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娘の卒業式。はたして私は泣くのだろうか。

#20251217-605

2025年12月17日(水)
「ママママ、ママママ」
 ノコ(娘小6)がおやつを口に運びながらいう。

 「やっとね、卒業式で歌う歌が決まったんだよ」

 てててとランドセルラックまで行き、ランドセルから歌詞のプリントを引き抜くとテーブルの上に置いた。
 「○○ちゃんのママはこの曲聞いて泣いたって。ママも泣ける?」
 私はプリントに目を通す。知らない曲だ。
 卒業式で「仰げば尊し」や「蛍の光」を歌わなくなって久しいと聞く。
 ——教室、校庭、机、校舎。
 ——仲間、みんな、ありがとう。
 ——別れ、希望、旅立ち、卒業の日。
 桜が咲く4月からはじまった学生生活、そこで出会い、一緒に学び、遊び、ケンカもしたと振り返る言葉が続く。そして、今日ここを卒業する。

 ノコがAmazonアマゾン製の音声アシスタント「Alexaアレクサ」にこの曲をかけるよういう。
 私は曲を耳にしながら、歌詞をなぞる。
 「ママママ、ママママ、泣いちゃう? ねえ、泣けちゃう?」
 「○○ちゃんのママは若いのかもねえ」
 もしくは、この歌詞にあるような学生時代を過ごしたのかもしれない。
 本心でなくとも「泣けちゃう」「感動しちゃう」といえばいいのかもしれないが、おそらく口にした途端、ノコに「思ってないくせに」と突っ込まれそうだ。

 入学に卒業。それから転校。
 今まで何度も繰り返した。
 確かに幼いときのほうが「もう二度と会えない」気持ちが強かった。今のようにインターネットでの連絡手段がなかった時代だ。電話も固定電話しかなく、子どもがそうそう気軽に使えるものではなかった。自力でつながれるものは手紙くらいだが、それも切手を親からもらわなければならない。
 年齢を重ねるにつれ、別れについての考えが変わった。

人間、生きている限り、会いたければ会えるのだ。

 学校が変わろうが、住む場所が変わろうが、電車やバス、飛行機に船がある。
 「会いたい」気持ちと移動するお金があって、相手も「会いたい」と思ってくれれば会えるのだ

 ノコが通う小学校は、その地区の公立中学校に進学する率が高い。中学受験組はわからないが、引っ越さない限り、道で会う可能性はある。
 卒業式で泣いて別れても、翌月には入学式で再会するのだ。
 校舎だって、卒業生として訪れることはできる。
 先生は、公立だと異動してしまうとまた会うのは多少難しくなるかもしれない。
 恋しく思い、去り難くなるほど、小学校で積み重ねた日々が濃密ならば涙があふれるかもしれない。

 私があまのじゃくなのだろうか。
 ノコの12年の人生の節目なのだ。
 あれこれ考えずに、6年間の小学校生活を無事過ごせたことを噛みしめればいいじゃあないか。
 3ヶ月後の卒業式。
 この歌を体育館に響かせるノコたち、6年生の姿に私の目頭ははたして熱くなるのだろうか。

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