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【Q21.もうすぐ廃止される松山小倉フェリー】1.今治→松山→伊予鉄大手町→高浜→松山観光港

(前回の記事はこちらです)


今治駅にて青春18きっぷを購入

 今治港フェリーターミナルから今治駅までは、大通りを直進すれば良い。多少距離があるが、徒歩圏内である。歩く。平日の日中であるからか、沿道の商業施設は余り営業していないようであった。

今治駅の駅前大通り

 着く。駅と港の間までの距離としては、浜松町・竹芝桟橋間よりは離れていて、室蘭駅から室蘭フェリーターミナルよりは、やや近いように感じた。経験上、フェリーターミナルは車以外でのアクセスが困難な町はずれにあることが多いので、これでもアクセス良好な方だと思う。何より一直線で、迷わないのが良い。

青春18きっぷです。仕様が改悪され、使いにくくなってしまいました。

 みどりの窓口で青春18きっぷ、三日間を購入。帰路はこれで帰るつもりだ。有人改札に居た女性の駅員に、駅スタンプについて聞くと、目を輝かせて奥の方から取り出してくる。今時、物理の駅スタンプを所望する観光客も少ないのであろう。今治駅のスタンプの他に、近隣の無人駅である「大西駅」「菊間駅」のものも扱っているという。「タオル生産日本一の町今治」「造船の町大西」「菊間瓦のある駅菊間」。三種とも押させてもらう。



 改札脇の駅弁屋兼土産物屋を覗く。名産の今治タオルは、どれも中々の値段だ。駅弁は、既にほとんどが売り切れであったが、残っていた「鯛めし弁当」を購入。鯛めしは昨日も食べたばかりだが、これも今治駅に来た記念だと、自分で自分を納得させる。今は食べない。 

予讃線で今治から松山まで


 16時06分発、松山行の普通列車に乗ろうと思う。少し早目に駅構内に入り、高架上のホームの様子を少し見て回る。列車入線時に鳴るサイン音は「瀬戸の花嫁」であった。

 二両編成でやってくるが、後の一両は閉鎖されていて、乗ることが出来ない。ワンマン列車だ。進行方向右側、海が見えるボックス席に座りたかったが、女子学生の集団に先に座られてしまう。仕方が無いので、左側のボックス席に座る。
 逆方向へ向かう特急との交換を行い、発車。予讃線は高架を下り、地上線路を走るようになる。右側が北、瀬戸内海の方角だが、常に海面が見えるという訳でもない。
 大西駅の近辺では巨大クレーン群を目撃。さっき押したスタンプのキャッチコピーの通りに、造船の町であるようだった。
 もう一つのスタンプの駅、菊間を過ぎた辺りから、線路は瀬戸内海に接近し、視界が拓ける。菊間→浅海→大浦→伊予北条の区間では、しばしば席を立って撮影を試みる。島の向こうに常に次の島が控え、水平線の無い多島海の穏やかな海景が、トンネルによる中断を挟みつつ続く。光陽台→堀江の間も、同様に素晴らしい。

 左側の車窓には農村と山地の平和な風景が続くが、松山が近づくにつれ徐々に市街地化してくる。17時12分ごろ、ポンジュースの看板を目撃。ああ、愛媛に来たんだなという実感が湧き、少し感動する。知っている企業の、既知の商品名を見て安心するこの心性、心理的メカニズム。自分は大衆消費社会の完成後に生まれ育った人間であり、その精神のかなりの部分は、幼少期より囲まれてきたメディア環境によって形成されていることを、再確認させられる。要するに自分は、テレビCMを見て育った子供だと言うことだ。
 松山の二つ手前、三津浜駅では大量に人が乗り込んできて、満員電車状態となる。丁度帰宅時間帯なのだろう。

 17時20分、松山着。松山駅は、2024年に高架化されたことで話題となった。二面四線で、私が知る県庁所在地駅としては、松江や鳥取、前橋と大体同じくらいの規模感だ。発着する特急車両を眺めた後、地上階へ降り駅スタンプを押す。キャッチコピーは「日本最古の温泉がある駅」だ。


