寒くて、眠い。~父のこと⑦~
#20241115-489
2024年11月15日(金)
父の葬儀を終えてから、やたら寒い。
悪寒とは違う。
身体の芯がずんと凍えて重く、沈むようだ。
そして、眠い。
寒くて、眠い。
ひとりになると涙腺がゆるむ。
ひとりでなくても――すぐ隣に夫がいても、夜ベッドに横たわり、明かりを消し、目をつむるとそのまま涙がこぼれる。
心許なくて、うろたえている。
迷子の気分だ。
こんなに父の死に動揺するとは思わなかった。親なのだから当たり前だといわれそうだが、自分自身がこうなるとは予想だにしなかった。
私は「パパっ子」だったと思う。
3歳のときに妹が生まれた。だれかが父にいったのだろう。下の子が生まれたら、上の子をかまってやるように、と。アルバムには父に抱っこされている私の写真が目につく。母が生まれたばかりの妹に手をかけているあいだ、私はよく父のあぐらにすっぽりおさまって一緒にロボットアニメを見ていたという。
私は母が好む手芸や「赤毛のアン」や「若草物語」のような少年少女向けの世界名作全集にも興味があったが、昆虫やSFも好きでそういったジャンルになると父を頼った。映画「AKIRA」も「ファイブスター物語」も父にねだって一緒に観に行った。
父の転勤で地方に住んでいた小学校高学年のとき、PCがほしかった私は父に秋葉原へ連れて行ってくれるよう頼みこんだ。今まで貯金したお年玉全部使ってPCを買うのだと意気込んだ。当時PCは100万円という時代で、到底私のお金では買えるはずがなく、電気街の店員さんのおすすめはポケットコンピュータとMSXだった。
MSXを購入したが、それがいくらで、さらに私の貯金は親が管理していたためそれで足りたのか、足りなかったのか、私は知らない。
ただ説明書を全部読み終えるまで電源を入れてはいけないといわれたため、家族が全員眠る帰りの特急列車のなか、1人必死になって読んだ。家に着くとすぐ箱を開けて電源を入れたときの高揚感は今も覚えている。
父に叱られたことはない。
幼い頃に一度だけ、なにかをしつこくねだり――私はとにかくしつこかったのだ!――苛立つ気配が一瞬ゆらりと見え、慌てて口をつぐんだことがある。
父でも怒ることがあるのだと心底驚いた。普段怒らない人が怒ると怖いとも思った。あれきりだ。
進学先も。
つきあう人も。
卒業後の進路も。
結婚も。
不妊治療も。
里親になることも。
父になにかいわれたことはない。
いつもなにかいうのは母で、父は「おまえがそうしたいのなら」と応援してくれた。
実際、父が腹のなかでどう思っていたかは知らない。理解していたかも怪しい。だが、私が考えて決めたことなら反対しないという姿勢だった。
私の名前はちょっと読みにくい。
当て字ではなく、日本に同じ読みの名前の人は存在するのだが、9割方は違う読み方という感じだ。父は戸籍に読み方の登録はないため、あまりにも不便だったら大人になったときにでも読み方を変更してもいいといっていた。
読みは音だけだが、祖父の名前の一部でもある。祖父の名前からとったのか尋ねようと思っているうちに、父は酸素吸入がはじまり、発話が難しくなった。
尋きそこねてしまった。
父は穏やかで朗らかで、虚栄心が見事になく、でも結局その心のうちはわからなかった。
母のことならかなり想像できる。私がこういったら、母はこう思い、こんな表情をするが、口ではこう返すだろうというところまでありありと目に浮かぶ。
だが、父の場合はいう言葉は聞こえても、その心までは見えない。
父はどういう人だったのだろう。
言葉も表情もすべてそのままで、他意はなかったのだろうか。
もっと話したかったが、話したからといって、父がその心を私に語るとは限らない。
ふいに目頭が熱くなり、涙が落ちるのだから、今、私は悲しいのかもしれない。
だが、「悲しい」という言葉でくくれないなにかがある。
まだ悲しさにたどりついていない気もする。
悲しいってなんだっけ。
そう思いながら、私は父がどういう人なのかわからないことに戸惑っている。
ねえ、パパ。
パパに尋きたかったことがまだたくさんあるよ、私。
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