「親友」がほしい小学6年生の娘と「親友」という呼び名に戸惑う母。
#20251215-603
2025年12月15日(月)
前日の日曜日。
私は女子高時代からの友だち2人と会っていた。
2人とも仕事を持っていることもあり、3人そろって会うのはなかなか難しい。それでも午後3時にカフェでお茶をし、その後夕飯を食べることもできた。
30年以上のつきあいで、それこそ互いの家族構成から進学、就職、結婚、今に至るまで知っている。
遠からず近からずの距離で、ともに月日を歩んできた感覚が私のなかにはある。
帰宅したのは、22時。
ノコ(娘小6)はとうに寝ており、顔を合わせるのは別れた昨日の昼振りになる。
友だち2人は目下宝塚にどっぷりハマっていて、話もそちらに流れがちだった。
だれそれがどんなに素敵か、どの公演に行ったか、遠征の魅力など、それこそ女子高生のように目を輝かせて語っている。
人間の「推し」がいない——虫ならばいるのだが!——私には、その楽しさはどうもわからないが、2人がはしゃぎ語り合っているのが嬉しい。
「今ね、2人とも宝塚にハマってるから、その話が多かったよ」
昨日のことをノコに話すと、ノコが肩をすくめた。
「それって、つまんないねー。話、わからなくて。サイテーじゃん」
まだノコにはスマートフォンを持たせていない。そのため、ノコは小学校のクラスLINEにも参加できず、YouTubeやTikTokで流行の動画も知らない。
ときに、クラスメイトにスマホがないことをからかわれたと悔しそうに帰宅する。友だちの話題についていけないと嘆く。だが、同時に「公園にいるのにスマホばっかり触ってる。公園にいる意味ないじゃん」と批判し、授業中あくびばかりの男子については「夜遅くまでスマホとかでゲームして眠いんだってさ」と呆れている。スマホを通じてのトラブルが発生すれば、「私、スマホがなくてよかった」という。
スマホはほしいが、持っていなくてよかった点もわかりつつある。
「うーん。でも、ママ、子どもの頃からまわりの話題についていけなかったからなぁ。それより2人が楽しそうで、夢中になるものがあって、よかったなぁっていう感じ」
ノコが唇を尖らせる。
「でもさぁ、つまんなくない?」
「ママが好きなもの。たとえば、虫なんて、40歳過ぎるまでお仲間がいなかったよ」
そうなのだ。
インターネットの普及に伴い、SNSを通じて虫好きのつながりはできたものの、本名を知り、実際会えるような同志は長いこといなかった。結婚して、むーくん(夫)を虫の世界に引きずり込んだが、私が喜ぶから一緒に楽しむという感じが強い。
「そういえば、今いるママの虫友さん(昆虫好き仲間)は、ノコさんがつないだご縁だよ」
ノコが私のおかげかと、まんざらでもない表情を浮かべた。
現在、近所に昆虫の話題で盛り上がる友人が2人いる。1人は里母なので、里親にならない限り知り合うことはなかった。もう1人も公園で遊んでいたノコが連れてきてくれた。
「ノコさんはまだ11年しか生きてないから、その11年のなかしかわからないのは仕方がないけどね。好きなものが一緒な人、気が合う人っていうのは、そうすぐには出会わないもんなんだよ」
会社員だった父の転勤があったため、私は遠距離での引っ越しを繰り返した。
どこに行っても、すでにある友だち関係に中途から入ることになる。それらの友だち関係を壊したくなかったため、もう一歩深く立ち入ることができなかった。仲を裂くのではなく、加わりたいだけなのだが、幼い子どもの心はどうしても友だちを「取った/取られた」となりがちだった。
「ママには親友がいるからいいじゃん」
ノコが呼ぶ「親友」とはどういったものなのだろう。
「親友、いるかなぁ」
「○○ちゃんたちはママの親友でしょ」
昨日会った友だちの名前をノコは挙げた。
「親友かはわからないけど、親しく思う友だちかな。でも、相手にとってもママが親しい友だちかはわからない。ママが勝手に親しく思っているだけ。あまり会えなくても、どうしてるかなぁって思う大切な友だちではある」
11年しか生きていないノコは、漫画や本に出てくる「親友」という関係に、言葉に憧れるのだろう。
「昨日会った○○ちゃんたちは、ママが高校生のときのお友だちだよ。ノコさんにだって、親しく思える友だちと出会える機会はまだまだあるって」
今、「親友」がほしいノコには気休めにしかならないのはわかっている。
それでも、気長に待ってほしい。
この広い世界には、ノコと好きなものが共通だったり、気質に似ていたり、また違っていても相性がいい人間はきっといるだろう。
そんな、すぐ見つかるものではないのだ。
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