のこの世界しか観ることができない」わけです。
なぜなら観ているこの世界そのものが私であるから。
私以外の「観る者」に、私は絶対になれない。
つまりは、そういう事なのですが。
実は、この記事を読んだ時は、そうなんだなぁ。って、Kaloさんの気づきを、その時の私ができる、また別の気付きがあったのですが、今日は、私なりの感じ方で、Kaloさんが言っていた、その事を知ったんだと思うんです。
だとしたら、私が高次元の存在になろうが、宇宙の根源になろうが、私が見る世界に私は存在しない。
もちろん、写真や動画を撮ったり、鏡を見れば、肉体的な“私”を見ることはできるけど、動画や写真は、既に過去の私だし、鏡にしたって、鏡に写った私を見る私であって、本来の私じゃない。
もう少し分かりやすくいえば(スピリチュアルな世界でよく例えられる話ですが)、私の目を通して見る世界は、フィルムを見ているようなもので、それが鏡に写った自分を見たとしても、そのフィルムを見ている自分自身を見ることはできないわけで。
それを思った時、
だから、“自分”というものを見たくて、私は、私の世界を作っているんだな。
そう感じたんです。
う、うん。
ここまで書いて、本当に、まるっとKaloさんの気づきを、私なりの解釈で記事にしてる感が強いのですが(笑)
ならば、合わせ鏡の法則とか引き寄せの法則とか。そりゃ当たり前に起こる事だろうし、太陽も私の一部という話も、納得だし。
身近な話で言えば、傷口を見た途端、傷ついた部位が痛くなるとか、今食べたものが、賞味期限切れだと知った途端、お腹が痛くなるとか。
それも、全部自分が作り出した世界。
傷ができた=痛いとか賞味期限切れ=腹痛を起こすとか、そう考えるから、その事が起こる。
ちなみに、消費期限は1日くらいなら、切れてても大丈夫だと思ってる私は、それらを食べても全然大丈夫。旦那は、消費期限や賞味期限をすごく気にするんです。お腹壊すからって。
けど、それを言わずに、しれっと出した食べ物で、今のところ、お腹を壊したことはありません🥸
はっ!!
その昔、昭和天皇が自分を現人神だと思っていた時代。
自分を現人神だと信じていた昭和天皇は、数々の不思議現象を起こしてきたらしいです。
でも、戦争に負けて、現人神だった天皇が、人間とされたなった後。
どこかの国(確かアメリカ?)の偉い人が、昭和天皇のパワーを使って、何かをお願いしたそうで。
その時、昭和天皇は
『現人神でなくなった自分には、何も出来ない』
って答えたのだかとか。まぁ、その話の続きとして、現空海と呼ばれている人も関わり、事なきを得たらしいですが。
キリストが水をワインに変えた話や水の上を歩いた話なんかも、“自分にはできる”という世界を作っていたなら。
逸話なんかじゃなくて、実話なのかもなと思ったのでした。
