季節のめぐりのとらえ方。~11歳は当然とし、53歳は感心するその違い。~
#20250922-585
2025年9月22日(月)
ここ数日、冷房をつけずに過ごせている。
家中の窓を全開、各部屋のドアも開け放ち、風通しよくしていれば、汗ばむこともない。
時折、風の強さと向きによってはドアが大きな音を立てて閉まり、驚くが、それ以外は快適だ。ゆうらりゆらりと揺れるレースのカーテンは波のようで、ついその動きを目で追ってしまう。
蝉の声も聞こえない。
空がいつしか高く、小さな雲が連なっており、あれは「いわし雲」だろうか、「うろこ雲」だろうかと名前を探してしまう。
湿度が低いのか、音がよく通る。上空を飛ぶ飛行機の音が鮮明に届く。
住宅街のこのあたりに田畑はないはずなのに、深く息を吸えば、かすかに煙の匂いがする。子ども時分に山あいの小さな町に住んでいたことのある私は、刈り取られた田で籾がらの山を焼く景色が浮かぶ。
秋の気配を感じると、なぜこの匂いがするのだろう。
今夏ははやくから気温があがり、酷暑猛暑が続いた。
日中はもちろん、冷房をつけずに寝られる日はなく、一日中エアコンが稼働していた。
外出時には日傘は必須。
ノースリーブのワンピースの出番ばかりで、制服のようだった。
心のどこかで、残暑も厳しく長く続くのだろうと身構えていた。
それが、ここ数日「秋」を感じる。
53年、四季のある日本に生きてきて、季節がめぐることは重々わかっている。
それでも窓からの爽やかな風に戸惑い、あの猛暑はどこに行ったのかと探ってしまう。
季節はきちんと忘れずにめぐるのだ。
それは安堵より感心に近く、常に経験しているのにも関わらず、変わりゆく空気に、咲く花に、空の様子に驚いている。
「ちゃんと秋になるもんだねえ」
過ごしやすい気温につい気がゆるむのを感じながら、つぶやくと、ノコ(娘小6)がすかさず突っ込んだ。
「当たり前じゃん!」
たかが人生11年のノコが季節の移ろいを当然のごとく受け止めていて、面食らう。
もうこの四季のめぐりを諄々と説かずとも、受け入れているのだろうか。
まだ11年のノコよりも、53年繰り返した私のほうが驚いている。
この差がおもしろくて、おかしくて。
あまりにも繰り返されると、人は「慣れ」から「感心」の域に入るのだろうか。
いや、でも、暑さが過酷だったぶん、過ごしやすい「秋」が今年は少しでも長く続いてほしいと願ってしまう。
秋、秋、秋。
暑くもなく、寒くもなく、動くにも静かに過ごすにもちょうどよく。
なにしよう、あれしようか、これしようか、とワクワクする。
しばらく乗っていないロードバイクに乗りたい。夜長だ、夜長。読書にふけるのもいい。神保町での「古本まつり」もそろそろか。裁ったまま放置している布地がたくさんある。ミシンも復活したい。
ああ、それから。
今秋はどこか——落葉を踏みしめ、足元から立ちのぼる土の香りを味わえるそんなちょっと遠い場所へ散策に行きたい。
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