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「自己開示」だと思っていたが、「アウトプット」だった。

#20250817-574

2025年8月17日(日)
 noteのこの記事もそうだが、私はどうやら「気付いたこと」を人に伝えたい気持ちが強いようだ。

 はじめは、自己開示のハードルが低いのだと思っていた。
 それは、母が個人的なことや悩みなどを友だちに話すのをとても拒む気質なため、あれもこれも身構えずにいう私とどこが違うのか考えていた。
 私とて、なんでもかんでも分別なく打ち明けているわけではない。

 不妊治療のこと。
 里親であること。
 亡くなった父の手続きの大変さ。

 それらについて人に話すとき、私はどこか聞き手を困らせ、重く嫌な気分にさせているのだろうか。
 つまり「愚痴」めいているのだろうか。
 私の「聞いて聞いて」の根っこがどこにあるのか考えると、「困っていること」より、その状況で「気付いたこと」を伝えたいのだと思い当たった。

 たとえば、不妊治療を受けていたとき。
 私は当時の最新の医学知識をはじめ、自分が中学や高校で学んできた性教育との違いに驚いたことについて話したかった。いざ自分が治療を受ける身になって、知ったこと、体験したことをだれかに話したくてたまらなかった。
 不妊治療はデリケートな話題で、不妊治療そのもの以前に、人によっては「子どもを治療によって持つこと」についてさまざまな感情が渦巻いている。ポンと「不妊治療」について語るわけにはいかない。
 私としては、不妊治療で子どもを「持つ/持たない」ではなく、「最新の不妊治療」について気付いたことを話したいだけなのに、なかなかそうはいかなかった。
 母親でさえ、新しく知ったことを嬉々として話す娘についていけなかった。

 たとえば、里親になろうと動き出したとき。
 よく知らなかった里親制度というものを学び、足を運んだ施設での研修や実習での体験は驚きの連続だった。私はそこで新たな世界を見て知って感じたことを話したかったのだが(個人情報等があるのでそこは配慮した上でだが)、その前に「社会的養護」について人それぞれ抱える感情が違い、私が話をする前に壁があった。

 亡くなった父の手続きについても同じだ。
 はじめて親を亡くし——まだ終わっていないので結果を話すに至らないが、やってみて気付いたことがたくさんある。
 手順ひとつにしても、ここから手をつければよかったと思うことがある。すぐにまたやりたくはない——つまり母が亡くなることを意味しているので——が、実際手を動かし、足を運んでわかったことがたくさんある。
 自治体によって違うし、制度はどんどん変わる。私の経験がそのまま活きることはないだろうが、せっかくの「気付き」だ。無駄にしたくはない。
 それでついご両親が元気なかたに「○○はあったほうが手続きが早く済む」と伝えたくなる。口うるさくない程度に、そしてあくまでご両親が健在で、残りの命の日々が見えていないかたに、遠い未来に起こりうることとして、だ。

 思えば、子どもの頃から「聞いて聞いて」と親にまとわりついて話していた。
 それはこんなことがあったという「報告」や「感情の吐露」ではなく、そこからの「気付き」だった。
 ある出来事からこういうふうに「感じた」より、こういう「見方に気付いた」だった。

 自己開示は、自分の情報のうちでも「感情」を見せることに重きがあるのかもしれない。
 私が開けっぴろげに見えてそうではないのは、感情ではなく「気付き」を話しているからかもしれない。
 生々しい感情ではなく、私のなかで一度整理されたもの——自分で解きほぐして理解するために再構築したものを見せているので、ためらいがないのかもしれない。
 自己開示というより、「アウトプット」に近い。

 そういう意味では、整理しない生まれたての感情をそのまま人にぶつけたことがあるかといえば、かなり怪しい。
 「楽しい」「嬉しい」といった新鮮なうちに届けたほうが喜ばれる感情は出す。
 だが、「悲しい」「苛立つ」「妬む」「怒る」といった底にもう一段階理由がありそうな感情を深く掘らずに出すのは苦手だ。ためらってしまう。
 「もっとほかに、そう感じる原因があるのでは?」と自分に問うてしまう。
 日記であれ、このnoteの記事であれ、一度文字にすることで客観視できるようになる。書きながら、気付いていくのだ。

 私はどうやら自己開示にためらいがないのではなく、すでに整理したものを伝えているようだ。自分のなかで一度決着がついていることなので、話すあいだに心が揺れて、思いがけない言葉が飛び出すことがない。
 そういう感情や思考の不安定さは書いている最中に起き、その度に私は手を止め、自問し、考え、また考え、自分に近い言葉を探している。
 そして、自分の外に出て、見えるかたちになった文章を何度も読む。
 おそらくこれが習慣になっているのだろう。

 おもしろみがないといえば、ない。
 熱さ、激しさ、生々しさがない。
 自分のことながらそう思う。

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