伝えたい情報を伝えていいか、迷いませんか。
#20251105-594
2025年11月5日(水)
街を歩いているとき、スマートフォンでX(旧Twitter)などを眺めているとき、ふと目に入った情報に、だれかの顔が浮かぶことがある。
——このイベント、○○さんが好きそうだな。
——△△さん、悩んでいたから、この本が少しは参考になるかもしれない。
日頃からアクティブに動いていて、時間も体も自分の配分で自由に使える人ならば、その情報を気軽に伝えられる。ただ、今、私のまわりにいる人たちは子育て中が多く、身軽く気軽に出掛けられない。
——行けないイベントなら、知らないほうがいいかな。
私だったら。
どうしても行きたければ、夫に相談して行けるよう調整する。もしくは、「いつか行きたい」リストに加える。「いつか、いつか」といっている限り、いつまでも行けないというのも一理あるが、体はひとつ、物事には優先順位がある。
無理をしても行きたいのか。
そこまでして、行きたいものではないのか。
自分に問うてみる。
そして、世の中にそういうイベントがあることを知っただけでも嬉しい。
だが、世の中、そういう人ばかりではない。
行きたいのに、行けない状況に気持ちが沈むかもしれない。
イベントはまだいい。
悩み事のほうが躊躇ってしまう。
それが当人事ならまだしも、子どものことだとなお難しい。
力になりたいという気持ちはあるが、親がどういうときであるかによって違う。
たくさんの情報がほしいとき。
情報過多になり、情報を遮断したいとき。
今は子どもを「見守る」姿勢でいたいとき。
静かに、その悩みに触れてほしくないとき。
「1」ならよいが、大抵悩んでいると、情報を収集しようとせずとも関連することは目につきやすくなる。さまざまな情報があり、こっちでは「○○がいい」とあったかと思えば、あっちでは「○○はよくない」とある。心が揺れる。
そんなものだと割り切って情報と向き合えればいいが、真剣に悩んでいればいるからこそ、惑うものだ。
私は相手の負荷を大きくしたいわけではない。
そして、私は瞬間的に相手の顔が浮かんでしまっている。
ぼんやりとした「だれか」ではなく、「○○さん」「△△さん」と伝えたい相手がいるのだ。
——いらないお世話かなぁ。もっと悩ませてしまうかなぁ。
もしかしたら、役に立つかもしれない。直接ではなくとも、糸口になるかもしれない。
グジグジと行動に移さずにいるのは、正直私の性分に合っていない。それも、ある意味私自身のことではなく、人のことで、だ。
なぁーんにも考えずに、「よいこと」だと迷わず、ポンと情報を投げられたらどれだけ楽だろうか。
……と書くのは。
目下相手に伝えられずにいる情報が手元にあるからだ。
私があたためていても何かが孵るわけでもないのに。
情報という玉子が腐らないうちに、相手に届けたほうがいいのだろうか。
食べるのも、捨てるのも、孵すのも。
どうするかは相手次第だと割り切って。
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