リニューアルしたばかりのJR松山駅

 
 駅西口に出てみる。新駅舎が出来てまだ時間が経っていないためか、本当に、全く何も無い。ほぼ更地である。これから再開発が行われるのであろう。

JR松山駅西口。がらんとして、何もありませんでした。これから開発されるのでしょう。

 駅高架下の商業施設をブラつく。なかなか広い。駅弁「醤油めし」を購入。今治で買った「鯛めし」もまだ食べていないので、バッグの中には駅弁が二つあるという何だか妙なことになってしまった。弁当売り場そばのイートインで、今買ったばかりの「醤油めし」をすぐに食べる。味は普通の炊き込みご飯のようであった。

松山駅の駅弁、醤油めし

 駅の東側に出ようと歩いていくと、通路が途中で曲がって複雑な経路となっている。何だろうと思って周囲を見ると、駅の東側には、古い松山駅の建物や構造物が、現時点でほば丸ごと残っている様子だ。それを迂回するために、歩行者の動線が遠回りとなっているのである。

旧駅の設備がほぼそのまま残っている、松山駅東側

 これが地上駅時代の松山駅かと少し眺める。平仮名で駅名が書かれた駅名標は、周囲が路線のカラーで縁取られている。旧国鉄時代の雰囲気が残っている。
 旧駅舎の外側には、お別れのメッセージが貼られている。
 駅東側は旧来からの繁華街らしく、巨大バスターミナルと路面電車の電停がある。賑わっている。県庁所在地に相応しい喧噪だ。路面電車が特に良い。

伊予鉄に乗り松山観光港へ

 松山を走る私鉄、伊予鉄道・高浜線の大手町駅まで大通りを歩く。高浜線の終点高浜駅までと、その先の松山観光港行きの連絡バスの通し切符を買い、入構。駅は相対式の二面二線、列車の本数はそこそこあるようだ。

伊予鉄大手町前の踏切。伊予鉄の線路と、路面電車の軌道が垂直に交差しています。

 ホームの北の端からは、踏切が見える。この踏切は面白いことに、路面電車の軌道と垂直に交差している。その直角のポイントを、路面電車が渡っていくのが珍しく、電車を待つまでの間、何度か撮影した。

路面電車が踏切を渡っていきます。

 18時47分、大手町駅発。この高浜線は、区間によっては高架線上を走るのだが、その高架部分が存外に長い。大分暗くなってはいるが、車窓から見下ろす松山市街地の景色は、なかなかに都会的だと感じる。
 後で知ったことだが、伊予鉄道は松山において(そして四国において)最初に出来た鉄道であり、予讃線より古い歴史を持つという。その中でも最も古いのが、この高浜線の区間で、開業は十九世紀である。

伊予鉄

 船で松山に着いた坊ちゃんが港から乗ったのがこの路線だ。赤シャツと野だいこに生卵をぶつけてボコった後に、盟友の山嵐と二人で港に向かった時に乗ったのも、やはりこの路線と思われる。(物語の中盤、坊ちゃん、赤シャツ、野だいこの三人で海釣りに行くエピソードがあるが、その際に三人が港まで乗ったのも、この路線であろうか?)
 漱石自身が松山に赴任した際に乗ったのも、この路線である。無論、当時は電車ではなく、蒸気機関車である。
 高浜線はやがて、海沿いと思われる区間を走り始めるが、その頃にはすっかり暗くなっていて、車窓は何も楽しめない。もう少し早い時間に乗っていればと、少し残念だ。
 19時07分、終点高浜駅着。駅からは連絡バスで松山観光港へ向かう。バスの乗客は、自分ともう一組、ベビーカーを押した若い母親の二組だけであった。

松山観光港までの連絡バス

 19時11分発。一分ほどで松山観光港に着く。このバスは後扉乗り、前扉降りなのだが、ベビーカーの客のために、降車時も後扉が開く。運転士が気を利かせたのだ。自分も続いて後扉から降りたのだが「本当は前扉から降りるんですけどね」と声をかけられた。

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青条 詩的散文・物語性の無い散文を創作・公開しています。何か心に残るものがありましたら、サポート頂けると嬉しいです。

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